御幸が辿り着いた頃には、もう決着は着いていた。


 二人の少女が寄り添う姿がその証拠だ。御幸はアリシアの顔に手を触れる。


「あ、あの……姉さんは」


「大丈夫だ。まだ生きている――傷はもう治したから、心配はいらない」


 御幸の言葉に、少女は驚いてアリシアの脇腹を見る。衣服は切れているが、その下は確かに何ともなかった。


 ――改めて、この少年の規格外さに目を丸くさせる。


「……ところで」


 立ち上がった御幸は、アリシアを膝枕している少女に向かって訊いた。


「君の名前は――?」


 その問いに、彼女は――満面の笑みで答えた。


「私の名前は――ガブリエル。ガブリエル・エーデルハルト。アリシア・エーデルハルトの……妹です」


 それは、聞く人によればただの自己紹介なのだろう。

 だが、その言葉を聞くために、数十年間追いかけてきた誰かがいる。

 その意味を知るために、人生を掛けた人がいる。

 その事を御幸は知っている。だからその言葉に御幸はアリシアの方を見る。彼女の顔は、少しだけ誇らしげに見えた。


「そうか……とても良い名前だ」


 御幸はただ思った事をそう言った。

 ありふれた言葉なのだろう。だが、彼女にとってはこの上無い賛辞だ。


「御幸さん……」


 少女――ガブリエルは、御幸に向かって、頭を下げた。


「お願いします――あの人を、禊さんを助けてください」


「……あぁ、任せろ」


 ガブリエルの願いに、ただ一言、御幸はそう言って、禊がいる天井まで飛び上がった。



 天井から窓を抜けて、電波塔の一番高い所――細長いアンテナ用鉄塔の直ぐ近くに、禊は座っていた。御幸は何も言わないまま、彼のすぐ傍まで来る。


「――最初に目が覚めた時。俺は地獄にいた」


 ぽつりと、禊は語った。


「自分の名前以外思い出せない――記憶喪失だと、そう言われたよ。だけど、俺はどこかから連れ去られて来たんだって事は分かっていた」


 その言葉に、御幸は黙って聞いている。聞かなければならないと、そう思ったから。


「その場所には、俺以外にも沢山の子供たちがいた。そして俺たちは、それぞれの能力を覚醒すべく、無茶な修行を強制された……能力の修行と言っても、基本的には薬物の接種によるもので、だから当然適応しない奴もそこにはいて」


 禊の顔がくしゃりと歪む。


「そういう奴は、問答無用で切り捨てられていったよ。日に日に少なくなっていって、最初は百人近くいたはずが、気づけば俺を含めて数人しか生き残っていなかった……俺はその時から、人を殺す様になった。言われるがままに。多くの人を殺したよ。大人も子供も。外国人もテレビに映る様な偉い人も、何人も何人も殺して来た」


 御幸は禊の隣に座って、彼と共に月夜を見上げる。予想通り、綺麗な満月が両者を照らした。高層ビルの最上階辺りでは、天体望遠鏡で月を覗く子供たちの姿も見えた。


 禊はそれらを俯瞰しながら、淡々と告げる。


「初めは、吐くほどに嫌悪感がこみ上げて来たよ。最低な事をしているって、分かってたからな。特に子供を殺す時なんかはそうだ。何も知らない子供を、汚い大人たちの野望の為に殺すなんて――でも、それももう慣れた。慣れてしまった」


 最初の殺しは、雨の降る日だった。スーツ姿の初老の男性、路地裏で背後からナイフで一突き。殺しの腕としては三流も良いところだったが、結局捕まる事は無かった。


 まあ、それも当たり前なのだが。


「そんな頃だ。一人の男の人が現れて、そいつは俺を救ってくれた。マンションの一室、初めての自室、缶詰やレーションじゃない、温かいご飯――俺はあの人に、何度も救われた」


 その男性は、あの修業時代に良く見かけた人物だった。

 死んだような眼をした男だった。だが十年前――『コラドボム』の初代ボスだったその男は、十年前のあの大災害を経て人が変わった。


 死んだ心に微かな光を灯らせ、今日も廃ビルで眠る生活をしていた禊に声を掛けてきた。


『そんな所で寝ては風邪を引いてしまう――私の所に来い』


 そうしてそこから九年間、禊とその男による奇妙な共同生活が始まった。

 勿論平穏な生活など遅れるはずもなく……喧嘩ばかりした。家事を分担したり、あれこれ言われるのは面倒くさいと思う時もあった。だが――これが『家族』なんだと、今になって理解できる。


「そんな時だった――彼女が、やってきたんだ」


 それは、禊と同じく心に傷を負った少女だった。目は虚ろで、凍えた眼差しは誰かの後ろ姿を求めていたようにも見えた。最初は同情から構ってやってた……が、気づけば彼女の存在が、禊の中で大事なものになり始めた。


「最初に来たころ、ガブリエルは夜泣きが激しかった。『お姉ちゃん、お姉ちゃん』……てな、だから俺は伝手を頼って色々と調べたよ。そしたら……いた。たった一人の家族が。そいつは既に自分の妹が死んでいると思い込んでいた。毎月律儀に墓前で手を合わせて……そこで、俺は彼女の名前を知った」


 禊は、彼女に名前だけを告げた。結局、他に家族がいることは明かせなかった。


「正直羨ましかった……どうしてあいつだけってな。だけど、それももうどうでもよくなっちまった。それ以上に、彼女が愛おしく思えた――そして俺は決意したんだ」


 その時瞳が、黒の瞳孔の奥底に潜む赤が、強く光を放った気がした。


「『電波塔を爆破すれば、お前たちを解放してやる』――それが、俺達の脱退に関して、俺達の本当のボスが言った言葉だ。だから俺は永久凍結された『コラドボム』を復活させた。もうここまで言えば分かると思うが――」


 そこで禊は一端言葉を切ってから、御幸の目を見て言った。




「この一件の事件。いや、そもそも『コラドボム』の正体は――この国だ」

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