第7話
「作戦前のブリーフィングを始める。」
声の主は軍曹と同じ軍服を着た壮年の男だった。短く整えられた白髪混じりの頭髪、髭の剃り残し1つない顔は、すっかり彼の”勲章”を思わせる歴戦の兵士しか漂わせれらない仄暗い静けさと、今まで浴びて来たのだろう鉄混じりの煤臭さを隠さない。また静かに見せつけてくる。
背後の資材置きとなった廊下を数人の兵士風の隊員がせわしなくドタバタとしているのに、ありあわせのカラ木箱を3つ並べて作っただけのひとまずの集会場に集まった人の輪はグンと重い静けさを肩に圧し掛けてくる。
「ここにいるほぼ全員、1度くらいは今回潜っていく回廊は目にしていると思う。」
男は胸の下で落ち着かせていた腕の片方をほどいて太く浅黒い人差し指を静かに机の上の図に乗せた。
(指輪・・・。)
男の指には金色に光るリングが嵌め込まれていた。少し異質な感じだ。いや、リングが特別不思議な訳ではない。単に目の前の男と、その指に嵌め込まれたリング、その組み合わせにだ。男の趣味では無い気がする。彼のような、無骨で仕事人風ではあるけれど身形にはこだわりそうな、そういう人が好んで付けるセンスではないように思える。金のリングは一目でそうと分かるくらいにピカピカに磨けれているが、その事も軍人としての彼には若干矛盾した要素なのではないか。少なくとも俺なら、磨かない。光は敵の眼球を刺す。そして光ほど細いモノもない。磨かれた金なんてものは戦場において全く意図しない標的になってしまう。そんなものを、彼は毎日磨いているのか。
そんな事、今はどうでもいい。
「私が言うまでも無いと思っている。今回の回廊は非常に急な角度で我々から見て下方向に真っ直ぐ伸びている。・・・大抵、こういう角度や高さに関わる変化は、”元居た世界”の風情に重なるモノなんだが・・・今回は、俺たちが今いる一般的な洋館風の回廊のデザインを模倣していると考えられる。」
回廊は、俺たちが”元居た世界”のどこかにはあっただろう建築物や構造物の造形を模倣するように展開される。だから俺たちはこの回廊の中を歩くと、まるで巨大な博物館か学校か、そんな建物を歩いているような気分にさせられる。そして中には今いる回廊みたいに窓のついた廊下だってある。回廊に日差しが差し込む。この光は一見すると、いや、俺たちの理解ではどこからどう見たって慣れ親しんだ日光に違いなく感じる。しかし、恐らく違うのではないか。その証拠に、今回潜る回廊にも日が差しているが、その角度はまるっきり、俺たちが今いる回廊に差し込む光と同じ角度なのだ。普通、ここから下に伸びる回廊なら、我々が回廊の底を見る時には背中に日が当たり、身体の前面は影になる筈だ。しかしそうはなっていない。”回廊から見た日の角度”まで、模倣している。
金の指輪の兵士が話した「風情」という言葉もとても洒落ている。しかし的確だろう。要は、我々が今立っている所が地上だとするならば、ここから下に潜る回廊は”地中”ないし”水中”である方が、自然な感じがする。そうすれば窓の外の景色が海のようになったり、はたまた土に埋もれて暗くなったり。ここがもし”上空”なら、何百mも下に伸びる回廊の途中に雲の層があって底が観測できなかったりしてもいいし、その方が”自然な感じ”だ。
「私の経験則になってしまうが、やはり少し異質な感じがする。なんというか、”再現度”のようなものが低い。そんな感じだ。これが何に起因するものなのか・・・。すまない。この中で昨日から作業している人間はもう知っている事だが、もう1度示し合わせる。現在の対象回廊のサイズはカーブ・コーナーなしで真っ直ぐ1000m、斜面の角度から計算される垂直深度は400mだと記憶してくれ。」
「俺がいない間には伸びなかったか。」
「あぁ。これからどうなるかは分からないがな。」
「じゃあ、もう昇降機は完成したのか。」
「あぁ。もう底の扉まで行けるだろう。」
「わかった。今日降りるメンバーについてだが」
机を囲む人の中、各々立っている者座っている者それぞれだが、一人の男がゴトリとイスを引き背筋を伸ばして立ち上がった。耳まで刈り上げ水平に切り揃えた金髪の男だ。
「私が最下層の足場まで、君と、君の後ろに隠れているその少女を案内しよう。アルバートだ。」
「よろしく。」
細い金属フレームの丸眼鏡は髪型も相まって洒落ているが、彼もまた優し気な雰囲気の後ろに精悍な戦士の面持ちを隠せていない。瘦せこけたように窪んだ頬も太い首で繋がった丸太のような体格から日頃の鍛錬の影を匂わせる。私と同じか少し低い位の背丈にしては分厚い存在感を発しているだろう。座っている時には気付かなかった。
「大小の中継足場も含めて10回の乗り換えをする。後で人数分のハーネスを持ってくるよ。」
「ありがとう。」
『私の分もあるのかしら?』
いきなり背後、自分の尻くらいの高さから声が飛んだ。相変わらず慣れない。
「・・・いま誰か何か言ったかい?」
『私の分のハーネスはあるのかしら?・・・ほら!あなたのお尻に隠れてるから見えないのよ!』
「あぁ・・・ゴメンゴメン。」
モコモコしたモノが私の尻をポコポコ叩いている。それもかなり強めの力で。彼女はたしかアサミの腰に一緒に結んできた筈で、つまり彼女を皆に紹介するには・・・
「アサミ、いい加減挨拶しなさい。」
軍曹の時はずっと隠れていたし自分もそれを許してしまった節がある。しかしここはきちんと、これから作戦を共にするメンバーと連携を取らなければいけない場だろう。補給所で顔も洗ったし髪も梳いた。もう隠れられても困る。
彼女の肩を掴んで引き剥がした。
「アサミ。さっきは強く言ってすまなかった。作戦中は咄嗟の判断が必要なタイミングも多い。なるべくメンバーの顔は把握したいんだ。」
机を隔てて丁度向かいの位置に座っている軍曹が申し訳なさそうな顔で放った声は、肝心のアサミでなく私にぶつかる。さっきと同じだ。しかし、先程のような張り手打ちのような衝撃は無かった。聞こえてくるのはまるで喧嘩の仲直りがしたい少女の消え入る声だ。
「・・・はい。」
今日初めて、アサミが自発的に動いたかもしれない。補給所の水は緊張を癒し、また心を引き締めるには充分すぎるくらい清く冷たかった。それはアサミにとっても同じだったのだろう。
『ほらアサミ!シャキッとしなさい!』
「わっ!わかってるって・・・!」
もう友達というよりお節介なお母さんって感じだな・・・。
「・・・アサミです。よろしくお願いします。それでこの子が・・・」
『決まった名前は無いの。呼びたいように呼べばいいのだけれど、そうね・・・名前・・・名前・・・』
「ワオ。お初にお目にかかります。私がアルバートです、レディ。」
『えぇ。話は聞いていました。最悪、腰にロープでも巻いてくれればいいの。重要なのは、”この”うっかり者が私を落っことした時に置いてけぼりを喰らわないことよ。』
「そんなこと・・・しな・・・い・・・」
「・・・この後、資材から手頃なのを借りてきます。」
『ありがとう。』
「よし。全員の顔が見れたな!アサミくん、ありがとう。」
視線をアサミから机に戻すと、図面から手を離し左右の指を絡める指輪の兵士が我々を見ていた。彼は私と話している時の寡黙な仕事人の顔とは打って変わって、まるでありふれた理想の父親のような慈しみ深い目でアサミを見ると。
「・・・俺はね、変かもしれないけど、この朝の時間が好きなんだ、アサミくん。朝、なんてこと無い世間話ができてた人もその日の夜には”遠く”に行ってしまうかも知れない。だから、こうして皆でお話ができる朝が好きなんだ。」
「え、え・・・うん。・・・がが、頑張りましゅ・・・。」
「うんうん!・・・まぁ、そんな事にはしないがな。」
指輪の兵士はまた元の仄暗い仕事人に戻ると同時に視線を図面に落とす。彼の顔に漂っていた温かな笑顔は、冷たい湖の底に沈むように音もなく消えていった。
「(がんばります・・・がんばります・・・)」
いつの間にかシャツの袖の肘辺りを掴んでいたアサミから消え入るような覚悟の反芻が微かに聞こえる。ショックですっかり目が醒めたようで良かった。俺もビビった。
「他に挨拶したい者はいないか。予め周知しておきたいことはないか。」
参加者は皆口をつぐんでいる。指輪の兵士の考えも分かるが、むしろこうした挨拶は無駄で、さっさとブリーフィングを終わらせて現場に就きたい、というのがこの場の正直な感覚なのだろうか。少し時間を貰ってしまったのかもしれない。
アルバートにチラリと目線を送ると、同じくこちらを見ていたアルバートはニコリと肩をすくませた。まぁこれも必要な時間だったと考えていいだろう。
指輪の兵士が軽く咳払いをする。
「よし、具体的な作戦説明に移るぞ。」
回廊の森、少女の夢。 @My_Life_Of_Music
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