神代御幸という少年

 2012年 9月21日。


 その日は雨だった。

 どんよりとした曇り空からは、それ相応の雨が降っていた。

 何の変哲もない、ただの雨の日。しかし、少年の目に映っていたのは、雨なんか気にならない程の惨状だった。


「……はぁ、はぁ、はぁ」


 小さな路地裏には、少年と少女がいた。

 黒色の髪をした少年は、自分より一回り小さな少女を抱えていた。

 少年の目の前にいたのは、黒色のコートを着た女と、もう一人。

 秘書なのだろうか、女は黒色の傘を、もう一人の方に刺していた。それだけで、女の立場が如何に高いかが分かった。


 ――アスファルトの道路に、血が染み渡る。


 赤色の絵の具の塊を、水に落としたように。水は徐々に赤く染まっていく。

 道路の脇には、何かがあった。人間だったもの、人間のをしていたもの。

 異様な光景だった。少年の瞳は、それらには目を向けていない。

 女もまた同様に、少年と少女の方しか見ていない。


「……こ、この子を……結を……」


「――――」


「熱が出てるんです……ここ数日、ご飯貰えなくて……ぼ、僕は大丈夫ですから、結を、結を……助けて!」


 少年は、そう涙ながらに抱きかかえた少女を、女の前に差し出す。

 少年は、泥だらけだった。血と泥がこびりついた肌に、ここから見ても分かる程、全体的にやせ細っている。むしろ、彼女より少年の方が重症だった。


「――――」


「な、何でもやります!僕、何でもやります!だから、だから……」


「……式、救急車、呼んで?後片付けは私がするから」


「折木さん……この少年は――」


「いい人材だ。この子は……私が預かるよ」


 女は傘から離れて、少年の方に顔を近づける。


「……君の名前は?」


「ぼ、僕の名前は――」


 ==


 2022年 7月14日(木曜日)


 空は快晴であり、日差しはじりじりとアスファルトを容赦なく熱する。


 ここ――東京都の中心に建立された都市――『第三都市』。日本に三つだけある都市。住民の多くは能力者であり、街中での能力は、危険度が低い能力限定で許可されている。正に、能力者の為の都市。東京以外では、北海道、大阪に設立されている。


 都市の中でも、建造物が集中的に集まる場所――新宿にある、とある高層ビルにて。



「お疲れ様、御幸君」


 御幸君――と、そう呼んだのは、赤髪を掻き分けた女だった。

 女は一台数十万は下らない程の黒色の革で作られた椅子に座っていた。

 総額数十万以上のスーツを身に纏っている。平均よりも遥かに大きい胸は、大胆に開けており、胸の谷間付近にあるほくろは、否が応でも目に入る。女のいる部屋は、大企業の社長室かと思うほど、荘厳な雰囲気に包まれていた。


「君のお陰で、また今日もこの街に安泰が――」


「世事は良い――今回の報酬は?」


「……つれないねぇ」


 その部屋に、一人そぐわない奴がいる。

 黒色の髪。灰色が混ざったような、混沌とした目。

 せっかく買ってあげた、高いシャツはよれよれだ。

 その台詞と態度は、これが地位と金を手に入る変わりに得た堪忍袋の緒の短さを持つ、他のお偉いさんならば、顔を赤くさせて机を叩くだろう。

 しかし、この女は違った。


「報酬はいつも通りに、君の口座に入れておいたよ」


「……そうか」


 苦笑いでスマホをタップする少年。

 そのタップ一つで、今、諭吉十人が彼の口座に送られた。

 御幸は、それだけ言ってその部屋を出ようとする。華美ではなく、荘厳な木製のドアが、彼を出迎えた。


「待ってよ御幸君……せっかくの機会だ。どうだい? これから食事でも」


 掛けられた時計が指示したのは午後12:30頃。

 確かにお昼時だ。現に、御幸の腹は空かせており、今もなお、胃は固形物を求めている。


「確かに腹は減っている。……だが、アンタとは食いたくない」


 ドアを開け、閉め際に彼はそう言った。

 バタンと閉められるドア。それを目にした女はため息を吐き、


「嫌われたものだね……」


 窓を開け、街の様子を見ながら、女――折木真理は、胸から煙草の箱を取り出して、口に加える。ジジジッ……と、火が灯った。


「あの日から、もう十年か……時間が経つのは早いね」


 煙を吐き出す。

 白色の煙は、風に流され、外に排出される。

 真理はくうくう鳴る腹の音を無視しながら、次の仕事に取り掛かった。


 ==


「さて……なんか食うか」


 ビルから出た御幸は、その足を繁華街へと向ける。

 安くて美味い牛丼チェーンか、それともゆで汁太郎とか言うお蕎麦チェーンか。

 存分に金を貰ってはいるが、やはり生来からの貧乏性は健在だ。

 財布の中の千円を握りしめ、赤色の看板がある店へと向かう。胃袋は肉を求めていた。


「――や、やめて下さいっ!」


 牛肉チェーン店へと足を踏み入れようとしたその時。

 ふと、声が響いた。その声は後ろからやってきたトラックの走行音により掻き消されたが、御幸はその声をハッキリ聞いてしまった。


 辺りを見渡す。周囲の人間は気づいていないのか、何知らぬ顔で道を歩いていく。


「……あぁ。面倒ごとにならないといいんだがな」


 御幸はただそう言いながら、面倒くさそうに、声の聞こえた方へと足を動かすのであった。



「へへ。お金持ちのお嬢ちゃん、ちょいとオレらと遊ばね?」


 都心の駅近くの雑踏ビル、その裏側。

 狭い路地裏の先に、一人の少女と三人の青年たちがいた。

 青年は、所謂チンピラというやつで、染めた金髪と耳ピアスが良く似合っている奴だった。取り巻く奴らも、まさしく取り巻きといった感じで、彼らの中の上下関係はしっかりしていた。


「い、嫌です……離して下さいっ!」


 菫色の髪を腰まで伸ばした、学生服を着た少女はそう言って、掴まれた腕を振り払おうとするが、握られる男の握力には敵わない。

 そして、ここは人気の無い路地裏。大声を出したところで、果たして届くかどうか。


「あ、一応言っておくけど助けに来たって無駄だよ? オレの能力はBランク。警察が来なきゃ無理無理」


 男はそう言いながら掌に火球を生み出す。

 この世界は、いやこの都市は実力主義だ。少女はその火球に、目を見開く。


「まま、オレ優しいからさ、ね?痛い目には会いたくないでしょ?」


 そんな言葉を吐きながら、男は少女の手を無理やり引く。


 その時――。


「な、なんだお前――くぎゃ!」


 出入り口付近にいた男が、何かを見つけたのか、角を曲がった先でそんな声を発した後、バタンと倒れた音がした。


「どうした、何があって――」


 この音に、最後の取り巻きが急いで角を曲がった。

 しかし、姿が完全に見えなくなった所で、何も音がしなくなった。


 否――コツコツと、靴音がするのだ。


「……ぁ?」


 流石に不審に思ったのか、男は曲がり角の先をじっと見つめる。

 靴音と共に、人影がのっぺりと現れて――。


「あぁん?誰だテメェ」


 現れたのは、一人の少年。

 黒髪に、薄暗い灰色の瞳。黒色のシャツと相まって、陰鬱な雰囲気を纏わせる。

 少年は真っすぐに男たちを見据えている。


 少年の名は神代御幸――昼飯を安いチェーン店で済ます、世界最強の能力者だ。


 てっきり、警察の輩かと警戒した男は、これ幸いにと頬を歪ませる。

 てっきり、助けに来てくれたと思った少女は、少年の頼りなさそうな姿に困惑する。


「えぇと、これ、何?」


 御幸は当初、安物の映画で見た感じの登場を果たそうと画策していた。

 颯爽と現れて、颯爽に姿を消す。

 そっちの方が格好いいし、何より名乗らずに済むから。


 しかし、現実はそう上手くはいかない。取り巻き二人は後ろで気絶させてある。

 ここまでは良い。だが、目の前に繰り広げられているのは、男が少女の腕を無理やり掴んでいる様子。


(あぁ……ナンパか)


 ようやく状況を理解した御幸。

 ナンパ系に関し、警察はあまり役に立たない。

 合意だと言われれば、警察は介入できないのだ。

 だがしかし、掴まれている少女は今にも泣きそうな顔をしている。


 御幸は、携帯を取り出そうとして――その時、一つのカードを落とした。

 銀色の、金属製のカード。そのカードを見た男は、御幸が取る先に取り上げた。


「お、お前……このランクって……」


 そのカードを明記を見る、男の目の色が変わった。

 そして、震える唇でこう言った――。


「え、F……!? ちょっ、おまっ、F……『Fランク』!!」


 男は驚きと同時に、ニヤリと、口元を歪ませた。


 この世界には、ランクという物がある。

 平たく言えば、強さのランクだ。最上でSSSランクあり、その最低は――Fランク。


 つまるところ、目の前の少年は、能力者の中でもカス中のカス。ゴミの中のゴミなのだ。


 御幸は小声で「返せ」というが、男には聞こえない。

 諦めたのか、御幸はまず少女の方に視線を向かわせて。


「えっと……同意?」


「ち、違います! ……早く逃げてくださいっ! その人はBランクです!」


 Fランクは能力者の中でも最底辺。

 非能力者と何ら変わらない事を指していた。


 少女の訴えに、御幸は。


「そうか」


 そう言って、男に向き直った。


「はは、あはは! お前、正気か? Fランクの癖に!?」


「そうだな……確かに俺はFランクだ。だが――お前より強い自信ならあるぞ?」


 御幸のその態度に、男はギリッと歯を噛む。


「ヒーロー気取り? へぇそう。カッコいいじゃん――でも少しは現実を思い知りなぁ! 『黒炎球ブラッディファイア』!」


 黒い炎で作り出された球体を振りかぶって投擲する。

 それは、人を破壊してしまいそうな破壊力があった。同時に、それを平然と投げる男の危険性を御幸は理解した。


「はっはー! オレの『黒炎球ブラッディファイア』はBランク……つまり、銃火器を持っているのと同じなんだよ!」


 ランクの定義付けは、世界統一だ。

 その中のBランクは、『一般人が銃火器を手にした』ものと同レベルの物である。

 男は、御幸が不動なのを降伏したと思い込み、鼻高々に自身の能力を語る。


 御幸は迫りくる炎弾を前にして、


「……へ?」


 コンと、軽くノックするかのように、指で叩いて掻き消した。

 男は最初、何が起こったかが理解できずにいた。

 少女は少なからず今起きた現象を理解していた。


(指部分に空気を圧縮させて、それを炎弾にぶつけさせて対消滅……男の方に当たらないよう、今の一瞬で出力を調整……)


「なっ、クソ!」


 男は少女の手を離して、両手に火球を生み出しながら、次々に投げつける。

 ごうごうと、火花が辺りに散って危なっかしい。


「おいおい、危ないだろ。公然でのBランク以上の能力の使用は犯罪だぞ」


 御幸はそれらを片手で払い退ける。

 払った炎弾は、御幸の能力によって消される。

 そして、御幸は次の炎弾を生み出す前に距離を詰め、足払いを仕掛ける。

 戦闘訓練も碌に積んでいない男は無様にも尻もちを付きそうになり――空いた手を引っ張り上げ、拘束する。


「お、お前……っ! 何モンだ!?」


 男の叫び声に、御幸はカードをポケットにしまいながら言った。


「何って……アンタの言った通り、ヒーロー気取りのイタい野郎だよ」


 遠くの方でサイレンが鳴り響く音が聞こえる。

 もしもという事もあり、御幸が予め呼んでおいたのだ。

 男は戦意喪失したのか、黙ってへたり込んでいる。拘束をする必要が無いと判断し、御幸は傍にいた少女の方へと目を向ける。


「へぇ……アンタ中々やるじゃない」


「…………」


「なに?路地裏に無理やり襲われかけた、か弱い少女かと思った?」


 青紫色の少女は、そうパッパとスカートについた砂埃を払いながら、御幸の方へと向き直る。


「能力さえ使えたら、あんな奴らコテンパンにしてた所だったけど……生憎、街中での能力使用は禁じられてさ~。アハハ、まさか私を知らない人間がいたとは驚いたよ」


 先ほどまでのか弱さは微塵も感じられなかった。緋色の瞳が、御幸の灰色の瞳を真っすぐに射貫く。


「……だけど、危ない所だったのは確かだわ。助けてくれて、ありがとう」


 バタバタと、二、三人の警察官が駆け付ける。

 警察は、気絶している二人の回収と、親分である男を手錠を掛け拘束すると――目の前の少女に頭を下げて礼を言った。


「ほら、君も」


「……は、え?」


「君も本当に運がいい。見たところ、この男の能力のランクはB。一般の学生では太刀打ち出来なかっただろう……」


 若い警察官が、御幸の肩をポンと叩いて、彼女の方に手を向ける。


「『十傑』第三位、篠崎シアさん。彼女がいなければ、危ない目に会ったかもしれません」


 そう、目の前の少女に言ったのだ。


『十傑』――その単語に、御幸は目の前にいる少女――篠崎シアを改めて見る。

 彼女の髪と目、そして、この圧倒するようなオーラ……。


(聞いたことがある。『十傑』の第三位。通称――)


「『死棘の女王』」


「その名前はやめて。恥ずかしいわ」


 御幸の発した単語に、シアは少し恥ずかしそうにそう言った。

 その後、シアは警察官の方に向き直った。


「いえ、私は何もしてません……むしろ、助かったのは私の方」


「は?……それは、どういう意味ですか?」


「だから――」


「彼が、私を助けてくれたヒーローだって言ってるの」


 シアは、御幸の腕に抱きつきながら、唖然とする警察官二名を前に、そう言った。


 ==


 御幸が次に路地から出てきたのは、もう昼時を過ぎていた頃であった。

 その顔はやややつれており、手と首には少し汗が滲み出ていた。


『君の名前と学校は?といっても、そんなに強いのなら、私の耳にも届いていると思うけれど……』


『名前は神代御幸。学校は……ていうか、言う義務が無い』


『ふーん神代御幸……ねぇ。覚えておくよ。ありがとう、御幸君』


 数分前の会話が脳を過る。あの後、警察官二名に頭を下げられ、カードを見られそうにもなった。少女――シアについては、適当にあしらって逃げるように退散した。


 なんせ相手は第三都市が誇る『十傑』の第三位。能力のランクはSS。これがどういう意味を持つのか、御幸は十分に理解していた。


「腹……減ったな……」


 思わず時間を食ってしまったばかりに、御幸の腹は食料を求めている。

 出来れば、重いものを。健康なんてものを無視した、ジャンクな品物を求めていた。

 こうなれば、並みの牛丼なんて軽い。御幸はそんな事を思いながら、今、店に入ろうと――。


 プルルルル……プルルルル。


 その時、ポケットから微かに振動音が聞こえた。

 嫌な気配を感じつつも、スマートフォンを取り出す。

 画面に表示された名前はアリシア・エーデルハルト。


「何か用か?」


 恐る恐る尋ねる。


「……任務よ。すぐに本部に来て」


「…………。任務?誰からだ?」


 牛丼屋に入る足を、歯を食いしばり、血を流しながら必死に止め、御幸は少し小走りで本部へと向かう。食に貪欲な御幸だが、流石に任務の方が圧倒的に上だ。

 ここから本部まで、歩いて十分程度。

 人の波を縫っていく。


「警察からよ……アンタ、『コラドボム』知ってるわよね?」


「『コラドボム』……大犯罪組織じゃないか。それがどうかしたか?」


『コラドボム』というのは、数年前からあるテロ組織の名称だ。


 彼らのトレードマークである、ピエロの鼻の所に爆弾のスイッチを乗せたような不気味なイラストから、『Corydonピエロ』『Bomb爆弾』の二つから取って『コラドボム』。


 数年前、北海道にある第二都市の一部を壊滅&当時の『十傑』の九人の内の、第九位『熱導』金剛日比谷が右腕の欠損という重傷を与えた、極めて危険な組織だ。


「組織の場所が発見したの。ネットの回線に引っかかって、そこからGPSで搾ったから、かなり的中率は高いわ」


「分かった。それで、アリシアは行かないのか?」


「…………」


 長い沈黙に、『これ以上踏み込むな』という暗黙の了解が出来つつある御幸は、それ以上は言わなかった。


「なぁ……まだ怒ってるのか?一昨日の事。別に、あれくらいどうだってことは無い。気にするな」


「はぁっ!?べ、別に、怒ってなんかないわよ!」


 ブツッ……と、電話が切れた。

 電話が切れたと同時に、本部への建物が見え始めた。

 電話していたので分からなかったが、ホーム画面には、結構な量のメールが来ている事に気づいた。


 大半の内容がどうでもいい内容なので、重要な物……見ると、先ほどアリシアが言っていた内容が、PDFで送られていた。


「……集合場所、現地集合じゃん」


 再び足を引き返す御幸であった。




 Tips.ランクとは。


 危険度とは、一般的にその能力者の能力が、現在の政府に対し、どれくらいの脅威なのかを指す物である。F~SSSまであり、F~Dランクは、場合によっては一般人とほぼ大差無しと考えられる。しかし、最高峰であるSSSランクは、一刻も早く国が管理するか、あまりにも危険だと、暗殺という形で殺すことになる。現在確認されているSSランクは日本だけでも数百人。しかし、圧倒的に未確認の能力者が多いのが現状。


 『十傑』とは。


 能力者の中でも極めて強い能力者に与えられる十つの位。

 十傑に入るには最低でも『SS』ランクは必要とされている。

 恩恵は凄まじく、都市外での活動や外国への旅行が許可されている。

 

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