2:初心者にオススメふんわりオムレツ 中編

 そもそも、ハイレートに錬金術の素質があると分かったのは、一ヶ月ほど前の話だ。その日彼は、城の文官に協力して資料室の整理を行っていた。


「わざわざお手伝い頂いてすみません、ハイレートさん」

「いえ、こちらこそ、いつも書類仕事では手伝っていただいてますから。お互い様ですよ」

「そう言っていただけると助かります」


 小さいとはいえ埃の被った資料室。文官一人で整理するのは大変であろうと、騎士が派遣されたという構図だ。王立騎士団の騎士たちには様々な仕事が割り振られ、雑務もいとわず仕事を行うハイレートはこういった仕事に派遣されることも多かった。

 適材適所とでも言うのだろうか。身体強化の魔術を使えない彼が前線に出るよりも、出来る仕事をきっちりこなす方が現場は回る。ハイレートは騎士になることを目指して騎士団に入ったが、何が何でも前線で騎士らしく戦うことを望んでいるわけではない。

 なので、今日のような仕事も彼にとっては「怪我をする心配もないラッキーな仕事」で終わる。騎士としての仕事は誰かの役に立つためだと思っているので、別に戦場に拘るつもりはないのだ。


「ところで、この資料室はどういった場所なんです?随分と古いようですが」

「数代前の王のときに使われていたそうなんですが、後任の管理者が決まらないままに放置されていたようです」

「それで政務に支障はなかったんですか?」

「えぇ。特に引き継ぎが必要な何かが置いてあるわけでもないので」


 ハイレートの質問に、文官はさらりと答える。すぐに使うわけでもない資料が置かれている部屋なので、後任者が決まらなかった状態で長年放置されていたということらしい。特に用がないので施錠されたままだったらしく、窓も若干曇っている。

 これは掃除も必要だなぁ、とハイレートは思う。荷物の整理を終わらせたら、窓や床、天井や壁も含めて掃除が必要になりそうだ。そのときはそういうのが得意な相手を呼んでこようと彼は思った。

 具体的には、清掃の魔術が得意な同僚だ。ハイレートは魔術が使えないので、魔術の得意な、それも日常系魔術の得意な友人を頼ろうと思ったのである。


「今回の目的は目録を作ることなので、本はタイトルを控えてください。雑貨は概要を書いていただければ助かります」

「了解です」

「……とはいえ、この埃では目や喉を痛めてしまいますねぇ」


 小さく呟いた文官は、少し考えてから両手を身体の前に差し出した。そして、静かな声で呪文を唱えた。


「汚れを消し去れ《清掃》」


 次の瞬間、ふわりと光が周囲を舞う。その優しい輝きが消えたときには、目に見える範囲の埃はなくなっていた。見事な清掃魔術だった。


「お見事です、レック書記官」

「仕事柄、否応なしに上達しただけなんですよ」

「仕事柄、ですか?」

「……積みあがった書類の隙間に埃が溜まると、掃除がそれはもう、大変で……」

「あ」


 ふっと遠い目をする文官改め書記官の青年レックの発言に、ハイレートは思わず声を上げた。確かにその通りだった。隙間に入り込む埃というのは、大変、厄介だ。書記官の仕事場ともなれば資料も含めて書類や本が多くなる。快適な環境を維持するためには必要不可欠だったのだろう。

 ちなみに、ハイレートの同僚で清掃魔術が得意な面々は、大家族育ちだったり、男所帯で育っていたりする。日々細やかに掃除をするのが苦手な者たちが、せめて魔術でどうにかしようと必死に上達させた結果らしい。必要は人を成長させるのだ。多分。

 文官も色々あるんだなぁと思いながら、ハイレートは仕事に取りかかる。本棚はレックが確認しているので、置いてある小物を確認することにする。

 しかし、資料室と呼ばれる部屋の割に、雑然と様々なものが置かれている。何に使うのか分からない物も多数だ。そもそも、これは必要な道具なのか?と思ってしまう。


「レック書記官」

「何でしょうか」

「この部屋、一体何の資料室だったんですか?置いてあるものに統一性がないんですが」

「……あー、それは、使われなくなった後に皆が物を置いていったからだと思います」

「…………雑然としてるのは、不要品を押し込まれたからだ、と?」

「……はい」


 そっと目を逸らすレック。そんな使い方をしていたら、そりゃあこの有様になるであろう。足の踏み場はあるが、統一性皆無のアレコレが好き放題に置かれているのだ。

 それは本棚も同じなのか、レックがぱらりと見せてくれた紙に書かれた書籍のタイトルは無茶苦茶だった。経済学から魔術、魔法に関する本。子育てや福祉、医術に料理と、もはや何のために集めたのか謎なラインナップである。

 しかし、それも皆が不要品を押し込んだ結果だと言われれば、納得できる。というか、そうでもない限り、こんなにも雑多なジャンルで本が集まるとは思えない。

 つまりはこの部屋は半分ゴミ箱みたいなものなんだなぁと考えながら、ハイレートは一つ一つ雑貨を確かめる。使い道が良く分からない道具も色々あったので、形状をできるだけ分かりやすく書くことで対処している。


「しかし、この一角の道具は厨房で見るようなやつだよなぁ……」


 ひょいとハイレートが持ち上げたのは、ガラス製の計量カップだ。先ほどの清掃魔術で汚れは落とされたのか、ピカピカしている。ただ、長い年月を放置されていたことを物語るように、目盛りは少しかすれている。

 計量カップに、計量スプーンに、ボウルに、ザルに、まな板。ケースに入っていたのは包丁と果物ナイフと食事用のナイフの三点セット。資料室で見るよりは、厨房で見かける方が馴染みのある道具たちだ。何でそんなものがあるんだか、と思わず溜め息をつく。

 大方、使わなくなった道具を置き場所に困ってここに持ってきたということなのだろう。それなら処分してしまえば良いのにと思いながら、ハイレートは紙に道具の名前と個数を書いていく。

 そこでふと、目の前にある妙に大きな物体に視線を向けた。ずんぐりむっくりとした図体のそれは、大きな釜だ。子供なら中に入ってしまえそうな大釜。


「……何だ、この釜……。……何か、変な感じが……」


 大釜なんて見慣れていないが、それでも違和感を感じてハイレートは首を傾げる。しばらく考えてから、違和感の理由に気付いた。それは、他の道具が使い込まれているのに対して、この大釜にある痕跡が見当たらないからだ。


「火にかけた痕がないな……」


 そう、それである。

 大釜で何かを煮出すのは良くある。単に大きな器で混ぜたり寝かしたりするのならば、何も釜にする必要はない。少なくとも目の前の大釜は火にかけて使えそうな材質だ。だというのに、火にかけた痕が見当たらない。不思議だった。


「どうされました?」

「この大釜、火にかけた痕跡がないなぁと思って」

「あぁ、それは火にかけないからですよ」

「え?」


 声をかけてきたレックにハイレートは疑問をぶつけた。その彼に返されたのは、意外な答えだった。こんなにも頑丈で、火にかけて大丈夫そうなのに火を使わないとはどういうことなのか。

 そんな風に思っていたハイレートの耳に、レックのさらりとした発言が飛び込んだ。……凄まじい衝撃を伴って。

 

「それ、錬金術用の大釜なんです」

「錬金術ぅ!?」

 

 思わず声を荒らげてしまったハイレートは、すぐにすみませんと謝った。ただ、ハイレートが驚くのを理解していたのか、レックは笑っているだけだ。


「あの、何で錬金術用の大釜が城にあるんですか……?錬金術師、いませんよね……?」

「いませんねぇ。我が国の魔力持ちは、魔術師と魔法師ばっかりですし」

「ですよね。え、昔は錬金術師がいたとかですか……?」

「余所の国から招いてたみたいです。今は外交で欲しいものが手に入るのと、魔法師が育ってきたのでどうにかなってるとか、何とか……?」


 素材と魔力を混ぜ合わせて様々なものを生み出す錬金術師は、とても便利な存在だ。アーレグ王国には存在しないが、他国では国に仕えるものから市井で民に必要なものを生み出す者までいるという。こればっかりは魔力の適正が大事なので、いないものは仕方ない。

 なので、そんな自国の城に錬金術用の大釜が置いてあることにハイレートは驚いてしまったのだ。驚いて、そして、ぺたりと思わず目の前の大釜に触った。

 触って、しまった。


「……え?」


 ハイレートの掌が触れた瞬間だった。それまで鈍い鉄色をしていた大釜が、うっすらと光った。ぼやーっと光った大釜は、ハイレートが驚いて手を放してしばらくすると元に戻った。


「……ハイレートさん、今、何か魔術をお使いになりました?」

「……お使いになってません。そもそも俺、魔術は使えません」

「えぇ、そうでしたね。そうでしたよね。……では、今のは何なんですか!?」

「俺が聞きたいですよ!?」


 何だこの状況!?と二人で慌てながらも、何か参考になる文献はないのかと本棚の中身を探す。探して、そこにあった初級錬金術の教本を見つけた。

 ページをめくって確認すれば、最初のページにこう書いてあった。


――錬金術を行う前に、まずは錬金釜が使える状態か確認しましょう。錬金術に適正のある魔力の持ち主が触って光れば、使える大釜です。光らない場合は修理に出しましょう。


 そのものズバリな説明だった。あまりにも今の状況と合致しすぎていて、二人は思わず顔を見合わせる。

 先に口を開いたのは、レックだった。


「……ハイレートさん、この理屈でいくと、貴方には錬金術の素養があるようなんですが」

「そんな話は初耳ですが!?」


 驚愕しながらももう一度大釜に触ってみるハイレート。やっぱり光った。光ってしまった。

 初心者用の教本を手にしたレックが、大釜に触って光らせているハイレートを見ていた。ハイレートもレックを見ていた。もうどう考えても彼らの手に負えない。というか、何が何やらさっぱりだった。

 そこからの彼らの行動は、早かった。自分たちで分からないなら、分かる人に聞けば良いのだ。ご意見番と呼ばれる城内一の情報通である司書のジジ、失礼、ご老体に話を聞いたのだ。

 二人の説明を聞いたご老体は、一つの仮説を立てた。すなわち、ハイレートの魔力を正しく測定出来ていなかったのではないか、と。

 次に彼らが向かったのは、錬金術師を多く輩出する国の大使が在住している大使館だった。大使を拝み倒し、事情を説明し、その国の魔力計を使わせてもらったのだ。

 結果は、ご老体の仮説通りだった。その国の魔力計で測ったハイレートの魔力は、十分な数値を叩き出した。それも、錬金術の素養があるという意味で。

 それは、アーレグ王国に、何年ぶりになるか分からない錬金術師が誕生した瞬間だった。

 資料室でガラクタとして眠っていた錬金釜は、ハイレートが錬金術師としての修業を積むために必要な道具として持ち出された。持ち出した先は、騎士団の食堂の厨房。……そう、厨房だった。


「レック書記官、何で厨房なんでしょうか……」

「大使が渡してくださった初心者向けのレシピ集が、これなんです」

「……『初心者でも安心!美味しい日々のご飯!』……?」

「資料室にあった教本は基礎の基礎、魔力の使い方や道具の使い方に関してだけで、レシピは載ってなかったんです。そのことを大使に伝えたら、材料も手に入りやすいこれがオススメだ、と」

「……錬金術で、料理……?」


 何で?とハイレートは思わず呟いた。魔力がからっきしだと思っていた自分に隠れた才能が眠っていたのは嬉しい。錬金術にちょっと興味が湧いたのも事実だ。

 しかし、手元にあるのは初心者向けの料理の教本である。確かに、料理ならば材料が食材なので手に入りやすいのも分かる。分かるが、何でこれ、と脱力してしまうのも無理はなかった。


「とりあえず、この教本で頑張って鍛練を積んでください」

「……レック書記官」

「……王命なんで」

「鍛錬は頑張るけど、もっと違う教本が欲しいです……」

「……上に言っておきます」

「お願いします……」


 しょんぼりと肩を落とすハイレート。錬金術というすごい力を手に入れたはずが、何かが違うと思うのだった。



 

 斯くして、錬金術ド素人の最弱騎士は、与えられた教本(料理しか載ってない)を片手に、錬金術の修業に励むのであった。

 

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