5:高級小麦のふんわり蜂蜜パン 後編

「えーっと、必要な材料は、イスタル小麦粉に、水、塩、スキムミルクに、蜂蜜……?」

「イーストはいらないのか?」

「そこは魔力で補うみたいです」

「相変わらず、錬金術ってのはすごいなぁ」


 必要な材料を一つ一つ確認しているハイレートに、料理人の一人が感心したように呟いた。確かに、足りない分を魔力で補うという実に力業で料理を作ってしまうのだ。魔力で何かを生み出すという意味では、魔法師にも通じる性質なのかもしれない。

 ちなみに魔法師は、その魔力だけで様々なものを生み出せるが、材料があると更に楽になるらしい。やはり、無から有を生み出すのは大変ということだろう。多分。

 イスタル小麦粉を届けてくれたレックは、仕事の続きがあると去って行った。ただし、「どんなパンが出来上がるのか気になるので、後ほど顔を出しますね」と告げてだが。俺の周りは食べ物に食いつくやつしかいないのだろうか、と思うハイレートだった。

 まぁ、多少歪でも、失敗していても、嫌な顔せずに食べてくれる周囲には感謝しているのだ。だから今日も、初めてのパン作りに挑むのである。

 ハイレートの作業に興味はあるものの、料理人たちには仕事がある。皆、これから夕飯に向けての仕込みがあるのだ。なので、頑張れよと声をかけて仕事に戻っていく。……おかげで、ハイレートもあまり緊張せずに作業に入れた。


「まず入れるのは、イスタル小麦粉と、塩と、スキムミルクっと」


 分量を量った材料を、錬金釜の中へ入れていく。入れたら次は、専用の棒を使って良く混ぜる。この段階ではまだ魔力はあまり注がずに、小麦粉とそれ以外が馴染むようにするだけだ。

 全体が混ざったのを確認したら、そこに蜂蜜を入れる。蜂蜜がきちんと混ざるように、魔力をゆっくりと注ぎながら混ぜ合わせる。魔力が強すぎると風味が飛んでしまうので、ここでは弱く、優しく、ゆっくりと注ぎながら混ぜるのがコツと書いてあった。

 しかしそれが、地味に難しい。

 魔力の制御というのは、地味に神経を使う。慣れている者ならば息をするように行えるが、まだまだ修業を始めたばかりのハイレートには、意識しなければ出来ない作業だ。それもあって、魔力を注ぐハイレートの額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 ここで気をつけなければいけないのは、魔力を注ぐことにばかり気を取られて、混ぜる手を休めてしまうことだ。あくまでも、材料を混ぜながら魔力を注ぐのがポイントなのである。魔力だけを注いでも意味がない。気を抜くと止まりそうになる手を、ハイレートは必死に動かしていた。

 水分は蜂蜜を入れただけだというのに、既に錬金釜の中身は液体になっていた。それは、ハイレートが注いだ魔力がきちんと食材に伝わっているという証拠だ。

 蜂蜜が全体に溶け込んだのか、一瞬だけ色が蜂蜜色になる。そこを目安に水を入れるようにとかかれていたので、規定量の水を入れる。分量を間違えないように量ることも、厨房の皆に教えてもらった。意外と食材の計量は難しいのだ。

 水を入れたら、そこからは一気に混ぜる。ひたすら混ぜる。先ほどまでよりも大きな動作で、先ほどまでよりも大量の魔力を注ぐ。この魔力を注ぐ作業で、生地をこね、寝かせ、形成し、焼き上げるところまでを一気にやるのだ。

 そう、錬金術で作るパンは、仕上がるまでが早い。普通のパンが時間単位の作業時間を必要とするのに対し、分単位で完成するのだ。……ただしそれは、上手に魔力を扱ってこそ、である。

 同じ工程でも、熟練の錬金術師と駆け出しとでは、必要とする時間が違う。使える魔力量も、制御の腕前も異なる上に、熟練者は効率よく素材を変質させる方法を覚えていくらしい。それは、日常でも誰もがやっている、ちょっとした工夫だ。

 どんな作業でも、慣れてきたら効率よく自分なりのやり方を発見することがあるだろう。それと同じである。しかし、ハイレートはまだまだ初心者から抜け出せない駆け出しで、しかもパンは今日初めて作るのだ。レシピに書かれている所要時間よりも手間取っているのは仕方ないことだった。


「あと、少し……」


 小さく、ハイレートは呟いた。まだまだ素人に毛が生えた程度のハイレートだが、それでも分かるようになっていることがある。それが、仕上がりの雰囲気だ。

 完成に近づいてくると、何となく手応えが変わってくる。魔力がすっと入るようになり、こちらの望んだ形に近づいていると何となく分かるのだ。あくまでも感覚的なもので、理論的に説明しろと言われたら分からないのだが。

 それでも、その感覚は間違っていなかったらしく、少しして大釜の中身がピカッと光った。突然目映い光が厨房に広がっても、誰も何も言わなかった。ただ、興味深そうに視線を向けるだけである。……皆さん慣れすぎだった。

 光が消えた後には、大釜の中に液体はなく、食パンがそこにあった。……ただし、ちょっと不格好である。

 本来なら綺麗な山形に仕上がっているはずが、ぺしょりとてっぺんは凹んでいた。ちゃんと膨らんではいるのだが、形はイマイチだった。まぁ、最初なので仕方ない。

 色も、こんがり綺麗なキツネ色のところもあれば、焼きが入りすぎたように焦げている部分もある。また、逆に焼きが甘い白っぽい部分もあった。ちょっと模様のようになっている。

 とはいえ、ちゃんと食パンである。初めて作ったにしては上出来だ。少なくとも、不格好でも、色が悪くても、誰の目から見ても食パンなのだから。……明らかにスクランブルエッグだったオムレツに比べたら快挙である。

 

「出来たのかい?」

「出来ました。……とはいえ、形や色はまだまだですが」

「何言ってんだい。ちゃんと食パンじゃないか。偉いもんだよ」


 最初のオムレツがどんな有様だったのかを知っている女将さんは、あっけらかんと言い放つ。上達してるねぇとばんばんと背中を叩かれて、ハイレートは思わず笑った。こうやって褒めて貰えると、何やら嬉しいものである。

 パンが出来たということで、料理人たちは作業の手を止めて集まってくる。ハイレートが取り出した食パンは山が二つのサイズだった。ハイレートの中の食パンのイメージと、レシピ本の絵のイメージからこうなったのだろう。

 出来たての食パンは、ほかほかしていた。ふわりと漂う香ばしいパンの匂いに、皆がうきうきしている。食べやすい大きさに切り分けて、皆で味見に入る。


「……柔らか……っ!」

 

 まだ温かさの残るふわふわの食パンを千切って口に入れた瞬間、ハイレートは思わず叫んでしまった。焼きたてのパンが柔らかいのは当然なのだが、それでも思っていた以上に柔らかい。食パンの食感で想像していたものよりもずっとふわふわなのだ。

 驚いたのは食感だけではない。蜂蜜パンという名称通りに、口の中に蜂蜜の味が広がるのだ。しかしそれは決して無駄に自己主張をするわけではなく、ほんのりと甘い。言われなければ気付かない程度の甘さだ。

 何とも、上品な味わいの食パンである。流石、高級小麦の食パン、とハイレートは思った。味見をしている料理人たちも、口々にパンの美味しさを褒め称えている。


「ハイレート、これなら日常食べる分として申し分ないよ。明日の分から仕込みをお願い出来るかい?」

「修業にもなるので、喜んで。……とりあえず、イスタル小麦粉がある間は」

「そうだね。まぁ、小麦粉がなくなる頃には、普通の小麦粉でも出来るようになってるんじゃないかい?」

「そうだと良いんですけど」


 オムレツをアレンジレシピで作れるようになったように、パンもアレンジで作れるようになるかもしれない。違う小麦粉を使ってみたり、蜂蜜の分量を増やしてもっと甘いお菓子みたいなパンを作ってみたり。可能性は無限大だ。

 とはいえ、当分はレシピに忠実に、コツコツと修練を積むのが必要だとハイレートにも分かっている。食堂で皆が食べてくれるなら、食パンもサクサク消費されるだろう。

 ……そして、そんなことを思っていたら、消費担当が満面の笑みを浮かべてやってきた。


「ハイレート、何か美味い匂いがしてたけど、今度は何を作ったんだ!」

「……ウィレル」


 ばーんと元気よく食堂の扉を開けて入ってきたのは、友人のウィレルだった。お前仕事はどうしたというツッコミが入るが、全く気にしていなかった。暢気に、今は休憩中と笑っている。休憩中に通りがかり、匂いに釣られてやってきたらしい。鼻が良すぎる。

 元々食いしん坊属性のウィレルは、厨房の皆さんとも顔見知りだった。ちょいちょい顔を出して、おこぼれに預かっていたらしい。なので、今日もにこにこ笑顔で対応している。


「食堂で出すパンの試作品だよ。初めて作ったから、色も形も微妙だけど」

「大丈夫だ。俺が気にするのは味だけだ」

「……知ってる」


 ぐっと親指を立てるウィレルに、ハイレートは苦笑した。

 そう、ウィレルは食いしん坊で、好き嫌いが特になく何でも喜んで食べる。好きなものは美味しいものと満面の笑みで答える男である。見た目よりも味を優先するので、綺麗に盛り付けられた料理でなくとも、多少焦げた失敗作でも、美味しければ喜んで平らげてくれる。

 そういう相手だから、ハイレートも気にせずに練習で作った料理を差し出せるのだが。ちなみに、美味しいものが好きなので、不味いときは不味いと正直に言ってくれる。その辺もありがたい。


「蜂蜜を入れたパンで、ほんのり甘い。あと、出来たてじゃなくても柔らかいらしい」

「おー、ふわふわ!指が沈む!すげー!」

「遊ぶな、バカ」


 まるで幼児のようにはしゃぐウィレルにツッコミを入れるハイレート。見慣れた光景なので、料理人たちは何一つ気にしていなかった。既に各々の仕事に戻っている。素早い。

 渡された食パンを、ウィレルはむにむにと指で突いて感触を確かめた後に、囓った。耳の表面はパリパリしているが、全体としてはしっとり柔らかい。その食感の違いが舌を楽しませてくれる。

 そして、味は文句なしに美味しい。食パンらしい素朴な味に、そっと忍び込む蜂蜜の風味が何とも言えない。焼きたて状態なので今はそのまま食べているが、冷めたりトーストにしても美味しそうだなぁとウィレルは呟く。


「では、次は食事の時間に来ますので、トーストでお願いします」

「うぉわ!?だ、誰だ……!?」

「レック書記官……、お仕事は?」

「終わらせて参りました。レシピの所要時間で、そろそろパンが出来上がっているかと思いまして」

「……そうですか」


 美味しそうなパンですね、とにこやかに微笑むレック。何気に初めて顔を合わせるウィレルが、この人誰?とハイレートに小声で聞いている。レックに食パンを渡したハイレートは、世話になってる書記官だと説明しておいた。

 それにしても、仕事の出来る落ち着いた文官だと思っていたのだが、今回の行動を考えると食いしん坊属性なのでは?と思ってしまうハイレートだ。錬金術で作る料理への興味なのか、単純に食べたいと思っただけなのか、判断に迷うところがある。

 そんな風に思われているとは露知らず、レックは食パンを幸せそうな顔で頰張っていた。仄かな甘みとふわふわとした柔らかさが、口の中で幸せのハーモニーを奏でているのだ。美味しいものを食べているとき、人は幸せに満ちた顔をするのである。


「とても美味しい食パンですね」

「お口に合って何よりです」

「ちなみに、いつ来れば食べることが出来るんでしょうか?」

「……明日の分から仕込む予定ですが」

「そうですか。分かりました」

「「…………」」


 一体何が分かったんだろうか、と一同は思った。

 先ほど、トーストが食べたいと言っていたことを考えると、どうやらこの食堂に食事をしに来るつもりらしい。しかし、レックは王城勤めの書記官で、彼が利用するべき食堂は王城内にある職員用のものである。腕利きのシェフがいるステキな食堂だ。

 こちらの食堂の腕が悪いというわけではない。どちらかというと質より量を希望するような騎士団の皆の胃袋を掴んでいるので、お上品なお料理はほぼ存在しないのだ。文官たちなど、場合によっては量が多いと呻いていたりする。

 そして、余所の食堂で食事をするというのは、あまりない。打ち合わせが長引いたとか、何かの報告を共有するのに手っ取り早く食事をしながらとか、そういう理由がある場合が殆どだ。もしくは、友人がいる食堂に足を運ぶか。

 しかし、少なくともレックの友人はこの食堂の利用者にはいない。強いていうならハイレートだが、友人というよりは仕事仲間なので、別にわざわざ一緒に食事をする感じではない。

 そんな風に色々と考えている皆をまったく気にした風もなく、レックは美味しそうに食パンを食べていた。


「……なぁ、この書記官さん、お前の料理目当てにここに入り浸るんじゃね?」

「……何をバカなことを言ってるんだ」


 こそっと耳打ちしてきたウィレルの言葉を、ハイレートは面倒くさそうにあしらった。……正確には、そうであってくれという希望的観測だった。



 

 とりあえず、新しいパン屋が決まるまでハイレートが食パンを作って皆の胃袋を支えることが決定したのでした。良い修業になりそうです。

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最弱騎士の錬金術ご飯 港瀬つかさ @minatose

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