リース・エリック
「おう、お疲れさん……一昨日は悪かったな。
現在の時刻は午後二時半。
都市部から少し離れた廃ビルの室内――そこでは、先ほどまで戦闘があったのか、床や壁の一部が破損していた。そして、柱には男が複数人括り付けられていた。
男たちは気絶しているのか、一向に動く気配を見せない。
それらを前にして、一人の少年が椅子に座ったまま、話しかけた奴の持つ袋に、視線を向ける。
「……腹、減ってるだろ? 少ないけど、買って来たぜ」
「ありがとう……ございます」
ぼさぼさの白髪をまとめた、老人だ。
しかし、胸元から見える筋肉は、分厚く、そして傷が少しある。
老兵――リース・エリック。これでもまだ現役らしい。
因みに、先ほどの発言は一昨日起こった山田玄光が発端の事件だ。
こうした突発的な事件は、防げないからこそ迅速な対応が求められる。
『異能課』の中で狙撃手の役割を持つリースは、すまなさそうにそう言い、手に持っていたレジ袋を少年の前に掲げる。
袋の中にあるのは、缶タイプのコーヒーと、サンドウィッチ二袋。
包装を剥がして、プルタブを開けて、それぞれを胃の中に放り込む。
味など気にしない。ただカロリーと栄養さえ取れれば満足だ。
「しかし、すげぇな」
リースは、驚嘆の意を露わにしながら、辺りを見渡す。
――少なくとも、死者数は出ると思っていた。
ここは、所謂反国家の組織の拠点であり、数日もすれば、この都市から夥しい程の死者数が出るほどのテロが起きる……と、スーパーコンピューターから予測結果が出たのだ。
この廃ビルの地下からは、大量の武器が発見された。爆薬も数トン単位ある。
制圧するのは、少々困難かと思われたが――。
(御幸が、全て片付けた。しかも死者も出さずに……流石、最強と謳われるだけはあるな)
彼が現場に着いたのは、三十分前。
廃ビルの周りには、警察隊で一杯だった。
しかし――。
『後は俺がやりますので、皆さん、離れてください。早く終わったら俺牛ど……いえ何でもありません』
そう言って、そして本当に一人で全部片づけたのだ。
少年には目立った外傷は無い。呑気そうにサンドウィッチを飲み込んでいる。
コーヒーを全て飲み干した時……御幸は口元を軽く拭きながら言った。
「いや……これで終わりじゃない」
「そりゃあ……どうしてだ?武器はあらかた回収した。
リースは下から聞こえる警察隊の捜索音を聞きながら、辺りを見渡す。
華美なソファと机。取引するためだろうか、そこだけが綺麗にされていた。
そして、ここに来るまでの各階の部屋を、リースは思い出した。
「あぁ—―そういうこと」
「……ここは、反国家組織の拠点だ。それにしては、休憩できる場所が少なすぎる。俺が見てきた中では、そこのソファだけが腰を落ち着かせられる場所だ」
「そうだな。どんなに貧困に喘ぐ国の組織も、簡易的なベットは沢山あった」
「それに、食料だって少ない。保存食なんて物はここには無かった」
御幸は窓の外にある雲を見つめる。
しばらく沈黙していたリースが、呟いた。
「
「その可能性が高いと思う。恐らく、情報が漏れたんだろう。それで連中のトップはここを離れた。部下たちを置き去りにして」
「……いや、そんな奴がこんなヘマはしないはずだ。相手は恐ろしい程に狡猾で、残忍だ。何せ、今でも素顔が分からないんだからな」
コラドボムは、第一級危険組織に認定されているほど危険な組織だ。
だがしかし、今も尚しっぽを出さないどころか、誰も素顔を知らないという。
警察の情報網を以てしても、未だにだ。
風が、割れたガラス窓から室内に入ってくる。
御幸は、食べ終えたゴミをレジ袋に入れる。もうここにいる理由はない。
そう立ち上がった瞬間――。
「はぁ……はぁ……お前だな! 俺たちを襲った奴は!」
下から数発の銃声と、どたどたと慌てて階段を駆け上がる音が聞こえた。
そして、バンと扉が開けられる。廊下にいたのは、一人の青年だった。
震える手で拳銃を握りしめている。その銃口は、手と同じくぶるぶると震えていた。
下手な刺激は逆効果だ。
「その銃を捨てろ。そうすれば、俺達はお前に危害を加えない」
「……ッ舐めやがって!」
最低限の配慮をしたつもりなのだろうが、その年の若さ故に煽りとして受け取られたのだろう。激高した男の顔が歪み、そして引き金が引かれた。
それと同時に、リースが動き出す。しかし、いくら歴戦の兵士と言えど普通である以上、銃弾を見えるどころか、庇うために動くには距離がありすぎた。
しかし――少年は普通では無かった。
「う、嘘だろ……ッ」
「……っ」
目の前で起きた現象は、リースでさえ目を疑うほどだ。
能力は、この都市に来てから毎日の様に見ている。
だが、能力と言っても、口から炎が吐けるとか、腕が360度回転できると言った、いわば個性の延長みたいなもので、だがしかし、これはそんなチャチな物では無かった。
――少年の目の前で、弾丸は静止していた。
否、動いてはいるのだ。回転が、リースの目にもはっきりと見えた。
だが、推進しない。何かに憚れているかの様に、1ミリも進みやしなかった。
やがて、回転が止まった銃弾をつまんだ少年は言った。
「危害は加えない。話を聞いてくれないか?」
「――ば、化け物!!」
恐怖なのか、蒼い顔を浮かべながら、青年は銃を乱射する。
しかしどの弾も、少年の前で停止してしまう。
そして、青年は横から割り込んできたリースに首を絞められ、そのまま意識を手放した。
「……ありがとうございます。リースさん」
「何、こんぐらいやらないとな……それと御幸、怪我は?」
彼の服装からは、赤い物が見えない。
御幸は両手を広げて、大丈夫ですとアピール。
弾丸は、ぱらぱらと地面に落ちている。
御幸は用は済んだとばかりに、階段を下って行った。
「……」
落ちた弾丸を、気兼ねなしに拾ってみる。
弾丸は、まだ若干の熱が籠っていた。
「運動エネルギーはそのままに、銃弾をその場所に固定させたのか……? ますます訳が分からないな……」
リースはそうため息を吐きながら、気絶した青年を担いで部屋から出て行った。
==
リース・エリックはロシアの傭兵だった。
能力名は『
幾度と無く命を狙われ続けて来て。そうして――折木真理と出会った。
「日本で、能力犯罪者の取り締まりを?」
「そう。第三都市の事は知っているだろう? そこに、大規模な組織を作ろうかと思う。警視庁のトップに貸しがあってね……小規模程度ならの条件で、許された」
折木真理との出会いは、とあるバーだった。
借金に借金を重ね、自暴自棄になったままバーに入り浸る日々。
しかし、その借金を一括で支払ってくれた女がいる。それが、出会いだった。
そしてだらだらと、八年が過ぎた。
2018年12月8日(金)
この日、リースは半年ぶりに真理と再会した。
とは言っても、洒落たバーでの再会などではなく、単に彼女の仕事場に赴いただけなのだが。
「公安部『異能課』――まぁ、まだ実験的な組織だけどね。それでも十分さ」
「俺はアンタに借りがある……好きに使え」
「あぁ、そうさせてもらおう。なに、別に死地に向かわせるつもりじゃないさ」
「それじゃあ何をやればいいんだ? 生憎、俺は殺し以外何も出来ないぜ?」
リースが出来る事は殺しのみ。
何しろそれしか取り柄のないジジィだ。
他のスキル……例えば生活能力など皆無である。
この歳になって、未だに洗濯が出来ないジジィであった。
曰く、最先端の洗濯機を一回の使用でゴミ屑と化してしまうのだとか。
「殺しの仕事もあるさ。その相手が能力者に代わるだけで。気を付けた方がいいぞ」
「は。能力者と言っても、
壁際に飾ってある、愛銃である大型狙撃銃――L96A1を見ながらリースはおどける。東京にある第三都市は、その殆どが三十代以下で構成されている。
そんな青二才に、敗けるはずがないと。
「……ま、いいか」
真理はそんなリースを見ながら、話している最中でも、キーボードを叩く指を止めない。
「……ん? なんだ、そのガキは」
「あぁ、最近拾ったんだ」
デジタル時計の下には、風景の写真が流れていたが、そこが突然、子供の顔が映る。中学生だろうか。黒色の制服を来て、そこには真理もいた。両者とも、ぎこちない笑顔とも何とも言えないような顔をしながら、それは学校の校門前での写真だった。
「へぇ、まさかこいつも能力者なのか?」
「あぁ――その子も異能課に入っている。異能課は現在四人で、内一人は情報班から借りてきた子だ。つまり――戦えるのは、その子を含め三人しかいない」
「はぁ!? 大丈夫なのかよ……」
リースは、まじまじとその少年を見つめる。
何だか、冴えてそうで冴えない男だなと思った。
人の事は言えないが。
「その子は……いやその子だけは、甘く見ない方が良い」
「……元『SSSランク』であるアンタがそこまで言うなんてな。なんだ、奴の何を見た?」
真理のその発言に、嘘は無かった。
それは長い付き合いがあるリースだからこそ分かる。
リースは驚きを隠しつつも、真理に尋ねた。
「秘密だ。お前も、知って良い情報と知らなくていい情報の区別くらい分かるだろう。実を言うとね、この件は内閣総理大臣も関わっている。政界に長く居座った彼が、この少年の所在を探している」
「……そんなに、ヤバい能力者なのか?」
真理のそのただならぬ気配に、リースは唾を飲み込んでそう言った。
「
その発言に、リースは背筋を伸ばす。
リースは煙草の箱に手を伸ばすが、真理の鋭い視線に、しぶしぶと戻す。
真理は、後ろにあるガラス窓の方へと視線を向ける。
第三都市――それは、能力者だけの都市。
世界は今、混沌と化している。日本だけでも、能力者に対する偏見と差別は未だに根深く。南米アジアの方は『能力者狩り』と呼ばれる能力者の大量虐殺が行われている。
また、能力者を神と敬う宗教や、軍事目的の為に能力者を集めている国や、人工的に能力者を増やそうと画策する国もいる。
第三都市は、それらを未然に防ぐために作られたものだ。
そして、その秩序を守るのは、正すのは警察や公安なのだ。
「君には、彼らの監視を頼みたい。私が見てきた中で、トップレベルの能力を持つ者を集めた……だが、彼らはまだ幼い。たった一度の傷が、一生残る物になる可能性だってある」
「おいおい、俺にガキのお守りなんて出来ねぇよ……」
「それを言うなら私にだってそうだ。ほら、さっき何でもするって言っただろ?」
ぐぬぬと唸るリース。目の前の女がほくそ笑む。
八年間、何度もやってきたやり取りだ。まあ命が掛からないだけいいかと、リースは銃をショルダーに閉まって、部屋から退出しようとする。
「……くれぐれも、彼の能力について探らないように」
その発言は、また別の意味を込めているかのように感じた。
「へいへい。わぁーりましたよ」
彼女の一言に、少しばかりの好奇心を生まれつつも、リースはそう言って、部屋を出た。
そして、彼は出会う。その少年に。
――世界最強の、能力者に。
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