狂崎一矢
時は少し前に遡る。
「何? 脱走した?」
荘厳な雰囲気を醸し出す室内にて、電話に出た赤髪の女性――折木真理はそう言葉を零した。電話の相手は知り合いの男性。警察の上層部に位置するその男性は、少し慌てた様子でそう言った。
Aランクの囚人が脱走した。
護送中の事らしい。突如、何者からの妨害により、狂崎一矢はこの街に解き放たれた。
「黒色のコート……ねぇ」
「手助けした奴の所在は今も分からない、現在追跡班が全力で追跡しているが、野郎手馴れてやがる……こりゃ、あんまし良い結果は貰えなさそうだ」
「そうだな……それよりも、今は狂崎の捕獲を最優先にしたいのが、上の考えだろう」
狂崎一矢はAランク能力を持っている犯罪者。まだこの事は世間には広まっていない。情報統制をしているのだ。
奴の能力は強化系。能力名『
だが――
「コイツの厄介な所は作り出した仮想の筋肉を実物の物に変える力だ。つまるところ――」
「能力を使い続ける事で、自身の身体能力も上がるという事か。……なるほど、これは確かに重大だな」
電話越しで黙り込んだ気配を感じつつ、真理は思考を加速させる。
「……どうだ、今、警察の方で作戦会議が行われている。俺はその会議に参加できないが、上層部と掛け合ってみるか?」
「いや、大丈夫だ。ここで機会を潰す訳にもいかない」
「そうか……どうしてだ?お前の所には、あの子がいるだろう」
あの子とは、恐らく彼の事を指しているのだろう。黒髪の、あの少年。
彼の能力を、男は知らない。だが、その実力は知っている。数年前、まだ彼が中学生の時に受けた実技試験を思い出しながら、真理にそう言った。
「いや。彼の能力とアレは相性が悪い。恐らく――」
「ま、敗けるって事か!? あのバケモンを!?」
男はその後口をつぐみ「スマン」と謝る。
真理の怒りが室内を飛び交いながら、真理は何とか冷静さを保った。
「だが、それぐらい驚いたって事だ。……まさか、敗けるなんて――」
「敗ける訳が無い。ただ、少しばかり本気を出さなければ勝てない。そういう相手だ」
「なら、いいじゃないか。そこに何の問題が?」
「……彼に本気を出させてはダメなんだよ。それでもし、『暴走』したその場合、被害は『コラドボム』のあの事件の、それ以上になる可能性がある」
「……だが、彼の能力はFランクだろう。暴走したとして、ランクが最大でも二つ上がるだけだ。そんなに脅威だとは思えないが……」
強大な能力は、大いなる危険を伴う。
自身の能力が制御しきれず、暴走してしまう能力者は多数いる。
その大多数が、Bランク以上の高ランク帯の能力者だ。
例えFランク能力が暴走したとしても、せいぜいBランク程度になるだけ。
それならば、一般の警察でも複数人で叩けば十分無力化出来る。
「……普通通りに過ごしていれば、出会うはずはない。それに――」
時は再び現在へ。
目の前に相対する男に、御幸は少なからず警戒心を露わにさせた。
逃げるべきか……そう、自身の横にいるアリシアをチラと見ながら、だがその考えは甘い物だとすぐに分からされる。
――目の前に、投げ飛ばされた車の影が見えたからだ。
その事に、周囲にいる人が悲鳴を上げながら我先にと走り去る。
「あっ……」
その人ごみの雪崩についていけなかったのか、一人の少女が足を囚われて転んでしまった。
鳶色の髪をした、アリシアと同じ色の学生服を着た少女。
遥か遠くの方で、友人らしき人物が血相を変えて叫ぶ。が、その声は悲鳴によって掻き消された。
一人取り残された少女の目は、落ちようとしている車に、両目が絶望の色に染まる。
「……っく」
その目の前に、一つの人影が現れる。
炎上する赤い車。機種も会社も何も分からない。
ただ、唯一分かるのは、それが落ちた瞬間、二人の命が失われるという事だけ。
少年は、それを前にして、ただ右手を横に振るった。
突如、見えない力が働き、車は右方向のガードレールに突っ込む。
突っ込まれた車は爆発し、大きな破片が飛び散る。その破片の動きを停止させる。
その後、緩やかに残骸はアスファルトの道路へと落ちた。
「ここは危ない、早く逃げろ」
爆風に煽られながら、御幸はへたり込んでいる少女へと手を差し伸べる。
「あ、貴方は……」
「俺は警察の人間だ。ここはすぐに戦場になる。早く……逃げ――」
「――おいおい、まさかそれで終わりだと思ってねぇか?」
瞬間、遥か遠くにいたはずの大男が、一瞬にして御幸らの前に現れた。
瞬間移動の能力者か、やつの体は赤く、蒸気を発している。
目は正常な瞳をしておらず、その目は濁っていた。
そして、御幸の瞳が、奴の振りかざす拳を映して――バァン!!
御幸の不可視の力が働き、見えない壁が男と御幸の前に立ち憚った。
「ぬわっ!? あぁ!? んだよこれ!!」
男はその丸太に近い太さの腕を振るって、目の前にいる御幸に殴りかかる。
しかし、どうやっても御幸には近づけない。見えない力によって遮られる。
男は怒りが募り、段々と殴る速度が上がっていく。その威力は、アスファルトを砕き近くにある車は風圧によって吹き飛ばされる。
(凄まじい威力だ……強化系の能力と見てよさそうだな)
「この守りも長くは持たない。早く!」
「は、はい……!」
少女は、御幸の声と目の前まで迫る狂人に立ち上がると、一目散に走っていった。
「アリシア……お前も行け。この男は少し厄介そうだ」
「け、けど!」
「ここでアリシアの存在がバレてはいけない。いいから、さっさと逃げろ」
アリシアはいつもの私服ではない、制服姿だ。その姿でもし戦う事になると、後々面倒な事になる。
「……絶対、戻ってきなさいよ」
「あぁ」
最後まで悩んでいたアリシアだが、最後はそう言いながら、逃げ惑う人々の波に乗じて行ってしまった。
御幸のその発言に頷いて、後方へと下がる。
アリシアの背が小さくなっていく。周囲には誰もいない。それらを確認した後に。
凄まじい風圧と暴力の中、御幸は呼吸を整えて――能力を解除した。
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