3:初心者にオススメふんわりオムレツ 後編

 ハイレートがうじうじしていたのは、最初の数日だけだった。

 未知の領域である錬金術。目の前にある教本以外は誰にも教えを請えない状態で、彼は腹をくくったのだ。最弱と呼ばれていようと彼は王立騎士団の騎士である。王命とあらば、全力を尽くすまでだ。

 最初は、本当に大変だった。

 まず、教本があるとはいえ、実際に錬金術が分かる者が一人もいない。完全に手探りの状態でやらなければならないのだ。幸いだったのは、資料室には大釜だけでなく他の道具も残っていたことだ。大釜の手入れ道具なども揃っていた。

 錬金術を行うために必要な道具は、材料を入れて煮るための大釜と、釜の中身を混ぜるための棒だ。他にも材料を量ったり、必要な部位を取り出すための道具などもあるのだが、今はそこまで大がかりなものはいらない。何せ、ハイレートの手元にあるレシピは、初心者向けの料理のレシピだけなのだから。

 大釜に材料を入れ、魔力を通す専用の棒を使ってかき混ぜる。魔力を注ぐことで大釜は材料を煮ることが出来るし、そこに魔力を適切に流し込んで材料を変質させるのが錬金術だ。

 この、魔力を流し込んで材料を変質させるというのが、くせものだった。

 基本的な道具の使い方、錬金術の理論を基礎教本で学んだハイレートは、いざ実践と錬金釜に手を出した。最初にチャレンジすることにしたのは、もらったレシピ本の頭に掲載されていたオムレツだった。

 必要な材料は、卵と牛乳とバターだった。ちなみに、錬金術で作る料理は、実際に調理する場合と材料が異なることが多い。術者の魔力を注ぎ込むことで完成形に近づけるので、まったく同じものを必要とはしないのだ。

 オムレツならば食べ慣れているし、完成形をイメージするのも容易い。材料も安価であるし、それほど難しくないだろう。……そんな風に思っていたハイレートだが、現実はそんなに簡単なものではなかった。

 最初に作ったオムレツは、もはやオムレツではなかった。形はぐちゃっと崩れているし、あちこち焦げている。どちらかというと、失敗したスクランブルエッグみたいな物体だった。

 単純に材料を全て入れて魔力を注いで混ぜればよい、というわけでもないのだと悟ったハイレートは、アレコレと試行錯誤しながら挑戦を続けた。

 材料を入れるタイミング、魔力を注ぐタイミングと魔力の注ぎ方など、やるべきことは多々あった。一気に魔力を注いだときには、火が通りすぎて焦げてしまった。ゆっくりゆっくり魔力を注いだときは、逆に柔らかくなりすぎて形にならなかった。半熟を通り越した何かになってしまったのだ。

 レシピ本に書いてあるのは、材料の分量と、入れる順番。後は、どういった風に魔力を注ぐのかという簡単な説明。……恐らくは、きちんと錬金術の基礎を学んでいれば、どういう風に注ぐのかと書かれた部分を理解できたのだろう。

 しかし、ハイレートは完全に独学である。教本に書かれている基礎理論を読んだだけで、実践は自分一人でやらなければならない。それだけでもハードルは高いのだ。

 その上彼は、今日に至るまで魔力を使うことがなかった。自分には魔術を使えるほどの魔力がないのだと思っていた彼は、魔道具を扱うときに軽く使うぐらいしか魔力を使ってこなかったのだ。それはつまり、制御能力の未熟さを意味する。

 実際の料理に例えるならば、ハイレートは火加減が調整できないようなものである。適切なタイミングで適切な魔力を注ぐことが重要な錬金術においては、致命的だった。そのために彼は、連日必死に錬金術の修業に励んでいる。

 騎士であるハイレートの一日は、午前中は同僚たちと共に鍛錬し、午後からは厨房で錬金術の修業に励むという感じに変わってしまった。仲間たちは、突然未知の領域の修業を頑張らねばならなくなったハイレートを応援してくれている。錬金術に興味津々というのもあるのだろう。

 そしてまた、騎士団の食堂を預かる料理人たちも、突然厨房に謎の大釜を置かれても、そこでハイレートがひたすら素材を煮込んでわちゃわちゃやっていても、嫌な顔一つしなかった。むしろ、やっているのが料理だと分かると、良い食材の選び方や、卵の上手な割り方などを教えてくれた。優しい人々に囲まれている。

 そんな日々を過ごして一ヶ月。ハイレートの錬金術は、ようやっと少しは形になってきた。具体的には、オムレツがオムレツらしく仕上がるようになった。


「うん。前回よりは上手に仕上がった」

「いつ見てもシュールだよなぁ、それ」

「何がだ?」


 大釜から完成したオムレツを取り出すハイレート。フライ返しでお皿にのせているのだが、その光景を眺めていたウィレルがしみじみと呟いた声に、不思議そうに振り返る。

 真っ白なお皿の上にのせられたオムレツは、綺麗な黄色をしていた。ほかほかと湯気が出ており、出来立てなのが良く分かる。ただし、形は少しばかり歪で、端っこの方はちょっとだけ焦げていた。まだ完全に作れているわけではない。

 それでも、最初に比べれば随分と上達した。そこにあるのはちゃんとオムレツである。


「ちゃんとオムレツだろ?」

「だからだよ。さっきまで釜の中でぐるぐるしてる液体だっただろ」

「錬金術はそういうものらしいからな」

「目の前で見てても変な感じがするよなー。オムレツを煮て作るってのが……」


 まぁ確かに、とハイレートはウィレルの意見を受け入れた。実際に作っているハイレートにしてみても、大釜の中でぐつぐつ煮込まれている液体が、料理になるなんて思えない。百歩譲ってスープ系ならまだ納得できるかもしれないが。

 それでも、それが錬金術なのだ。詳しい理論など分からない彼らには、そう思う以外のことは無理だった。考えても良く分からないのだから。

 それまでは煮立つ液体だというのに、完成した瞬間に大釜の中身がピカッと光って、光が消えたら完成品がそこにあるのだ。とてもシュールだった。

 

「とりあえず、これ出来てるけど、食べるか?」

「食べるけど、最初から作るの見たい」

「……分かったよ。どうせまだ魔力残ってるから練習しようと思ったし」


 好奇心を隠しもしない友人に、ハイレートはため息をついた。とはいえ、この友人のこういう軽いところに助けられているのも事実だった。ウィレルが興味を持つのは錬金術に対してだけで、それを使えるハイレートのことは全く気にしないのだ。

 騎士団の中にも、何故ハイレートが錬金術を使えるのかということにこだわる人々もいる。魔術と魔法が基本のこの国で、錬金術の適正を持っている理由を気にしているらしい。

 そんなことをハイレートに言われても分からない。親戚にも先祖にも錬金術師はいなかった。分からないものは分からないのである。

 それに、別に魔力の性質は遺伝するわけではないという研究結果があるのだ。完全なる個人の資質をうがって考えられても迷惑な話である。

 閑話休題。


「ハイレート、これ美味い」

「何もつけなくて平気か?」

「んー、ケチャップがあった方が美味いとは思うけど、これだけで食べても美味いぞ」

「調味料は入れてないけど、割とそのままで美味しくなるんだよな。これも錬金術ってことなのか」

「それを確かめるためにもさぁ、もう一個作ろうぜ」

「……まだ半分以上残ってるだろ」


 早く、早く、と急かしてくるウィレルに、ハイレートはため息をついた。皿の上のオムレツはまだ半分以上残っているというのに、お代わりを求める友人の食い意地に呆れているのだ。

 呆れつつ、準備に取りかかるハイレート。用意するのは卵と牛乳とバター。まずは卵を割って中身だけにするところからだ。


「あ、それは必要なんだ」

「んー、上級者になると殻のまま入れて魔力でいらないものを除去することが出来るらしい。俺には無理」

「なるほど」


 奥が深いなぁと感心するウィレル。本当に、錬金術は奥が深い。ただ材料を放り込んでしまえば良いわけではないのだ。その辺りのポイントはレシピ本に書いてあるので、忠実に守っているハイレートである。

 割った卵は錬金釜の中へ入れる。大釜の中に卵が二つ、可愛らしく並んでいる。そこへ、ハイレートは牛乳を注いだ。このレシピでは、オムレツをふんわりと仕上げるために牛乳を入れるようになっているのだ。

 材料が入ったら、次は魔力を注いで混ぜることだ。最後の材料であるバターはまだ入れない。まずは、卵と牛乳をしっかり混ぜる作業だ。

 かき混ぜるための道具であるこの棒は、使い手の魔力を流し込むことに特化している。棒自体は魔力の影響を受けて変質することはなく、あくまでも錬金釜の中の材料に注ぐための中継点にしかならない。

 その棒を両手でしっかりと握って、ハイレートは魔力を流し込む。くるり、くるりと卵と牛乳をかき混ぜながら魔力を注ぎ、その二つが綺麗に混ざるように心がける。注ぐ魔力は多くはないが、一気に流し込むのではなく細く細く、優しく、ゆっくりと流し込まなければならない。

 卵と牛乳を均一に混ぜ合わせるためであり、ここでムラなく混ぜることが美味しいオムレツを作る第一歩でもある。なめらかな卵液を作るイメージで、ゆっくり、確実に混ぜ合わせる。

 卵の濃い黄色と牛乳の白が、ゆるゆると混ざっていく。初めはそれぞれの領域が分かるほどに分離していたが、徐々にマーブル模様のように溶け合っていく。やがてそれは、白みがかった優しい黄色の液体へと変化した。

 それと同時に、総量が増えたように見える。増えた分は魔力で補われた何かで、ハイレートが魔力を注ぐ度にぽこ、ぽこ、と火にかけられたように表面が動く。


「おー、綺麗に混ざったなー」

「これができるようになるまでが大変だったんだぞ」

「そうなのか?」

「あぁ……。魔力の注ぎ方が下手だと、混ざってもまだら模様みたいになってなぁ……」

「へー、ただ混ぜてるだけっぽいのに、大変なんだな」

「ただ混ぜてるだけで良いなら、もっと色々作れるようになってる」

「確かに」


 きっぱり言い切るハイレートに、ウィレルは素直に同意した。レシピ本には色々な料理が載っているが、ハイレートはずっとオムレツだけを作り続けているのだ。上手に出来るのならば、他の料理も作っているだろう。

 とはいえ、軽口を叩ける程度には作業に慣れてきたのも事実だった。大釜の中の液体の状態を確認して、ハイレートはそこにバターを入れる。固形のバターは液体に飲み込まれるように沈むと、すぐに見えなくなった。

 バターが沈んだのを確認すると、ハイレートは先ほどまでよりも大きな動作で大釜の中身をかき混ぜる。注ぐ魔力は、先ほどまでよりも強い。ただし、ずっと注ぐのではなく、注いでは止めて、止めては注いでを繰り返している。

 沈んだバターが完全に溶けたのか、大釜からふわりとバターの匂いが漂ってくる。その状態になったのを理解して、ハイレートは今度は小刻みに大釜の底を叩くようにしながら中身を混ぜる。魔力を受けた液体はぽこ、ぽこ、と沸騰するように水泡を出している。

 くるり、くるり、とハイレートは大釜の中身をかき混ぜる。魔力はゆっくりと、優しく注ぐ。ここで焦ってしまうと、形が崩れたり焦げたりしてしまうのだ。その見極めも、何度も繰り返すことでようやっと覚えた。こればっかりは、経験が物を言うようだ。

 そして、かき混ぜること数分。錬金釜の中身がピカッと光った。目映い光は一瞬だけで、次の瞬間にはすぐに消える。そして、光が消えた後には、液体は一切存在せず、出来たてほやほやのオムレツがててーんと存在を主張していた。


「ほら、完成したぞ」

「……真っ正面で見ててもやっぱり謎だなぁ、この現象」

「だからもう、それに関しては諦めろって」

「分かった分かった。じゃあ、お代わり!」

「……俺も小腹が空いたから半分こで」

「了解」


 丸々一つ食べたばかりだというのに食い意地の張っているウィレルに、ハイレートは妥協案を口にする。それに異論はないのか、半分頂戴と皿を差し出してくる程度にはウィレルはマイペースだった。

 フライ返しで錬金釜からオムレツを取り出すと、まずは自分が使う用の新しい皿の上にのせる。そして、フォークとナイフを使って綺麗に真ん中で半分に切る。ふわふわのオムレツは切るのが難しいが、何とか形がそこまで崩れずに半分に出来た。

 無事に半分になったオムレツを与えられたウィレルは、うきうきとスプーンを動かした。その友人の、どこまでもいつも通りで楽しそうな姿に安堵しながら、ハイレートもオムレツにスプーンを向けた。

 今回のオムレツは、先ほどウィレルが食べたものよりも出来が良かった。形の崩れた部分は殆ど見当たらないし、焼き色は綺麗な黄色だ。焦げた部分は見つからない。魔力の調整が上手になっている証拠だった。

 オムレツにスプーンを入れると、するりと入る。ふわふわのオムレツは柔らかく、容易くすくえた。半熟ではないが柔らかく、断面に白が混ざることはない。真っ黄色の、とても綺麗なオムレツだった。

 口に運んで舌に乗せれば、まず感じるのはバターの風味だ。全体の味付けと、恐らくは焼いたときの風味の再現なのだろう。鼻を抜けるバターの香りに嗅覚を刺激されたところへ、卵の柔らかな食感とまろやかな味わいが広がる。

 オムレツをふわふわにするために使われたのだろう牛乳の風味も、全体を丸く包むように存在する。バターと牛乳と卵の相性は悪くないので、全ての味が口の中で調和する。

 調味料は何も入れていないのだが、魔力で変質させる過程で味が付いているのか、そのまま食べてもほんのりとした味わいで口を楽しませてくれる。もちろん、お好みでケチャップやマヨネーズ、ソースなどをかけても問題はない。

 素朴な味わいのオムレツだ。シェフが作る立派なオムレツではない。これは、家庭で食べるような素朴で優しい味わいのオムレツだった。……だからこそ、奇妙な懐かしさでスプーンが止まらなくなる。


「なぁ、ハイレート」

「何だ?」

「このオムレツ、おばさんのオムレツに似てないか?」

「……母さんの?」


 言われて、ハイレートはもう一口オムレツを食べた。素朴で、懐かしくて、温かい味。子供の頃からずっと、家で食べてきた味。確かに言われてみればこれは、母親が作ってくれたオムレツに似ている気がした。


「……一応レシピ本通りに作ったんだけどなぁ」

「イメージの中に、食べ慣れた味が入ってるんじゃないか?」

「なるほどな。……それならこのオムレツは、まだまだ進化できるということか」

「あ、やる気になってる」


 ウィレルの言葉から、調味料が存在しない状態での味付けに自分のイメージが反映される可能性を理解したハイレート。今は素朴な家のオムレツだが、やりようによっては下味の違う、まったく違う味わいのオムレツを作り出せる可能性が見えてきた。

 ひょんなことから手にしていたことに気付いた錬金術の適正。王命によってそれを磨くことを第一とされているハイレート。なので、彼がやる気を出すのは良いことだ。


「オムレツばっかりじゃなくて、他の料理も作れるようになってくれよ」

「……ウィレル?」

「美味い飯、期待してる!」


 ぐっと親指を立ててイイ笑顔を向けてくる友人に、ハイレートはがっくりと肩を落とした。こっちは真面目に鍛錬に励もうと思っているのに、欲望に忠実な言葉を投げかけられたからだ。

 それでも、突然手に入れたこの力を、そんな風に笑い飛ばして受け入れてくれる友人の存在はありがたかった。だから、ハイレートが口にする言葉は決まっている。


「独学なんだから、気長に待ってくれ」


 そう言って笑った顔は、どこか誇らしげだった。自分に出来ることを見つけた人間の、誇らしげな顔である。



 そんなこんなで最弱騎士と呼ばれた青年は、錬金術を極めるために日々料理に精を出すことになるのだった。

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