4:高級小麦のふんわり蜂蜜パン 前編

 ハイレートが錬金術の修業を始めて、変わったことが一つある。それは、厨房の人間と親しくなったことだ。

 そもそも、与えられた教本が料理のレシピ本だったことから、ハイレートが使う錬金釜、ずんぐりむっくりした大釜は、厨房の一角に置かれることになったのだ。そして、そこで彼は毎日毎日、一生懸命修業をしている。

 毎日顔を合わせれば、それだけでも距離が縮まるのは当然だ。その上、ハイレートがやっているのは「錬金術で料理を作る」ことなのである。本職料理人である厨房の面々が、興味を持ったりアドバイスをしてくれる流れになるのは、当然とも言えた。

 魔力は使えば使うだけ制御が上達するし、限界まで使うことで最大値が増える。いわば筋トレみたいなものである。なので、ハイレートも時間が許す限り、魔力が続く限り、錬金釜で料理を作っている。これも立派な修業だ。

 その修業で生み出された料理の数々は、失敗作はハイレートや友人ウィレルの腹に消えたり、厨房の面々の賄いになったりしている。そして、比較的上手に作れたものに関しては、食堂のメニューの一つに数えられるようになっていた。


「それにしても、王様も太っ腹だねぇ。こんな大きな保鮮庫を購入してくださるなんて」


 食後のお茶を楽しみながらのんびりとそんなことを告げたのは、厨房の主とも言われる食堂の責任者である女性だ。恰幅の良い姿に誰が相手であろうと遠慮しない物言いから、皆は親しみを込めて彼女を「女将さん」や「おっかさん」と呼んでいる。……こう、下町食堂の気っ風の良い姐さんという感じなのだ。

 面倒見が良く、大らかな心で皆を母親のように包んでくれる女性である。ただし、好き嫌いには容赦しないし、健康維持を無視して無理をする姿を見つけたらフライパン片手に追い回して休養させるような人だが。まぁ、早い話がお母さんである。

 その彼女が告げた保鮮庫とは、早い話が食材を保管するための大きな棚だ。これは魔法師や錬金術師の技術の粋をつぎ込んで作られた品物で、入れたものの鮮度をそのままで保つという素晴らしい装置である。使い方は簡単。中に入れるだけだ。

 付属の魔石に魔力を流し込んで維持するのだが、複数の魔石を備えているので一つが供給切れになっても装置に悪影響はほとんど出ないように作られている。ただし、鮮度を保つといえど時間を止めることは出来ないので、少しずつ、本当に少しずつだが時間は流れている。

 しかし、それでもやはり、画期的な装置であることは確かだ。何せ、簡単に使えるのが良い。

 そして当然ながら、値段がかなり高い。元々は、足の速い食材の流通を手助けするために、小型の持ち運び用のものが作られた品だ。それが、業者向けに大型のものが作られるようになった。そして、その大型のものの一つが、今、騎士団食堂の厨房にある。

 ぶっちゃけ、王城の王族の料理を作る厨房にあるのなら、まだ百歩譲って理解できる。しかしここは、王立騎士団付属の食堂である。ここで食事をするのは騎士団に所属する騎士、その騎士を支える事務方の文官、雑務を取り仕切る使用人たち、そして、厨房で働く料理人だ。

 早い話が、あくまでも一部署にすぎない。なのに何故か、とても高価な保鮮庫が置かれている。それも大型のものが。

 何せこの保鮮庫、高さがハイレートの身長ぐらいはある。横幅もハイレートが両手を広げたぐらい。はっきりいって、場所に似合わぬ高価な品である。


「俺だけで使うのは恐れ多いので、皆さんも使ってください……」

「あっはっは。そんな顔しなくても、ありがたく使わせてもらってるよ!これのおかげで、手間のかかる料理を先に仕上げておくことが出来るからねぇ」


 笑う女将さんに、ハイレートはホッとしたような顔をした。今でこそ錬金術という特異な才能で一目置かれるようになっているが、そもそもハイレートはただの一般騎士だったのだ。国の上層部から直々に高価な道具を贈られても、困惑しかしない。

 そう、この保鮮庫、ハイレートのために用意されたものなのである。

 錬金術の修業として、ハイレートは日々料理を作っている。もちろんそれらは皆で処理をしているが、作る時間と食べる時間に差が生まれてしまっては、温かい料理も冷めてしまう。ハイレートとしては数をこなすことが目的なので、冷めた料理でも気にせず食べていた。

 それを勿体ないと思ったらしい同僚たちから団長に話が届き、団長から国の上層部に話が飛んだ。その結果、「それなら作ったものを温かいまま保存できれば問題ないのでは?」という結論になったらしい。そして、結論が出た数日後にはこの大型の保鮮庫が厨房に届いたのだ。

 これは同時に、国がハイレートの錬金術の修業に期待しているということでもあった。初めての国産錬金術師というようなものだ。頑張ってくれたまえという優しいエールなのだろう。

 ……ハイレートにとっては、プレッシャーが連鎖反応を起こしてどこどこ襲ってくるようなものなのだが。

 なお、そんなハイレートと裏腹に、厨房の面々は「わーい、すごく便利な道具が来たぞー!」ぐらいのノリだった。とても図太い。

 図太いついでに彼らは、ハイレートが持つ錬金術の教本『初心者でも安心!美味しい日々のご飯!』を横から覗き込んで楽しんでいる。あくまでも錬金術用のレシピ本なので、材料はそれ仕様だ。同じ材料で同じ料理は作れない。

 完成図は載っているし、どんな料理なのかも書かれている。それでもやはり、それを活用できるのは錬金術師の卵であるハイレートだけだ。

 では何故、彼らが横から教本を覗き込んでいるのかというと――。

 

「オムレツは完璧に作れるようになってきたから、次はこっちの料理なんてどうだろうか」

「いや、オムレツのアレンジレシピを極めるのも良いと思う」

「レシピに書かれている難易度から考えると、こっちの方が良いんじゃないか?」


 こんな感じで、ハイレートが次に作る料理、練習する料理をあーだこーだと選んでいるのだ。何故かって?基本的にハイレートが作る料理が彼らの賄いに追加されるからだ。食べたいものを選んでいるともいえる。

 皆好き勝手言うなぁ、と思いながらもハイレートは口を挟まない。何だかんだで料理初心者のハイレートに、器具の使い方や素材の見極め方などを教えてくれる頼れる先輩たちなのである。失敗作の料理でも嫌がらずに食べてくれる優しさもある。

 そう、彼らに助けられて、ハイレートは錬金術の鍛錬が出来ているのだ。それは事実なので、レシピ本を見てあーだこーだ言うぐらい、可愛いものである。

 日々修練を積むことで、ハイレートは最初に作るようになったオムレツは随分と上達した。今では形も色も完璧に作り上げることが出来る。シンプルなオムレツは朝食にぴったりということで、前の日の晩に作って保鮮庫に入れておくと、出勤した料理人たちの朝ご飯になっていたりする。

 レシピには、上達してきたとき用にアレンジの方法も書いてあった。調理するときに具材を追加することによって、具材入りのオムレツが作れるようになるのだ。刻んだ野菜が入ったオムレツや、ひき肉の入ったオムレツなど、色々と作れる。

 もっとも、それらはまだまだ練習が必要で、形や色、味にばらつきが出てしまうのがご愛敬だ。具材を一つ増やすだけで、魔力の注ぎ方や材料を入れるタイミングなどが変わってくる。それらを身体で一つ一つ覚えていくのが鍛錬なのである。


「そういやハイレート、アンタ、パンは作れるのかい?」

「パン?」

「そう、パン。アンタが作って保鮮庫に入れておいてくれるなら、随分と楽だと思ってねぇ」


 女将さんの言葉に、ハイレートは瞬きを繰り返した。食堂のパンは料理人が作ったり、城下町のパン屋が納品してくれたりしている。別に今のところ不足しているようには思えない。

 それに、保鮮庫に入れておくならば、別にハイレートが作る必要はないはずだ。誰が作った料理でも、保鮮庫はちゃんと鮮度を保ってくれる。

 そんなハイレートに、女将さんは真顔で言い切った。大真面目な声で。


「パンを作るってのは、時間も体力も必要なんだよ」


 物凄く実感がこもっていた。確かにまぁ、その通りではある。パンは作るのが大変だ。

 何せ、生地をこねてから焼き上げるまでの間に、寝かせたり形を作ったりと色々と工程があるのだ。それも、きちんと時間をおいて発酵させなければ膨らまない。あと、場所も地味に取る。面倒くさいと言えば面倒ください。

 しかし、それなら別に、厨房で作らなくても良いはずだ。外注メインに切り替えれば良い話である。


「パン屋に頼めば良いんじゃないですか?」

「そのパン屋が人手が足らなくて、納品が間に合わないって話になってね」

「え」

「あぁ、悪いことじゃないんだよ。単純に、娘さんが出産するんだって。それで人手が減るんだよ」

「おめでたい理由なんですね」


 良かった、とハイレートは胸をなで下ろした。誰かが病気になったとか、怪我で仕事が出来なくなったとかでなかったので安心したのだ。とはいえ、出産は大変で、当人だけでなくサポートする家族も大忙しだろう。

 そうなると、ここに納品するパンの数が減るのも無理はないのかもしれない。とはいえ、城下町のパン屋はその店だけではない。他にもある。

 そんなハイレートの考えを察したように、女将さんは溜め息をつきながら説明をしてくれた。


「他の店に頼むにしても、審査があるだろう?その隙間をこっちで埋めなきゃいけないのさ」

「あー、なるほどー……」


 腐っても騎士団付属の食堂である。国を守る騎士たちの口に入る食べ物だ。食材の納品業者から調味料の製作所まで、どこもかしこも厳正な審査の末に御用達に選ばれている。

 それを考えれば、次のパン屋が決まるまでにタイムラグが存在するのも理解できる。そして、その間のパンを自分たちでどうにかしなければいけないということも。

 数は減るが、次のパン屋が決まるまでは納品は続けてくれるらしい。しかし、足りない分は自前でどうにかしなければいけない。もちろん、パン以外にもパスタや米などが存在する。それでも、パン食が主体の国らしく、皆パンを当たり前みたいに食べるのだ。

 特に朝食はパンを食べる者が多い。朝食に間に合うようにパンを仕込むとなると料理人の負担も大きくなる。それ故の、ハイレートにパンが作れないかという問いだったのだろう。


「作ったことはありませんが、レシピにはパンも載っています」

「それなら、一度試してもらえないかい?」

「ただ……」

「ただ、何だい?」


 困ったような顔をするハイレートに、女将さんは首を傾げる。そんな女将さんに事情を説明するために、ハイレートは皆が見て遊んでいるレシピ本、自分の教本を取り戻した。ぱらりとページをめくると、キツネ色と純白が眩しい食パンの絵が目に入る。

 そこには、「ふんわり蜂蜜パン」と書かれていた。ふわふわとした食感で、蜂蜜のほんのりとした甘みがそのまま食べてもトーストにしても美味しいと記載されている。柔らかそうな絵はまるで本物のようで、食欲をそそる。


「載っているのがこのパンだけなんです」

「ほんのり蜂蜜の味がする食パンかい?まぁ、大丈夫だと思うけど」

「問題はそこじゃないんです。材料です」

「材料?」


 ハイレートの指が示したのは、小麦粉だった。そこに書かれているのは、「イスタル小麦粉」という名前だ。イスタルという国で作られる小麦で作られた小麦粉のことである。輸入はされているが、位置づけは高級品だ。

 小麦粉というのは、産地や品種によって特性が変わる。そのため、超初心者であるハイレートとしては、書いてある以外の材料を使って作るのはハードルが高い。極論、魔力を流す強さやタイミングまで変わってしまうからだ。初めて作るなら、せめて材料はレシピ通りにそろえたい。

 しかし、高級小麦粉というのは、コスパがあまりよろしくない。二人は思わず顔を見合わせて唸った。


「というか、何だってこの本はわざわざイスタル小麦粉に限定してるんだい?」

「あぁ、その本がイスタル王国のレシピ本だからじゃないですか?あちらでは手軽に手に入る普通の小麦粉ですし」

「おわっ!?アンタねぇ、いきなり背後から声をかけるんじゃないよ」

「すみません」


 突然現れて口を挟んだのは、書記官のレックだった。ハイレートが錬金術の才能に気付いたときに居合わせた縁もあり、何だかんだでアレコレと担当者として対応してくれている青年である。そのため、厨房への出入りも増えており、何だかんだで馴染んでいる。

 

「イスタル王国は錬金術師が多い国ですし、大使はこちらの事情をご存じなので教本を融通してくださっています。なので、材料がイスタル国で手に入りやすいものになっているのは仕方ないかと」

「ハイレート、アンタ、大使とも顔見知りなのかい?」

「えーっと、錬金術師かどうかを判定するのにご協力を仰ぎまして……。俺の状況を面白がっているのか、とても好意的で、…………厳選した料理レシピの教本を送ってくださいます」

「……料理本なのは変わらないんだね」

「はい……」


 失敗しても安全かつ、材料が手に入りやすいので何度でも練習が出来る。そんな利点があるということで、大使がハイレートに送ってくる教本は料理のレシピ本ばっかりだった。おかげで、友人のウィレルが「これが食べたい!」と予約してくる始末だ。


「ところで、そんなハイレートさんに朗報です」

「はい?」

「今年、イスタルでは小麦が大豊作で余っていたようで、我が国への輸出量が増えたそうです。城にも通常より多く納品されています。そして」

「そして?」

「各食堂で使うようにと、配ってる最中です」


 どうぞ、とレックは食堂の入り口を示した。そこには、ぺこりと頭を下げる使用人の姿がある。大きな小麦の袋を積んだ台車を押している。レックはそれを届けに来たらしい。

 ハイレートは女将さんを見た。女将さんもハイレートを見た。図らずも、問題が解決してしまった。


「レック、それは好きに使って良いのかい?」

「はい。こちらの食堂で使うようにとだけです」

「だ、そうだよ。ハイレート」

「頑張ります……」


 レシピ通りの材料が揃うならば、後は実践あるのみ、である。休憩が終わったら、初めてのパン作りに取りかかることが決定したハイレートであった。

 

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