白紙楼禊
極光が、辺りを照らす。その光に圧し潰されるかの様に、アリシアの華奢な体躯は宙を舞った。遠くにある石垣の所に背中を強打して、一瞬、視界が真っ白になる。
「……ぐっ、」
軽傷、既に『コラドボム』のリーダーと名乗る少年白紙楼禊との交戦は、実に五分を超えている。その中でアリシアは先ほどの氷柱の攻撃もそうだが、幾重にも彼に傷を負わせたはずだ。現にアリシアも軽いながら傷を負っている。だが――禊には目立った外傷は無く、先ほど付けた氷柱の傷はそこには無かった。これだけならば治癒の能力者なのかと思う訳なのだが、先ほど放った光の技や、多種多様な攻撃はその能力の分類を定めるのに労する。事実、アリシアには禊の所有する能力の種類が全く分からなかった。
「っ…………」
アリシアの様を見て、白銀髪の少女が口を開けて何か言おうとした。
痛切な何かが、心を撫でる。それは目の前の少女も同じだったようで。
「あの、禊さん……!」
「なんだい?」
「そろそろ逃げましょう。今の騒ぎで確実に来ます」
「……そうだね、俺もここで神代御幸とはやり合いたくないな」
禊の言葉に、何故かほっとする少女。アリシアはそんな二人のやり取りを見ながら、よろよろと立ち上がった。
「待ちな……さい……っ!」
既にアリシアの視界は薄くぼやけていた。平衡感覚が無くなってきて、只事ではない事は、自分自身が一番よく分かっていた。だけど――それでも。
「……ッチ、来たか」
「おおおおああああぁぁぁ――っ!?」
その時、上空から二人の影が差し込んできた。玄光と御幸だ。飛行というよりかは落下に近く、実際玄光は大きな声を上げて浮遊感を無くそうとしている。実は御幸の一件以来、落下恐怖症気味だ。御幸は即座に彼の背から離れて、アリシアの隣に着地。玄光は無論軌道修正も出来ずに、アリシアと禊達の間に割って入る様に落下した。
「――っ!」
少女が禊を守る様に前に出ると、落下地点に合わせて氷を出現させた。
「ちべたっ!? なんだこれ、氷か!?」
慌てて立ち上がる玄光に、容赦なく氷が襲い掛かる。
靴から徐々に這い上がって来る氷に、瞬間耐えがたい悪寒と頭痛が玄光を襲った。
何か、ヤバい。だが立ち上がれる気力すら、もう無い。寒い、吐く息が真っ白になるほど、寒い。御幸は玄光を引っ張り上げて、自身の後ろに下がらせる。
「大丈夫か玄光」
「うごごご……さ、寒い! あの氷に触れてから倦怠感と体の震えが止まらねぇ!」
玄光は今しがた起こった事を事細やかに説明すると、御幸は小さく頷いて、玄光の肩に触れる。その途端今まで起こった体の不調が全て治った。これが御幸の能力なのか……。
「って……そんなことはどうでも良い! 敵はどこだ?」
「お前の目の前だ、初出勤のくせに意外と男気あるな」
「どぉわあああ!? ……あ、あれ?」
目まぐるしく表情を変化させる玄光。その時、目の前の少女に視線が向かった。どこか、その少女に見覚えがあったから。氷の温度も、どこか懐かしさがある。
禊の右手がピクリと動くと共に、御幸が一線を引くように、手を真横に逸らした。一瞬で緊迫感が辺りを包み込む。あれだけ吹き続けていた風が、ピタリと止んだ。
「……お前がコラドボムのリーダーだな?」
「おや、かの世界最強の能力者に知られているとは、俺も名前が挙がったな」
「バカか。状況と情況を察したまでだ。……立てるか、アリシア」
御幸はアリシアの肩に触れて、能力を発動する。大体の状況を察した御幸は、ガブリエルが持っていたジャミングの機器に視線を向けた。ジャミング機器は御幸が一睨みしただけで煙を上げ、その効果を無くした。
「……帰ろう、ガブリエル。流石に今ここで事を起こすには、時期尚早だ」
遠くの方でサイレンのけたたましい音が聞こえる。禊の放った光の攻撃でようやく気付き始めた警察の連中が駆け付けようとしている。流石に二人で全員を相手するのは難しいと考えたのだろう、それとも他の理由があるのか。少なくとも禊は――撤退を選択した。
「ガブリエル…………」
その時、御幸に支えられながらアリシアはゆっくりと立ち上がった。
夏というにはあまりにも似つかない冷気がそこには漂っていた。
一点の曇りがない青々しい氷塊と、白く濁った氷塊。両者の氷は、造形こそ似ているが本質は違っていた。アリシアの氷は丸み帯びており、細かい微調整が出来るもの。
対して、目の前の少女――ガブリエルの氷は全体的に棘々しい。
だが、それだけだ。色も形もまるっきり違う。
だけど、どこか似ている。両者の氷を味わった経験を持つ玄光は、そう思いながら、あぁと、合点が行ったかのような顔つきになった。
「だから似てたのか……」
最初見たときに、アレっと思った。何となく、既視感を覚えていたから。
「なんだ、姉妹だったのか」
不審感が消え失せる。だが、同時に問わなくてはならない題が上がる。
その答えと言わんばかりに、アリシアとガブリエルの視線は苛烈な物だった。
赤い瞳が僅かに震えているのが見える。それは、戸惑いと衝撃から来るものだ。
対して、淡い水色の瞳は、冷え切った色をした瞳は、変わらずの視線を送り続けていた。
否――。
「戯言は、止めてください……私は、貴方なんて知りません」
僅かに、動揺の震えが確認できる。彼女は自身の腕を重ね、キッと睨むようにアリシアの方を睨む。それだけで、如何に両者の関係が拗れているのかが、玄光でも分かった。風が吹く。冷えた空気が暖流と交ざりあい、何とも言えない心地いい適温へと移り変わる。
「……行こう、ガブリエル」
その時、沈黙を貫いていた男が、そう口にすると共に、こちらに背を向ける。
しかし、少女は動かない。右足は動こうとしているが、左足はまだ地につけたままだ。
「ま、待ちなさいっ! アンタ、私の妹になにをしたの!?」
アリシアの声に、玄光は事態が想定した以上の事になったと気づき始める。
それほど、アリシアの声は怒りに満ちていて――悲しそうだったから。
そんな悲哀に満ちた声に、男は鬱陶しげに、アリシアの方に顔を見せる。
暗闇の中に潜む緋色の瞳が、アリシアを突き刺す。男の視線は冷え切っていた。
「地に捨てた名誉の為に言うが――俺はこの子に何も危害を加えていない。この子は拾ったんだ。やせ細っていた。虚ろな目をしていたよ……君がこの子の姉を名乗るのであるならば、どうして今まで探してやらなかったんだ? どうして、この子の手を取る事が出来なかったんだ?」
男の発言には、虚言を言っている様には思えなかった。
逆に、怒りさえも感じられる。男は激怒していた。目の前の少女の為に、怒りを露わにしている。
「それは……っ」
だが、その言葉は続かなかった。
どれほど言葉を重ねても、どれほど想いを連なっても。
『姉は助けに来なかった』――それだけが、真実なのだから。
「ま、待って! ガブリエル!」
少女が、早歩きでこの場から立ち去ろうとする。アリシアはその後を追いかけようとするがその時、アリシアの足元に氷が出現した。その氷はあらゆるエネルギーを奪う氷だ。それは生命力さえも及ぶ、正に全てを奪う絶極の氷。
「待って、お願い、ガブリエル……」
「ダメだ、それ以上触れると死んでしまう!」
氷の恐ろしさを知っている玄光が慌てて彼女の体を掴んで止める。今触れている彼女の腕も、衣服越しでも分かる程の冷たさだった。アリシアの顔は青白い。唇は少しだけ青く、真夏なのに白い息を吐いていた。これ以上は危険だ……と、玄光は彼女を力づくで引き留める。
「うるさいっ! アンタは何も知らないでしょ!」
「なんにも知らねぇよ! こちとら初出勤だぞゴラァ!」
微妙にズレた返答と共に、玄光は全体重を背に預ける。
それと拮抗するアリシア。だが、いきなり力が抜けた。
「うわぁっ!?」と地面に受け身無しで倒れる玄光。ピリリとした痛みが腰付近に走るが、そんな事よりもとアリシアの方へと視線を向かわす。
「待って、ガブリエル……」
アリシアは、ふらふらと這いつくばりながら彼女の方へ手を伸ばしていた。
氷が、アリシアが進むごとに消えていく。
それは、単なる射程距離の問題か、それとも――。
「お願い、待って……」
ふらふらとした歩みが、遂に止まった。
バタンと倒れるアリシア。それでも尚、手を彼女の方へと差し伸べる。
だが――それでも彼女は、振り返る事なく歩き続けていた。
「うるさい、うるさいうるさいうるさい……!」
声を聞く度に、頭の奥で唸る熱がハジける。
彼女の言葉と共に、知らない記憶が視界を横切る。
暗い、暗い世界で。熱い、熱い世界で、ただ唯一傍にいてくれた人。
「私の、私の姉さんはっ! あの時手を離さなかった! ずっと寄り添ってくれた!」
自分が何を言っているのかが分からなかった。
何を口にしたのか、何を言ったのかさえ、分からなかった。
ただ、ただただ――目じりから溢れる熱い『何か』を抑えながら、彼女はアリシアの目の前から消え失せた。
「……さて」
ガブリエルが去った後アリシアを抱えて飛び立とうとするが、その時御幸が禊に詰め寄るために一歩、足を踏み出した。
「ここで逃がすと思っているのか――?」
「逃がしてくれないかなぁ~。そっちの方が君の為になると思うよ?」
禊はニヤリと笑いながら、そう挑発する。
「……玄光、銃を」
御幸は右手に黒色のナイフを持ちながら、もう片方の手を玄光の方に向ける。
「え……」
「持っているだろ? その鞄の中に」
確かに、玄光は拳銃を持っている。何故そんな事を知っているんだとばかりに驚くが、状況が状況だ。直ぐに鞄の中から一丁の銃を御幸に投げ渡す。御幸はそれを受け取ると、迷いなく禊に向かって一発撃った。
「――ひゅう、怖いな。当たったらどうするんだ」
顔を僅かに逸らして避けた禊が、相も変わらずニタニタとしながら、御幸に詰め寄る。
「異能課特注の弾だ。当たったら死ぬほど痛いだけで死にはしない」
カランと空薬莢を落としながら次弾を装填する。残り弾数はあと十発程度。
「アリシアを病院に運んだら、直ぐにリースさんに――いや、創一さんに連絡してくれ」
「そ、創一って言うと……白馬創一か?」
「そうだ……任せたぞ」
禊の右手が淡く光を帯びる。――瞬間、御幸は禊に肉薄した。
ナイフの切っ先が禊に向かう。しかし、禊の右腕がその刃を弾き返した。
固い金属の音がする。驚く御幸に、ただ禊は一言――。
「ここじゃ人気が多すぎる――場所を変えよう」
その瞬間、玄光の目の前で二人の少年の姿が忽然と消え失せた。
後に残るのは、弾痕とたった一つの空薬莢のみで。
「み、御幸……!」
玄光は一気に涙目になるが、御幸の言葉を思い出した。
今、玄光の心にあるのは恐怖心なんかではない。
「御幸が……オレを信用しているんだ……ッ! や、やってやろうじゃねェか!」
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