墓前にて
電波塔爆破の当日、玄光は病院の廊下を走っていた。
彼にしては珍しく血相を変えた表情を浮かべていて、滑り込むようにとある病室の扉を開けて中に入り込んだ。後ろから主治医と看護婦がぜいぜいと息を切らしながら後に続いた。
「――ッ」
その病室の様子を見た玄光が、顔を青くさせながら、握りこぶしを作り上げる。ぷるぷると拳は震え続けて、それが以前の彼なら壁などに八つ当たりしていたのだろう。だけど今の玄光はそれをしなかった。ただ、胸にあるのは――自分に対する怒りと、御幸に対する心配のみ。
「御幸……どこに行っちまったんだよ……ッ!」
入院室には、誰もいなかった。ただ空いた窓から風がカーテンを揺らし続けるだけで。
神代御幸は――忽然と姿を晦ました。
夏の日差しが、涼しい地面を温めている。空気が澄んでおり、車が少ないせいか、やけにシンとしている。人通りの少ない道を通って、黒色のパーカーに身を包んだ御幸はある建物の前に辿り着いた。
そこは墓地だった。この地で亡くなった者を埋葬する土地。墓参りの時だけは、非能力者も第三都市に入ってもいい。それほど、死者を弔うという事は大事なのだ。
タッタッタっと、石で作られた道を歩いて、門を開ける。
様々な墓標が立ち並ぶ中、御幸は、そこで一人の少女を見つけた。
御幸は知っている――この季節になると、毎朝この時間帯に来る少女の事を。
「――アリシア」
そこにいたのは、静かに手を合わせながら何やら呟いている、金髪の美少女――アリシアだった。彼女の着ている服装は、制服ではない。私服だ。今日と明日は学校を休むようで――気合は十分の様だ。
「なっ、御幸……!? どうしてここに?」
彼の参上は思いもしなかったのだろう。アリシアはその紅い瞳を大きく見せて、驚いた表情を浮かべる。御幸は一歩彼女の元へと近づき――。
「俺も挨拶、していいか?」
手に持った花束を見せながら、そう言った。
「………………」
花瓶に詰まっている花束へ、御幸は花を挿し入れて、アリシアと同様に目を瞑って、手を合わせる。黙祷は長かった。アリシアは何も言わなかった。ただ黙って彼の背中を見ていた。
そうして、たっぷり時間を掛けて御幸は目を開けた。
「……随分と長かったわね」
「すまないな。遺族でも何でもない俺が」
「別に良いわよ。ここ十数年、私しか通ってなかったし」
雲一つない空。太陽は優しく彼らを見守っている。
アリシアは、御幸がここに来た理由を、何となく察していた。
「そう……アンタ、知ってたのね」
「あぁ……」
すまないと、御幸はアリシアに頭を下げる。
どんな理由であれ、これは彼女から聞くべき事だったのだ。
他人がぺらぺらと話していい内容では無かったし、それを聞きたいと思う奴が悪かった。
アリシアは数秒押し黙り、やがてそっぽを向きながら、ぽつりぽつりと、呟いて言った。
「この墓地には遺体なんて無いのよ……あの火災で、骨諸共焼き尽くされてしまって。あの日私は、全てをアイツらから奪われたの」
あの時見た、煌々と光る炎は、十数年経過した今でも、色褪せる事なくアリシアに纏わりついている。母の声と、父の声が掻き消される程の轟音が鳴り、思い出が詰まった家具や絵本が焼き尽くされるその光景は、恐らく一生、纏わりつくのだろう。
「だから、このお墓だって本来は何の意味も無いもの……だけど、どうしても夏になると、ここに来てしまう」
御幸は黙って聞いていた。頷くことも、相槌を打つこともしなかった。
御幸には分からない。御幸の親は、自分が幼い頃に失踪してしまった。親を目の前で失った彼女と、現在も行方すら分からない御幸。どっちが不幸だなんて決めつける訳ではないが、少なくとも、過去との決着が着ける彼女の言葉に、少しばかり『羨ましい』とすら思った。
「いいじゃないか……形だけでも。それだけでも、十分に救われていると思う」
自分なんて、縋れる偶像すらないのだから。
御幸は少しだけ、母の事を思い出した。優しそうな人物だったという事だけは分かる。顔は霞掛かっていて、よく思い出せない。どんな声をしていたのか、どんな事を話していたのかも、もう覚えていない。
「ここには――妹も含まれていた」
「――――」
「あの火災で、行方不明者になって……私は死んでしまったのかと思っていた。ずっと、十数年間のも間」
さわさわと、風が吹いている。木々が騒めき、雀の鳴き声が聞こえてきた。夏の日差しが墓石を照らして――そこで、アリシアは御幸に言った。
「私は、ガブリエルを連れ戻すわ。例え――それが敵対することになったとしても」
「なら、俺も手伝おう――」
「いいえ、アンタは要らないわ……これは、私がやらなければいけない事だから。それよりもアンタ、本当に大丈夫なんでしょうね? もしかして、黙って抜け出して来たとか無いでしょうね?」
正にその通り過ぎて何も言う事が出来ない御幸。だが、思ったよりアリシアは大丈夫そうだ。自分の感情に折り合いをつけている。
「俺が思うに――ガブリエル・エーデルハルトの能力は、創造具現化系の能力だ」
「えぇ、それは私も同意見だわ」
「それと……恐らく『相手の生命力を吸い取る』能力も、併せ持っている。あの氷に触れると、問答無用で生命力を吸われるぞ」
御幸は玄光とアリシア越しに、ガブリエルの能力の概要に触れる事が出来た。確かに、あの能力ならば下手な能力者たちを一網打尽出来るだろう。アリシアは覚醒能力者だが、どうやら、向こうも覚醒していたとは。
「それについては大丈夫よ……この五日間で、私も自分の心に決着が着いたから」
アリシアのそのハッキリとした物言いに、御幸は間を空けて、そうかと言った。
「アリシア」
「な、何よ」
「頑張れよ」
彼の、そのひどく寂しそうなその表情を見たアリシアは、何て声を掛けたらいいのかが分からなかった。
「御幸、どうしてここに来たの?」
「……。いや、ただ単に気になっただけだ。悪かったな。もう行くよ」
嘘だ。本当は言いたい事が、言うべき事があった。
だが、今の彼女にそれを伝えられなかった。過去と対峙する彼女に、言えなかった。
「…………」
アリシアには、分かっていた。彼が嘘を吐いている事ぐらい。
そのくらいお見通しだった。長年ずっと傍にいたから。
「私は……私は悔しいけど、本っ当に悔しいけど! 私は後方支援だから……だから、もしアイツと対峙した時には――私の分までぶん殴ってよね!」
離れる御幸に、彼の背をアリシアは見つめる。
その背中は以前見かけたときよりも小さく、子供に見えた。
「御幸!」
なら、自分が言うべきは。なら、一番傍にいてくれた彼に言うべき事は――
「アンタも頑張んなさいよ! 過去とかどうとか、私にはよく分からないけど! 今を変えられるのは今を生きるアンタじゃなきゃ出来ない事でしょ!」
去ってゆく御幸の背中に届いたその言葉は、やけに透き通っていた。
透き通って、心の奥へ。ジンと感じる『熱』は、やがて震えていた自分の心でさえも溶かしていた。
「――ありがとう。アリシア。少し楽になったよ」
最後に、振り向きざまにそう言った彼の顔は、少しだけ明るかった。
……それから、墓地を出た御幸は自分の携帯を取り出して、電話帳をタップした。
既に気づいているのか、玄光からの着信履歴が十数件を超えているのが分かる。
「すまない……玄光」
だが御幸はそれに応答する事は無く、最近追加した新たな番号の持ち主に電話を掛ける。
四コール目でようやく電話の主が出てきた。
「もひもひぃ……? 何なのよこんな朝っぱらから――」
「朝早くにすまないな――篠崎シア」
電話の相手は、つい一週間前ほどに出会った『十傑』の内の一人――篠崎シア。
御幸はまだ寝ぼけているであろう少女に一言謝ると、こう言った。
「少し、付き合ってくれ」
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