姉妹

 ……互いの意志が生み出す氷が飛び交う戦場にて、二人の少女たちは争っていた。


 アリシアと少女は、己の信念に基づいて、戦っている。

 両者の氷は、属性は同じだけれども性質は全く異なっていた。


 全てを奪う氷と、与える氷。それは相互関係を表している様でもあり、少女はアリシアと見えない糸で繋がれている様な錯覚に陥ってしまう。


 氷弾がホールを駆け巡り、ガラスの破片が空へと舞い散る。

 アリシアはその氷の弾幕の中を駆け巡り、大きな支柱の影に隠れた。


「はぁ……はぁ……っ、あの頃は走る度に転んでしまう子だったのに……嬉しいわ」


「知ったような口を! 言わないで下さい!」


 息を整えながら、少女は汗を拭う。

 アリシアの意図は分かっている。――このホール一帯を包み込んでいる少女の氷の領域を、自分の領域に塗り替えようとしている事は。


 今の会話の最中にも、徐々に浸食されていっている。

 少女の氷による影響は、通信機器の不備をもたらす。


 それに限らず、その氷の領域内にいるだけで、体力が奪われているのだ。

 幾らアリシアの能力が、少女の能力に対抗できる唯一の能力だとしても、だとしても完全に無効化は出来ない。徐々にアリシアの体力は奪われ続けていく。


 それでようやくアリシアとのアドバンテージが取れている訳で――もしこれらが塗り替えされてしまったら、もう自分には勝機が無い。


「覚えてる……? 昔、貴方が私に見せてくれた氷の花」


「うるさいです……!」


 チクリと、また頭が痛む。彼女との会話は、心身ともに大きく疲弊する。

 少女は特大の槍の形状をした氷を生み出し、それを支柱目掛けて発射した。


 それは、アリシアが隠れている電波塔の支柱諸共貫きそうな形状をしていた。

 即座に、アリシアは槍を受け止める、盾の様な形状をした氷を生み出した。


 氷と氷がぶつかり合い、ズンと重たい音が響き渡る。純粋な質量の押し付け合い。

 それを制すのは誰か――


「っく……!」


 アリシアはその氷の影に隠れながら、少女の元へと走って来た。

 巨大すぎる氷が仇となった。少女は完全に後手へと回ってしまったのだ。


 現在、彼女の能力の許容量キャパシティは限界近い。浸食する氷を食い止めるために絶えず能力を発動していて、先ほどの弾幕に使った残滓がまだ残っている。そして、先ほど放った極大の氷――


 つまるところ、今の彼女にアリシアの攻撃を防ぐ手段は無い。


『ガブリエル。これが終わったら、君は――』


『ガブリエル――私は』


 二人の声が重なる。


「……それでもっ! ……私はあの人と一緒にいたいんです……!」


 少女は真っすぐにアリシアの方に視線を合わせた。

 瞬間、後ろで絶対的な存在感を放っていた氷が消えた。

 創造具現化系能力は、意識すればいつでもその能力を消すことが出来る。


 そうして、僅かに取り戻せた能力の許容量キャパシティ――それを、アリシアに使った。極小の氷の礫、数十数百あるその氷は、アリシア目掛け放たれた。


「……っく、やるじゃない!」


 アリシアは一端足を止まらせ、後方へと飛び移る。

 手を動かし、ホールの床から天井まで、氷の柱が出現した。

 その氷に、射出した氷はいとも簡単に打ち砕かれる。


「こうやって、今まで貴方とは喧嘩したこと無いわね」


「…………」


 氷の柱の影で、アリシアは息を弾ませながら言った。

 その声色は本当に嬉しそうで――否、本当に嬉しいのだろう。

 彼女にとって、家族と呼べる存在はいなかった。今では御幸達がいるが、本質的に彼女は一人だった。


「本当に、嬉しいわ……喧嘩なんて、そんな姉妹らしい事、出来なかったから」


「……っ」


 自分でも分からなかった。

 今のアリシアは無防備のはずだ。

 それ即ち絶好のチャンスのはずなのに、それなのに……。


「……ねぇ、さん……」


 その呟きは、誰の耳にも届かなかった。

 だが、自分だけは届いていた。何だかしっくりくるその呼び名に、混乱していた。

 少女は違うと首を振りながら、声を上げる。


「私の、私の姉さんはっ! あの時手を離さなかった! ずっと寄り添ってくれた!」


 自分が何を言っているのかが分からなかった。

 再度、アリシアが攻撃を仕掛けてきた。

 真っすぐ走ってきてからの、上からの奇襲。氷で作られた足場を伝って、彼女は大きく飛翔した。


 僅かに、少女の対応が遅れた。

 しまったと、その瞬間少女は全領域を支配していた氷を解除してしまった。

 そして、その有り余るリソースを使って、次の攻撃を――




「……ずっとずっと愛してるわ、ガブリエル……遅くなって、ごめんなさい」




 アリシアは、空いた両腕を彼女へ回して、抱きしめた。

 ようやく、ようやく抱きしめられた。強く抱きしめられた。その時に感じた甘い匂いに、失われた記憶が蘇る。


 ――ガブリエル。

 ジクジクと、熱が脳内に広がっていく。


 ――私の大好きな妹。


 彼女の声一つで、様々な記憶がフラッシュバックする。

 金髪の髪を持つ、自分より遥かに大きかった存在。どんな事も自分より上達してしまう人。注目や視線を常に浴びている、少しだけ嫉妬してしまいそうな人。そして――


「ガブリエル」


 誰よりも、誰よりも自分を愛してくれたたった一人の――『姉』。


「あ……ねぇ、さん……っ」


 気づけば、その名前を呼んだ。

 呼んで、しまった。

 もう戻れないと、そう思っていたのに。

 その名を呼んでしまったら――もう、とめどなく溢れる涙を止める手段なんて無いのに。


「ねぇさん、姉さん……」


 今更、なんて言えばいいか分からない。

 もう『お姉ちゃん』と呼ぶには、歳が経ちすぎてしまったのかもしれない。

 それを言う資格なんて、無いのかもしれない。いや、きっと無いのだ。


 ――アリシアの腹部は、血に濡れていた。


 ずぶりと、腹の先から突出している氷塊の先端が、真っ赤な血に染まっていた。

 それは誰がやったのか――そう、自分のせいだ。


「いいえ、貴方のせいじゃないわ……大丈夫。このくらいの傷、お姉ちゃん、へっちゃらなんだから」


 そう、やや苦笑いを浮かべながら、アリシアは傷口を氷で埋める。

 幸い、傷口は浅い。貫いたのも、横腹だったから、内蔵までは傷ついていない。

 そして、アリシアの氷はエネルギーを与える氷だ。治癒能力も向上している。


 それよりもだ。アリシアはより一層少女を強く抱きしめた。


「……ようやく、貴方を、こうして抱きしめられる」


「姉さん、姉さん……! あの時、私……」


「ごめんなさい、ガブリエル。私のせいで――」


「ううん! 違うの、本当は、私が自分で離しちゃったの……」


 あの時、ガブリエルはわざと自分で手を離した。

 それはなぜか――自分でも分からない。ただ、姉に迷惑を掛けたくなかった。

 ガブリエルは分かっていた。自身の能力で両親は遠く離れた日本に移住したことを。


 自分の為に高いお金を払ってこの都市に移った事を。

 そして――自分の能力のせいで、無能力者であるアリシアに非難の目が向けられていたことを。


「バカね……」


 その時、アリシアは彼女を深く抱きしめた。

 胸の中に、少女は深い愛情に埋められる。


「そんなのどうだっていいわ。貴方が気にする事じゃない。それに、今は大丈夫よ。大事な仲間だっているし、お友達も出来たの。それに……」


 一人の少年を思い浮かべる。


「大切な人も出来たの」


 ふふっと笑いながら、アリシアはそう言った。

 本当に、長かった。視界がぼんやりと滲んできて、目の前の妹の姿が良く見えない。


 足元に広がる赤い水が、徐々に広がる。


 あぁ――死ぬのか、私は。


 目の前にいる少女が、涙を零しながら崩れる自分の体を抱きかかえる。


「姉さん、姉さん!」


 なんて言っているのか、耳鳴りがひどすぎて良く聞こえない。

 傷口を抑えていた氷が消えて、意識が更に混濁する。


 ――その時、コツッ、と音がした。彷徨う視点で、その足音の主に視線を向ける。


 その、黒髪の少年に、アリシアは自然と笑みがこぼれた。


「バカ……遅すぎるのよ」


「すまない、遅れた……後は、俺に任せてくれ」


 世界最強の能力者――神代御幸。


 彼はその言葉にアリシアは満足げに――目を瞑った。

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