白の境に舞う金烏。

錦魚葉椿

第1話 あるいは第4話

 背中が冷たい。

 紫色の夜空に輝く幾千の星と細い鍵穴のような月。

 木の幹が放射線状に視界に広がっていた。

 体の痛みに微動だにすることができず、再び気を失った。



 多分、長い夢を見ていた。

 流れる川を潜り抜けるようにいくつもの映像が通り過ぎた。

 片岡亜津子としての記憶とそうでない記憶が入り混じって流れていく。

 体の感覚は失われ、意識を閉じ込める檻のようだった。

 ―――――死んでしまったのかな。

 真っ白な世界の遠いところから小鳥が飛んできて、胸の上にふわりと降り立った。

 掌に乗るような白くて丸い小鳥はじっと見つめて少し首を傾げる。

 次第に小鳥は真っ赤に色づいて、一閃となると胸の中に溶け入ってきた。


―――――そして亜津子は、見知らぬ世界の深い森の中で目覚めた。






 空は白く、地平の向こう側からの昇る前の太陽の光線が雲に反射して薔薇色に輝く。太陽の色に輝く精霊が群れを成してゆったりと飛んでいく。

 川を国境として両国は互いに砦を築き、遠くにらみ合っているが、互いに攻め込むつもりはない。双方の国境の間には魔物が住む広大な樹海がある。ここは王都と遠く離れた貧しい辺境の地。取り合うことに何の意味もない置き去られた土地。


 彼女は新兵に与えられる飾りのないシャツとズボンの上から、黒いエプロンを腰に巻き、監視台の上に登って、遠くを見ていた。豊かでまっすぐな黒髪を風がなぶる。

「アツコは監視台にいるのが好きかね」

 監視台を見上げてアツコに話しかけた老人の立派な髭は寝ぐせで変な風に曲がっていて、可笑しい。

「そうね、安心するの。ぜんも夜の月と星ばかり見てた。私の故郷とこの国の景色があまりにも違い過ぎるから不安になってくるのね。月と星だけはあまり違わない」

 半年ほど前、アツコは樹海の中から突然現れた。

 本人が主張するにはこの世界とは全く違う次元から転移してきたのだという。

 夫を探すために。

「そうか。だがあまり人気のないところに独りでいてはいけない。儂は紳士だがそうでもない者もいるかもしれないからな。さあ朝食をつくっておくれ、儂ははらぺこだ」

 アツコの前ではすっかり相好を崩し、ただの陽気な髭じいちゃんと化しているが、彼の名はガルドヴィーン。この地を四十年以上守り続けている将軍であり、大賢者と称される。

 彼が高位精霊・金烏きんうと契約し、樹海から魔獣を退けているため、現在この地はただの田舎だが、その代償として彼はこの地を動くことはできない。

 退屈に飽き飽きしていた彼は天から突然与えられた“可愛い孫娘”をまさに目に入れてもいたくないほど存分に溺愛していた。



「どうしてあなたの夫は名前も地名も教えていかなかったのでしょうね」

 ほとほと呆れ果てたという顔で、ついに副官グレンはペンを投げてしまった。

 グレンがあちこちにだしたおびただしい数の手紙の返事に芳しい回答はなかった。

「国名は聞いたような気がするんだけど、地理は苦手だから覚えられなかったんだもん」

 国中の領主たちに彼女の夫の消息を尋ねる文を認めるようガルドヴィーンは副官に指示した。だが、あまりの情報のなさにため息しかでない。

 まあ、文を受け取った方も途方に暮れただろうが。

 丁重に返事をくれただけ感謝しないといけない。

「別の世界から来たなら、地理では習わないでしょうけどねえ。せめて名前の綴りか家名か地名がわかればねえ」

 グレンは口の中でブツブツ言いながら、アツコが憶えていることを聞き取ったメモを眺めた。彼女は言葉に不自由がないが、文字は全く書けなかった。

 ゼンなる男のフルネームもわからないし、絵も大層へたくそだった。そのうえ、ゼンという名はこの国では一般的ではない。

「アロイやハイゲイドは我が国にもある名前だから、まったく可能性がないことはないだろう」

 ガルドヴィーンの声色はやや非難めいて、副官の言葉を遮った。

 アツコはゼンの友人達の名前はたくさん憶えていたが、やはりフルネームは知らなかった。

 ゼンのいた世界に来られたのかどうか、まずそれさえも定かではなく、そもそも彼が無事に戻れたのかもわからない。

 彼女がまばたきをしたら、涙がひとつぶポロリとこぼれた。

「何処へでも一緒に行くつもりだったの。置いていかれると思ったことがなくて」

 グレンは左手で顔を覆い、天を仰いだ。

「ああ、アツコ。そんな顔をしないでください。あなたをいじめるつもりはないのです」

 グレンは副官としてガルドヴィーンに長く仕えてきた。ガルドヴィーンの性格を補完するために相当理屈っぽい性格になっていたが、彼もまたアツコを孫娘のように思っている。



 二人の老人はもちろん彼女のために「ゼン」を探し出したいと真心から思っていたが、真心だけではないのっぴきならない事情もあった。

 この40年、ガルドヴィーン以後にこの地を守る高位精霊・金烏と契約した者はいない。ところが、突然この砦に現れたアツコは契約どころか、金烏と一体化していた。あり得ないことだ。

 空にはまるで鳩か何かのような気軽さで、毎日のように精霊が姿を見せるようになった。

 ガルドヴィーンが契約する高位精霊はこの地の精霊の頂点にいる存在である。アツコと同一となった精霊はまだ小さく幼い存在であったが、確かにそれと同族のモノである。

 ガルドヴィーンも齢70に近づいている。

 いつまでも生きていられるという歳ではない。

 どうあってもこの娘をこの地にとどめる必要があった。

 もし彼女の力を他の者が知ることがあれば、彼女は平和のための生贄として捕らえられて連れていかれてしまうだろう。



 アツコは手がかりとして、「ゼンの故郷の料理」を色々作って砦の食堂で振る舞った。

 それはゼンとアツコが改良を重ねたため、もともとの味からかけ離れていることを彼女は知らなかった。

 すべての兵士に切望されて、彼女は砦の食堂係に就任し、砦は俄かに領地の人気の職場となり、差し入れを目的に訓練は異常なほどの活気をもっている。

 今日の差し入れはニクマン。

「アツコぉ。うまいよお。俺と結婚してくれ」

 誰かが勢いでプロポーズすると、俺も俺もと皆両手にニクマンを持ったまま、手を差し伸べてくる。もし、アツコがこの中の誰かを選ぶとしたら凄まじい戦闘が勃発するだろうけれど。

「ふふ。然は小麦粉料理が上手だったから、小麦粉はあるんだろうとおもって、小麦粉料理を研究したのよねえ」

 山のように積まれていたニクマンはあっという間に消失する。

「―――――然には人を馬鹿にするとか、出し抜いてやろうとかいうところがないの」

 アツコが修行に入ったころは本当に小さな少女だったから、師匠や年の離れた先輩に厳しく指導されたが、やはり他の兄弟子たちより目立って優しく声を掛けられた。ひどく妬まれ、陰にこもった嫌がらせが続いた。アツコに多少の経験ができてきたとしても、年上の後輩から、先輩として扱われることはなかった。

 でも然は突然現れた年下のアツコの指導を疎かにすることはなかった。常に温厚で冷静だった。商店街の手伝いに行ってもいつも誰より重い荷物を持っていた。

「みんながお腹いっぱい食べたのを確認してから肉まんを手に取る人よ」

 空っぽになった籠を見つめて、きっと取り損なっただろう然を想う。

 彼はきっと、いいじゃないか、みんなが喜んでくれたんだから、と笑うのだ。

「再婚してるかもしれないじゃないか」

 兵士の一人が意地悪くそんなことを言った。

「あら、それは無いわ」

 彼女は身をひるがえしてふわりと朗らかに笑う。

「私を置いていってよかったと思うために、余分に不幸になっていると思うの」



 たびたび王都から書状が届けられている。

 砦将軍が俄かに縁を結んだ正体不明の「隠し子」の詳細を説明せよ、という内容のものだ。ガルドヴィーンは頑なに、グレンが慇懃無礼に断り続けていた。


 幾度目かの書状は「宰相からの招聘状」の形式を取り、豪華な封筒になっている。

 ガルドヴィーンはその書状をうけとるや、読まずに燃やした。

 身の内から噴き出した精霊の力に紙が耐えられなかった。

「私はここを離れた方がいいのではないの」

「其方はなにも心配しなくていい。儂はこの国ではそれなりの立場にいる。儂の娘を無理に連れ出すことができる者はいない」

 この国で最も年長の将軍である彼は、まだ若い国王に書状一枚で恣にできると思われていることにもいくらか不愉快な気分になっている様子だった。

 むっつりと黙り込んだ主の代わりにグレンが応える。

「アツコ、あなたはその身の内にいる精霊の存在に気が付いていますね。料理の火力調整にしか使っていませんけど。あなたの力は精霊の成長にしたがい、比類なく強大なものとなるでしょう。あなたの持つ力に比べてあなた自身はあまりに弱い」

「儂のもとにいれば安全だ。今はまだ、どこにもいってはならぬ」

 怒られた子供のようにアツコはうなだれ、唇を尖らせた。

 居心地が悪そうにするガルドヴィーンに気が付いて、彼女は無理して笑った。

「嘘。本当はほっとしてる」

 この世界に来た時には短かった髪も長くなった。

 この世界の女性のように器用に結い上げることはまだできないが、短髪で目立つことはもうないだろう。

 いつでも旅立つことができるよう、最低限の荷づくりはしているが、それを手に持って暇乞いをすることはできずにいた。

「怖いの。この世界に来るまでは何も怖くなかったのに、ここから先が真っ暗なようで」

 怖いのは文字もわからない世界に独りで旅立つことではない。

 中学生の時も、なにひとつ世の中の事なんかわからなかったが、そんなことに何のためらいもなかった。

「この世界のどこかに然がいると信じようとして、心のどこかで、いないんじゃないかと不安なの。いなかったらどうしたらいいんだろう。たどり着いた先が墓石だったりしたらと考え始めたら」

 眠れない夜は監視台で月と星を眺めて過ごす。

 地平線から白く明けてくる空を、明るくなっていく世界を見ていたら、何とか今日も泣かずに頑張れる。

「一歩踏み出さないといけないことはわかってる」

 二人は何と声をかけるのが適切かわからなくて、ただ彼女の背中を撫でた。

 行くなということも行かなくてもいいということも、正しくないような気がしていた。



『砦将軍は隠し子の娘をただ単に可愛がっているが、王都に連れていけるような育ち方をしていない普通の平民』と報告してもらうため、使節団を砦内に留めさせ、いつも通り、兵士の服を着てエプロンをし、食堂で働いている様子を見せた。

 方針は間違っていなかったが、やり方が間違っていた。

 いつもより本気を出したアツコが一流ホテルで磨いた腕を全力で駆使したおもてなしを披露してしまったばかりに、使節団は『思わず娘にして囲いたくなるほどの腕のいい料理人』と報告してしまった。

 なんだかよくわからない視察団が激増した。

 砦内の兵士用食堂はさながらレストランのように扱われ、アツコはますますどこにも行けなくなりつつあった。



 ついに「国王が視察に来る」と先触れが来て、アツコを逃がさねばらならぬ、と将軍は覚悟を決めた。

 ガルドヴィーンはにらみつけるようにアツコを凝視した。

 自らの小指から紋章の入った銀の指輪を外し、アツコの中指にはめる。

「いいか、アツコ。これからはアツコ・ガルドヴィーンと名乗るのだ。この指輪とその名があれば、何処の領地でもいずれの国境でも越えられないところはない」

 指輪から金烏に繋がる力を感じる。

 身分を明らかにするだけではなく、ガルドヴィーンの霊力が込められ、彼女の中の精霊の力をカムフラージュするものだった。

「国王本人が動くとなれば、それ相応の付き人が付き添うだろう。儂の力をもっても其方の身の内の精霊を隠し通せぬ。そうなれば、さすがの儂も其方を引き渡さねばならぬ。其方の力が明らかになれば、国王の意のままになる者と娶せられ、ゼンとは再び出会うことはかなわぬだろう」

 皺だらけの白い掌でアツコの手のひらをすくい上げ、もう片方の手も重ねる。

「勇気を出すのだ。お前は死の狭間を超えてゼンの為にここまで来たのだろう。金烏が其方を導く」

 ガルドヴィーンは袋一杯の金貨を押し付けた。

 肩が抜けるかと思うほどの重さがあった。

 グレンはその金貨の袋を取り上げて、かわりに自分の懐から小銭がたくさん入った財布を四つと手紙、小さな荷物と外套をアツコに渡した。

「金貨などあなたのような娘がもって歩いていたら一瞬で別の悪人に攫われてしまう。あんなにもらったら家が買えてしまう。この手紙は王都に住む私の親戚にあてた手紙と、あなたの身分証明書です」

 家に住まわせ、料理店に職を紹介してやってほしいと書いてある。と彼は言い添えた。外套の裾に何枚かの金貨が縫いこんであることも。

「まず、王都に行って、あなたのゼンを探しなさい」

 王都にラキトフ&アロイ商会という珍しい新商品を取り扱っている店が大儲けしているらしい、と話した。ラキトフとアロイはあっちの世界では店舗で便利グッズを売る爆売れ販売員をやっていた。胡散臭いニセ外人的トークが大うけだった。

 ほんの少しの足掛かりを得て、アツコの表情が少し緩んだ。

「国中を回っても、必ずゼンを見つけて、そして私にこの借金を返しに戻って来なければいけない」

 グレンに美味しいところを取られて、悔しそうに、だがしっかりとガルドヴィーンも頷いた。

「懼れるな、アツコ。其方には必ずできるだろう」

 アツコは覚悟を決めた顔で頷いた。

 ありがとう、と二人の首に順番に抱き着いてハグすると、アツコは抜け道の城壁を滑り降り、樹海の中へと姿を消して、見えなくなった。

 彼女は樹海では迷うまい。

 金烏が彼女を導くだろう。






 将軍は極めて不機嫌であった。

 アツコがいなくなって以来、飯は不味いし、彼女の消息も知れなかった。

 字を書けない彼女が手紙を出せないことに思い至らなかった。

 宛先を書いた封筒を渡しておかなかったことを後悔していた。

 兵士がみんな、飯が不味い不味いというので飯炊きの女中が辞めてしまい、ますます飯が不味くなった。兵士たちは毎日拷問のような飯を口に押し込む。

 一瞬でも天国を味わったものは余計に地獄が辛いのだった。



 要衝ではないこの砦に王都から派遣されている要員は30名。二年ごとに10名ずつ交代要員が送られてきて、残りは地元の徴兵で構成されている。

 ここより西の砦を守る将軍が、自領地に帰還するついでに交代派遣兵を引き連れてやってきたのは春の事だった。

「おお、砦将軍はご病気と伺っておりましたが、思ったよりずいぶんお元気でいらっしゃる」

「去年は本当にくたばるかと思ったが」

 ガルドヴィーンは飯が不味すぎて食が進まず、冬の間に体を壊した。

 この老いぼれのくたばり具合を確認に来られたのかいと付け加えながら彼は些か肘に持たれるように執務用の椅子に座る。

 西方将軍は足を投げ出すようにして気楽に副官用の席を横取りした。

「砦将軍はお元気でいらっしゃらないと。将軍に何かあれば再びこの地は主戦場と化しましょうぞ」

「貴公がわざわざ寄られた用件はなにかな」

 体調のすぐれないガルドヴィーンは少しばかりイラついて用件を尋ねる。

 西方将軍とは信頼関係にあったが、無駄話を重ねるほどに親しい間柄ではない。

 西方将軍もその方がいいのだろう。にっこりと笑って、自らの副官にめくばせで指示をする。

「兵士をひとり、匿っていただきたくて」

 将軍は新兵一人一人の履歴を書いた紙の束から、一枚だけ抜き出してガルドヴィーンに手渡した。ヴェストレ・エルゴ・ザイオンと記された紙には戦死と記録された文字が消され、さらに戦線離脱と部下への脱走教唆の罪で20年の鉱山労働の刑と記載され、そしてその行もまた公印で消し込まれている。

「もともとは若くして魔法剣士隊の一隊長を務めた男です。八年ほど前、前線で配下の者たちとともに姿を消し、戦死とされておりましたが、三年ほど前、部下を連れて突然戻ったのです」

 戦線復帰しようとした彼らは捕らえられ、裁かれることとなった。

「軍法会議の場に、彼を個人的に恨む質の悪いのがいたようで」

 彼が戦線離脱の罪を背負い、ともに戻った者たちは全員除隊処分になった。



「ところで、砦将軍はエストロイの川に橋が架かったのをご存じか」

「あの暴れ川にか」

「その他にも灌漑工事や果樹の栽培方法に革新的な改良を行ったものが続いたのです。それがすべて彼の連れ帰った元部下達であったと」

 事情を確認するため、改めて集められた元部下たちは自分たちがこの世界とは異なる世界にちりぢりに飛ばされていたこと、それをザイオン隊長が再び集結させ苦難の末帰還したことを述べ、彼への恩赦と名誉回復を求めた。

 華々しく断罪された彼はひっそりと鉱山から出された。

 静かに抹殺し、軍の不名誉を消してしまうために。



「あまりに胸糞悪い話でございましたので、兵士に紛れさせて連れてまいりました。砦将軍、どうでしょう。この地においてやってもらえますまいか」

 そこまで説明して、西方将軍は執務室の部屋の外に待機させていた兵士の一人を呼び寄せた。

「ザイオン」

 老人の視線は新兵の一人に置かれた。

 この砦に派遣される兵士のレベルにはいない、強い魔力の波動。

 左の顔に彫られた罪人の入れ墨。

 呼び寄せられ将軍の前に歩み出た男は左拳を胸に当て、魔法剣士らしい敬礼をする。

 左薬指に意匠の凝らされた細い指輪を見た。

 太陽と月が彫られた白銀の指輪。

 不安な顔をしたとき、いつもアツコは左手の薬指にはめた指輪を右手で触れて握りしめ、そして祈るように唇を寄せていた。

「ガルドヴィーン様・・・あれは」

 グレンもまたその指輪に気が付いたようで、ガルドヴィーンの方を見やり、左手で顔を覆って天を仰ぐ。彼は百通以上書いた尋ね人の名が、それすらいい加減な情報であったこと知った。感情が高ぶった時、かれはそうするのだ。

「あの娘はまったく、料理以外は適当なのだから・・・」

 グレンは執務室を飛び出していった。

 彼にはアツコを呼び戻すため、あちこちに手配を指示する手紙を出すという緊急を要する仕事ができたからだ。



「ザイオン。お前は儂の娘婿にならねばならぬ」

 ザイオンと呼ばれた男は困惑した顔をし、丁重に頭を下げた。

「それはまことに恐れ多いことでございますが、私には遠く離れたところにおいてきた最愛の妻がありますので」

 ガルドヴィーンの顔は先ほどまでの厳めしい将軍の顔とは全く違う。

 普通のじいさんになっていた。

「西方将軍よ。其方は儂の救い主だ。いや、我が国の救い主となるだろう」

 砦将軍大賢者ガルドヴィーンが破顔して西方将軍の両腕を掴み、上下にブンブン振り回した。態度の突然の豹変ぶりに将軍はうろたえた。

 彼が連れた副官たちもびっくりして目を見開き、砦将軍と新兵の顔を交互に見た。

 砦将軍はもう一度、喜色を隠し切れない大きな声でザイオンに呼び掛けた。


「儂の娘の名前はアツコという。―――――ゼンという男を探して異世界から来た黒髪の美しい娘だ」



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