あの日あの場所で
「おねぇーちゃんっ!」
アリシア・エーデルハルトには、一つ下の可愛い妹がいる。
目に入れても痛くはなく、食べてしまいたいぐらいに可愛い妹が。
「んもう、ガブリエル。抱き着くのは良いけど触っちゃダメって何度も言ってるじゃない」
無邪気にアリシアの体に飛び込む白いハムスターみたいな少女――ガブリエル・エーデルハルト。白銀髪と碧眼を持つ彼女の容姿は非常に整っており、子供特有の無邪気な笑顔は周りにいる人を和ませる威力を持つ。
「えへへ~。今日はね、お姉ちゃんに見てもらいたいものがあるの!」
「なにかしら?」
すると彼女はいたずらっ子の様な笑みを浮かべながら、アリシアの前にそれを差し出す。それは、氷で作られた花であった。道草に生えていた菫を取ってきたのだろう、その花は、この世のどんな美術品よりも美しかった。
「凄いじゃない! でもねガブリエル。その力を生き物に使っちゃだめよ? お花さんだけ」
「お花さんだけ! うん、分かった!」
パタパタと、今度はお母さんの方へと行ってしまったガブリエル。
今年の夏は暑い。太陽がぎらぎらと出ている。だけど、何だか優しい光に包まれている様で、アリシアは好きだった。
アリシアは凍っている花に目を落とした。
既にガブリエルの手から逃れた花は、その氷を溶かしていた。
氷が解けた後の菫は、何だか少しばかり元気が無いように思える。
「生け花をやりたかったのだけど、仕方がないわね」
普通ならば捨ててしまう所を、利用する考えが思いつくのは彼女の優しさ故だろうか。アリシアは庭にこっそり埋めようとその花を持った。
「……あら?」
手に持った菫の花が、生き生きと色を取り戻していったからだ。
それはまるで、生命のエネルギーを受け取ったかのように、その花は生き始めた。
超常的な現象。だが、アリシアはきっとガブリエルの力だと一人でに納得し、アリシアはその花を花壇の方へと埋めた。
「アリシア。こっちに来なさい」
アリシアがこの世で一番好きなのはガブリエルだ。
そして、それと同じくらい好きなものは、両親である。
お母さんとお父さんは有名な研究者であり、時折科学雑誌に出演する程であった。
その事が何よりの自慢であり、お父さんが語る、子供なら誰しもが思う疑問の解答を、アリシアは楽しみに聞いていたのだ。
きっと、この日も、またアリシアの知らない話が聞けるのだろう。
きっと、こんな日を『幸せ』と人は呼ぶのだ。
こんな些細な日常を、幸せだと思えると言う事は何より素晴らしい事だ。
そう、アリシアは信じている。不変なる日々は、きっとずっと長く続くのだろうと、そう思い込んで――やまなかった。
――『火』という物に、幼き頃のアリシアはそれなりの知識はあった。
人類の繁栄に必要不可欠なもので、暗闇を光へと変える炎を神と象徴する者もいたそうだ。幼き頃のアリシアは、火を見る機会は年に一度の誕生日の時ぐらいだった。
小さな蝋燭の上にある火は、アリシアの誕生を祝福しているようでもあった。
アリシアにとって火とは温たかさの象徴でもあり、また幸せの『形』なのだ。
――だが、目の前にある『火』は、そのどれにも当てはまらない、黒く禍々しく見える。希望なんてものは無く、幸せの象徴だったものは焼き尽くされる。
泣いてしまいそうになる。父と母はどこに行ってしまったのだろうか。アリシア達をここへと匿う様に連れて「すぐに帰って来るからね」と言ってから、どれほどの時間が経っただろうか。全てが恐ろしく思えてくる。だけど――
「お姉ちゃん……」
涙だけは、絶対に見せない。それは姉としての最後の意地だった。
突然だった。悲劇というものはいつも突然にやってくる。
神様が、妬んだかもしれない。こんな身に余る幸せをいつまでも持っているなんて、卑怯だと、そう言ったからこんな事になったかもしれない。
だけど、それは違った。これは天罰でも何でもない。
人の幸せを奪うのは――いつだって他人の悪意だけなのだから。
「まさか……まだ子供がいるのか!?」
家の骨組みが露出する程までに燃やされ、意識が朦朧としかけていた頃、バキバキと玄関を壊して現れた少女がいた。その少女は、上半身に水でも被ったのか、濡れた白色の制服から。ポタポタと、水滴が炎に当たるが、大して意味を介さなかった。
「……だれ?」
突然の乱入者に、お母さん達かと信じていたアリシア達は、不安げな顔をしながらそう尋ねた。その学生服の少女は、数秒間黙り、しかしその右手を差し出して言った。
「私は君たちのお父さんの知人だ。さぁ、この手を掴んで!」
その右手に、おずおずとアリシアは掴もうと手を伸ばす。
すると、ガブリエルは彼女の裾をこちら側に引いた。
「ガブリエル――」
――ガブリエルの後方、音を立てて柱が折れ、その後ろから、黒い影が現れた。
「マズイ、来たか!」
もはや、一刻の猶予も無い。アリシアは彼女を強引に引き連れながらも、ガブリエルの手を掴もうとする。その、彼女の白い指が彼の手に掛かる正にその時だった。
アリシアとガブリエルの間から、粉塵に引火したのか、大きな火の手が上がった。
その火の柱は、ガブリエルとアリシアの間に立っており、両者は憚れてしまった。
「ガブリエル……っ!」
「お姉ちゃん!」
アリシアは必死になって、ガブリエルの左手を手に取る。
『永遠なる
彼女が握る手から、徐々に徐々に血管を通って冷却は進んでいく。
血管が凍る痛みというものは、大の大人でも声を上げてしまう程の痛みを伴う。
自分の手が冷やされる中、叫んでしまいそうになるのを無理やり黙らせながら、アリシアはガブリエルの手を離したりはしなかった。
「お姉ちゃん……」
自身の能力の恐ろしさは、自分自身が良く分かっている。
アリシアは脂汗を浮かべながらも、ガブリエルを引っ張り続けている。
だが、足元に木材が倒れたのか、突っかかって上手く進めない。
そして――
「あっ――」
繋がりが、断たれてしまった。
繋いでいたはずの手が、無かった。
後に残るのは、冷たくかじかんだ自分の手のみで。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
ガブリエルは炎に包まれた。背後から近づく影が徐々に濃くなっていく。
「熱いよ、痛いよ! お姉ちゃん、どこ! お姉ちゃん!」
「いや、ガブリエル……いやぁぁあああああ―――っっ!!」
悲痛な叫びに、アリシアは暴れながら、彼女の元へと向かおうとする。
だがそれを少女が無理やり引き留め、外へと脱出した。
外には、消防車と救急車が何台も来ていた。
「お願いします! ガブリエルを助けてください! あの子がまだ中にいるんです!」
「し、しかしこの火では……」
傷の手当の最中に、アリシアは近くを通りかかった消防官にそう縋りついた。
消防官は、目の前で轟々と燃えている火を見ながら、小声でそんな言葉を吐いた。
「ガブリエルは泣き虫なんです。今もきっと……私を待ってる!」
「あ、コラ! 待ちなさい!」
アリシアは飛び出し、燃え盛る家の前に行く。
それを引き留めたのは先ほどの消防官だった。
「――私が行こう」
その時、立ち上がったのは先ほどの少女だった。
消防官の静止も聴かずに、その男は小走りで燃え盛る家の中に入って行った。
もしかしたら……と、アリシアの瞳に微かに希望の光が過る。
だがその直後、パァンと破裂音が響き渡り、家は大きく音を立てて崩れ落ちた。
「ガブリエル……っ、いや、いやぁぁぁぁぁぁ!!」
アリシアは絶叫を上げる。最後の希望が、音を上げて折れる様が、彼女の前で起こってしまった。
……寒い、震える程に寒かった。
こんなに火が近くにいると言うのに、寒かった。
それは、どんなに寒い温度でもならない。心の氷だった。
変える事が出来ない幸福は、いとも簡単に打ち砕かれた。
「……………………………ぁぁ」
――それからの記憶は、あまり無い。
気づけば、病室にいた。簡単な事情が、淡々と説明されている。
両親は駆け落ちに近い形で日本に来たと言う。アリシアの引き取り手はいなかった。
そう――思われていた。
「今度から、私が君の母親になる……ま、君にそんな気は無いだろうけど」
その少女は、再びアリシアの前に現れた。その少女は、アリシアに今後纏わるであろう諸々の金が絡んだ事情を解決し、剰え、自身の母親になると、そう言っていた。
「私の名前は折木真理……君のお母さん、レナさんとは、本当に仲良くさせて貰った。私は彼女の事を姉として見ていたぐらい、親密な関係だった」
『姉』という言葉に、アリシアはぽろりと涙を零した。
嗚咽は無かった。心に穴でも開いたみたいに、感情がすり抜けて言って、後は無だけが彼女の心を埋め尽くした。その姿を見て、すまないと一言謝りながら続けて。
「これからいう事は、君の人生に大きく左右する事だろう。君にその覚悟はあるかい?」
コクンと頷く。覚悟なんて物は分からないけど、何も知らないのは嫌だ。
知ってから、どうするかを決める……それは、お父さんがいつも言っていた言葉だから。
「君のお母さんとお父さんは殺された。遺体はあの火災で燃え尽き、灰も残らなかった。そして恐らく、君の妹も……ごめん、私がもう少し早く来ていれば――」
真理の発言に、アリシアの呼吸が停止した。
段々と、自身の体が冷えていくのが分かった。
喉の奥が渇いてきて、心は無のはずなのに、ぽろぽろとまた熱いものが零れていって。
「君には能力が備わった。『覚醒能力者』……まだ、この件はバレてはいない。だから今の内に、私が引き取る事にした」
「のう……りょく?」
「そうさ。その能力はとても恐ろしい力を秘めた、氷系統の能力だ」
「氷……あの子と、同じ能力……」
少しだけ、嬉しく思ってしまった。
これで彼女に一歩、近づけたからと思ったからだ。
アリシアは、自身の右手を見つめながら、続けて空を眺めた。
雲一つない快晴。それは、あの日の出来事を忘れてしまいそうで、だから――。
「燃え盛る炎の如く、咲き誇る永遠なる氷の華」
それは、呪いでもあった。
あの日の事を忘れない為に、そして――
「いつか、絶対に。私が見つ出して、そして――」
幼き少女は、その緋色の瞳を怪しく光らせながら、ハッキリと口にした。
「殺してやるわ」
これは、復讐である。
アリシア・エーデルハルトという一人の人生を掛けた、壮大なる復讐劇。
これから、アリシアはその目的の為に邁進する事となる。復讐という物は一人でやるものだ。そう――一人の少年と出会うまでは。
……時代は流れ、幼女は少女へと成る。
母に似た髪色。父とそっくりの二重の瞼。そして――亡き妹に似た、瞳の鮮やかさ。
「必ず私が見つけ出して、この墓の前まで引っ張って、謝らせてやる……」
そう、骨も無い空っぽの墓の前で、彼女はそう決意した。
いや、決意したのはあの頃の日だ。これは決意の再確認であり、引き戻れない事を確認する為の儀式であった。
このまま、自分は目的通り自身を殺した犯人を捕まえるのだろう。
そして、自分は犯罪者となるのだ。その時は潔く捕まって、その罪を償おう。
そう思っていた。
そう、ガブリエルと再会するあの日までは――。
その日はゴロゴロと雷が鳴り響く雨の日でした。
私は大人の人に抱えられながら、どこかへと連れていかれました。
そこは、小さなマンションの一室でした。彼は雨で濡れた私に、大きなタオルを渡すと、『風呂を入れる』と言って、どこかへと行ってしまいました。
タオルに包まった私は、じっと広い靴置き場で待っていました。
その時の事です。目の前の扉が開いて、中から一人男の子が出てきました。
その子はきょとんと私の目を見ながら、小さく『だれ?』と言いました。
「君は、誰なんだい?」
「わ、わたし、わたしは……っ」
何故でしょう。その時、私は自分の名前が思い出せなかったのです。
記憶を探る度に、頭の奥がズクンズクンと痛み出して、誰かの声が聞こえるのです。
「――彼女の名はガブリエル・エーデルハルト。今日から君と共に過ごす女児だ」
「宗近! なあなあ、この子どこで拾って来たんだよ!」
湯気と共に出てきたのは、先ほどの男性でした。その子は目を輝かせながら私の事を聞きました。『誘拐か~!』とも。すると男の人は私の方をチラと見て、
「彼女は記憶喪失だ。自身の出自の事を忘れてしまっている。だから私が連れてきたんだ……」
「それじゃ、俺と同じだな!」
その黒髪の少年は、私の前に来て、手を差し伸べて――。
「俺の名前は白紙楼禊。記憶が無い同士、これからよろしくな!」
その笑顔は、まるで太陽の様な輝きに満ち溢れた笑顔でした。
その笑みに、私の心は少しだけ、動かされたのです。
私は全て失くしました。けど――今は、違います。
この人に着いて行こうと、私はその時初めて思いました。
そう、あの日までは――。
地上から約数百メートル離れた上空、電波塔の最上階付近の展望台デッキ。
この都市で有数の高さを誇るこの電波塔から見る景色は正に圧巻の一言で、リング状になっているデッキには、所々ガラス張りの床が見える。
そんな展望台デッキは今、氷結の地獄と化している。
「――――」
吹き荒れる吹雪の中、氷つく展望台のステージに、アリシアは足を掛ける。
中心地にいたのは、一人の少年と少女であった。この厳重な警備でどうやって中に入ったのかは分からないが、現に入られている以上、やる事はただ一つ――。
「禊さん、先に行っててください」
少女は、隣にいた黒髪の少年――禊にそう声を掛けた。それに頷くと禊の体はふわりと上空に浮き上がり、展望台を離れ、一番上――正に最上階を通り越して、更に奥の方へと行ってしまった。
「いいのですか? 追わなくても」
「いいのよ。アイツをぶん殴るのは、御幸の役目」
その時極寒の吹雪の中で、一つの熱が生まれた。
魂を炉心に、その熱は、その灯火はこの氷の中でも確かに生き続けていた。
徐々に氷が溶かされている様に、少女は一歩たじろぐ。それとは反対にもう一歩、アリシアの足が前に出た。
「喧嘩をしましょう――最初で最後の、姉妹喧嘩を」
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