脱走

 2022年 7月17日(日)


(――つまらねぇ)


「……では狂崎一矢をそちらに。えぇご安心を。強力な麻酔を与えていますので」


 暗い車内の中、男の声が聞こえる。

 チッカチッカと、ハザードランプの小刻みな音と共に。

 話す内容は、ありふれたものでは無いが、それでも日常の延長線上にあるような話で、男の身なりも相まって、ただの会社勤めのサラリーマンかと思わせる。


 ――その後ろで、あり得ない量の拘束器具を科せられている男がいる事を除いては。


(眠い……)


 欠伸あくびを噛み殺しながら、目を開けようとするが――目隠しをつけられていて出来ない。椅子は随分大きい。が、男の図体はそれを遥かに超えていた。


 A級犯罪者――狂崎一矢。26歳。


 彼に関して語る事は少ない。五年前に起きた殺人事件……その犯人として五年間牢屋にいたが、遂に死刑が決まったと言う事で、今から別の方へと護送される最中である、どうしようも無い人間。


 彼の周りにいるのは、五人の護衛達。

 それぞれが高ランクの能力者であり、戦闘経験も豊富。

 彼らはただ静かに、車が動くのを待っている。

 ――そして、遂に車が発進した。


(つまんねぇ人生だ……五年前は良かった。全てが楽しくって、命がリアルに感じられた)


 曲がり角を数回曲がる感覚に、狂崎は恐ろしく感じた。

 死への恐怖ではない。このまま、退屈な日常を送りながらつまらない死を向かうのかと、そう思ったのだ。


(冗談じゃねぇ……ッ!)


 暴れたい気持ちが、体を突き動かす。

 次だ。次、車が曲がったら暴れてやろう……と、そう思った時。


「な、なんだっ!?」


 ガンッと、横から衝撃音が鳴り、車が激しく横転した。

 この車は、護送用の車であり、通常の護送車とは比べ物にならないくらいに硬い。

 その車が押し倒されるなど、よほど高火力の物をぶつけなければ到底出来ない事だった。


 囲んでいた護衛人の二人が、そっと出口を開ける。

 外は明るかった。まだお昼時刻。人混みを避けるように車を動かしていたので、辺りには人はいなかった。いや――一人だけ、いた。


「貴様、何者だ――」


 一人、また一人と異変に気付き、そして車内には一人の護衛を残して出て行ってしまった。車の横転から早五分。運転手は気絶しているのか、それとも死んでいるのかも分からない。そして――最後の一人も、出て行ってしまった。


 ――彼らが戻ってくる事は無かった。


「……しまった、少し力加減を見誤ったな」


 その変わり、一人の声が車内に響く。

 かちゃりと、拘束器具を一つずつ外していく。

 最後に、目隠しを外した狂崎は、彼の背にある日差しに眩しそうに眼を細めながら、だがしかし、数秒後には目を見開く。


「ボ、ボス……ッ」


「やぁ、久しぶりだな、狂崎」


 その男は、喪服のような黒色のシャツを着ていた。

 その上から更に黒色のコートを。真っ黒な髪と冷え切った瞳をしていた。

 靴には、僅かに赤い液体が付着していた。


 狂崎は久しぶりに見るその男の素顔を良く見ようとして――その瞬間。


「勘違いするなよ」


 男はそう狂崎を軽く押しのけながら、影へと身を潜める。


「『コラドボム』はヘマをした人間を許さない。それは、幹部であるお前も同様だ」


「……ゥ」


 狂崎は、その言葉に少し項垂れた。

 だが、すぐにパッと顔を上げて――満面の笑みを浮かべた。


『コラドボム』は失敗を許さない。裏切者もまた同様。一度でもヘマをすれば即始末される。だが、ボスが見込んだ者には一度だけ、チャンスが与えられる。


「お前には、ある人物を勧誘してもらいたい……そのためだけに、お前を救出した」


 男は狂崎に一枚の写真を渡す。

 薄暗がりの車内の中、だが狂崎のぎらついた目は、写真の中の男をしっかりと視認出来ていた。


「――神代御幸、世界最強と噂される能力者だ」


 その写真には、とある映像の一部を切り取った後があった。

 やや朧げだがそこには黒髪の少年の姿が映っている。


「……どうした、狂崎?」


 狂崎の体は震えていた。

 ぶるぶると、そして――思い切り叫び回った。

 拘束器具が散り、車内は一瞬にして廃車と化す。


「違ぇ、逆だ。嬉しいンだよボス……! こんな……最強だろ! だったら……最高の殺し合いが出来るじゃねェか!」


 そう、狂崎は狂ったような笑みを浮かべながら、写真をぐしゃりと握りつぶした。 

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