高屋敷澪

 二〇二二年 七月十六日(土曜日)


 その部屋は、暗かった。

 その部屋は、冷たかった。

 部屋の中にあるのは、一つのベットと机と椅子。それと、四角い電子機器。

 部屋からは、音が聞こえる。パチパチ、パチパチと。


 青い光が、唯一の光源だった。


「……ふむふむ、ふむふむ」


 一人の少女が、椅子――ゲーミングチェアーに座り、最新のパソコンをカタカタと鳴らしている。緋色の瞳が光によって淡く輝く。

 身長は小さく、椅子から足が届かないので、足も椅子に乗せている。


 髪は、少女の腰付近まで届くほど長い。小さい手で大きなキーボードを叩く様は、やや微笑ましい光景ではあるが、暗い室内と、その早すぎるタイピングには戦慄を隠せない。


「ははぁ~ん、こう来たか」


 少女は時折何かを発しながら、数秒考えこんだ後、再度タイピングを始める。


「……入るぞ」


 その時、部屋と廊下を通じる一つしかない扉が開いた。

 黒色の少年が中に入る。すると目の前には、暗い室内で、一人寂しくパソコンを弄る同業の姿が。


「……電気を付けろ」


「わぁ! 御幸君かい?何しに来たんだ!?」


 パチッと電気が走り、光が灯る。

 その時、ようやく少女がこちらを見た。目を丸くさせている。

 そして、照明の光に目を細めながら、か弱い声で、


「と、とりあえず……消してくれないか?とても眩しいんだ……て、おい、カーテンを開けるな!眩しいだろ!」


「人類にとっては適切な光量だ! ……お前、また髪が……その服も、一体どのくらい外に出てないんだ?」


「き、君には関係ないだろ!髪は勝手に伸びてきたんだ、僕は知らないぞ。洋服は三日に一回は変えてるし、お風呂だって毎日入ってるよ!」


「……外は? 人との会話は?」


「そ、外は……あ、そうだ。一週間前コンビニで話したよ!」


「コンビニの接客だそれは! それに、それを会話とは呼ばん!」


 呆れながら突っ込む。御幸は、クーラーで汚染された部屋を窓を開けて換気する。


「な、なんだよ~……いいじゃないか、僕にはパソコンがあるんだ。会話なんて、チャットだけで十分じゃないか。それに、会話する奴なんて、君さえいてくれれば十分なんだ」


 涙目になりながら、太陽の光に「うわ~!」と手で影を作る。

 白色の髪は結構な量だ。そして、やはり彼女の腰付近まで伸びている。


「それだけじゃ、駄目なんだ。とりあえず――」


 御幸は手に持ったブツをずいと彼女に渡す。

 水色のソレと、白いはんぺん――。


「ま、まさか……」


「そう――掃除だ」


 否、雑巾とバケツを渡した御幸は、そう言った。

 




 神代御幸が所属する組織――『異能課』は、現在五人で構成されている。

 その中で、直接現場に赴く戦闘班が御幸とアリシア。司令塔がリース。そして――『異能課』の要。情報班(一名)を任せられている人物が今目の前にいる少女――高屋敷澪だ。


「……い、いきなりこんな麗らかな少女の部屋を訪れて、剰えボクに掃除をさせるとは……君は生粋の掃除人か?」


「アンタの執事に泣かれたんだよ。それに、要件があるっていっただろ。掃除に関しては……いや、この部屋だと病気になる。当たり前の事だ」


 太陽の光が籠る部屋で、澪はそう汗を拭いながら、むすっとした顔で言った。それに正論で返す御幸。彼は、床下にあるクッションの上に座っている。

 クーラーは再起動させている。冷ややかな風が部屋を駆け巡る。


「――体は大丈夫かい?」


 澪はそう言いながら、心配そうに御幸の体を覗き見る。


 つい昨日、暗部と思わしき男に奇襲された御幸は、酷い怪我を負ったのだ。本来であれば、一週間程度はかかる重傷だったが、御幸の自然治癒力が高かったのか、それとも医者の腕が良かったのか、まさかの一日という異例のスピード退院を終えたのだ。


「今日がその日だったんだろ? ……ま、まぁ?ボクに会いたい事はよくわかったよ」


「あぁ。どうしてもお前に会いたかった」


「~~~~~っ、御幸君、ボクがいない間に随分と女慣れしたそうじゃないか」


 御幸の言葉にクッションを抱きしめる澪が、顔を押し付けながらそう言った。

 僅かに耳が赤くなっている。御幸はそれに気づかず手前にあるPCをじっと見ていた。


「前もって言ったはずだ。……『コラドボム』の詳細が知りたい」


 その為に、ここに来たのだ。

 御幸はそう言いながら、彼女越しにあるパソコンを見る。

 ブルースクリーンの上に、様々なタブがある。


「……あぁ、さっき終わったところだよ。流石、今まで誰も素性を知らない組織だ。裏サイトを転々としたけれど、中々足取りを掴ませてくれなくてね」


「けど――掴んだんだろ?」


「勿論。インターネットでボクに敵う奴がいないって事、知ってるでしょ? 今はそのデータを引き抜き中」


 ロード画面を見せながら、ふふんと自慢げに話す澪。

 その発言に、御幸は少し微笑えんだ。

 


「それで――『コラドボム』について何が知りたいの?」


「出来れば、全て知りたい。資料は一応目を通したが、分からない漢字が多くてな」


「……高校、通ってないの?」


「あぁ。金の無駄だと思ってな」


 御幸は持参してきたアイスを頬張りながら頷く。

 その事に、カップのアイスを食べようとスプーンを運ぶ手が止まった。

 水色の瞳が揺らぎ、それは明らかに動揺している様だった。


「え……それって大丈夫なの?」


「あぁ。少なくとも、一般常識は中学で教わった。それにこの仕事をし続ける以上、高校というのは、束縛以外何物でもない。……まあ、こういう所では困るのだがな」


 御幸の素性上、高校に行くだけでも大変だ。

 そして、これは親権を持っている真理が、彼の能力が知られるのを防ぐ為でもある。


 御幸は対して気にせずに過ごしているが、一応高校には通っている澪からすると、それは技術的特異点シンギュラリティが起きた時と同じくらいに信じられない物だった。


「……澪?」


「あ、いや……何でもない。うん、じゃあ最初から話すとね――」


 澪は、御幸に分かりやすく話す。時間にして約十分。

 澪が話した内容をまとめると。


『コラドボム』は、第三都市を主に活動する過激派組織である。

 結成した時期は不明だが、ちょくちょくと事件を起こしていた。しかし、当時チンピラ集団だと見なした警察はあまり問題視していなかった。


「起こした事件も、生死が掛かる物じゃなかったからね。それに――その頃の第三都市は、来る『技術特異点シンギュラリティ』に向けて躍起になっていた」


「なるほど……。アイス、もう一個あるが食べるか?」


「あ、食べる食べる!いやぁ、朝から何も食べてなくてさ。カップ麺は切れちゃったし、最悪レーションだけでもいいかなって」


「……今夜の夕食は俺が作るよ」


 澪の生活能力の無さに今更ながら危機感を覚える御幸であった。


「それで……『コラドボム』の名が広まったのが――」


「北海道の第二都市の事件……か」


 二〇一六年十月六日。第二都市(旧函館)にて。

 その日は、そこに住まう能力者の学生達が一斉に行う行事――『学園祭』があった。

 大々的な催し物であり、世界中から観光客が集まる一大イベントでもある。


 この日限りは、非能力者も都市内に入ってもいいという事で、いつも以上に警備は厳重だった。


 しかし――


「……これは、俺でも憶えている。とてつもない被害が出たんだってな」


「そう。一般人も能力者も含め約一万人が死亡、十万の人が負傷を負った、痛ましい事件だ」


 澪が目を伏せ、パソコンを弄る。出てくるのはその日に流れた緊急ニュース速報だ。

 連なる高層ビルが濛々と黒い煙を上げており、奥からは、火の手が見える。

 近辺にある建物は、まるごと全焼し、焼け爛れた天幕――そこに掛かれた『学園祭』という可愛らしいキャラと共に書かれたフォントが、余計に痛ましさを増す。


「この一件で、『コラドボム』は第一級過激派組織として、マークされた」


 澪が、ぽつりとそう言った。

 御幸は、映っているニュースを見ながら。


「あの時……警備は厳重だったはずだ。それに、第二都市は非常事態での訓練がなされていた。それなのに、これだけの被害が出るという事は――」


「誰かが情報を流した……そう言いたいんだね。実際、その線は当たっていると思うよ。当時の警察の目を掻い潜って、剰え、第二都市の『十傑』達に気づかずに行うなんて、不可能に近い」


 澪の言葉に、御幸は俯いて考える。

 しかし、考えても犯人像は浮かばない。もしかしたら――という憶測だけの論理は、風と共に夏の空に流れ消えた。


「……暑いな」


「夏だからね……」


 じわじわと蝉の鳴き声がする室内。

 エアコンは稼働しているが、しかし効くのはまだ少し時間が掛かる。

 両者共に、汗で服を濡らしている。基本的に運動をしない澪は、先ほどの掃除でだいぶばてている様だ。会話も最中も、引っ切り無しにアイスを頬張っていた。


「……風呂、借りてもいいか?ひと汗流したい」


「いいよ~。風呂場は――」


「一階の、キッチン辺りだろ。


 御幸は立ち上がり、そんな事を言いながら、澪の部屋から出る。

 パタパタと、一階に降りながら、御幸はぽつりと言った。


「……ここも、随分と寂しくなったな」


 掃除は行き届いているが、生活臭が無い。

 リビングの棚には、写真立てが複数あった。しかし、それだけだ。

 それ以外の物が欠如している。この家の――家庭での思い出の品は、それしか存在しない。


「――――」


 温かみがあったこのリビングは冷めてしまった。

 そんな事、この場所を通る度に感じている。だが、どうしても心が追い付かない。

 その温かみを知っているのは、もう二人しかいない。

 御幸は、キッチンの横にある扉へと入り、ドアを閉める。


 ――写真に写っていたのは、幼い頃の澪と、もう一人――黒髪の少年の姿が映っていた。

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