第6話
「遅いぞ若者!!!!」
まるで起床ラッパのような音の壁が、通り過ぎる全てガラス窓を今にも割れそうなくらい震わせながら寝ぼけまなこを擦って自分の肩にしがみ付いていたアサミに衝突した。寝癖が可愛くないカールを作った髪の毛が衝撃波でブワッと後ろに引っ張られるように流れ白いオデコが露わになった。ようなイメージが脳内に再生されるくらいには凄い声だった。
「遅れてすまない。おはよう軍曹。」
「もう部隊は配置に付いているぞ!この作戦の為に仮眠と交代のサイクルも合わせてある。作戦には全隊員が行動できるぞ。」
「ありがとうございます。ほらアサミも。今日の作戦指揮は軍曹だ。」
「う゛~・・・!」
今自分の首を支点にして背中に隠れて蹲ってる彼女の表情は想像に難くない。きっと冷えたスープの冷たさを唇の先で確かめた時のような苦い顔を浮かべて、一生懸命ぶちまけたい悪態の数々を押し殺しているに違いない。
「はぁ・・・。」
「おい、そいつの背中に隠れて何してるんだ。シャッキリしろ!今日の作戦はお前にかかっているんだぞ!」
アサミと軍曹を会わせるとこうなる事は、幾つか考えていたパターンの中でも充分あり得る事態だったけれど、とはいえ早くアサミにも機嫌も眠気も直してほしい。今日の作戦は集中してやらないといけない。
「アサミ、今から作戦のブリーフィングに行かなきゃいけない。サッサと機嫌を治して顔でも洗わせて貰って来い。わがまま言わないでくれ。」
「う゛~!!」
普段から一緒にいる時間も長いから分かる事だが、アサミはまぁ機嫌を損ねて拗ねる事はあっても、本当に子供な訳じゃない。今もただ駄々を捏ねてる訳でもなく、きっと彼女なりに寝惚けた頭で状況の整理を付けようとしている。実際、朝急いで”鳥籠”から出発する時に取り敢えず彼女の腰に紐で軽く括り付けたテディベアも、静かにアサミを見守っている。彼女が口出しをしないのなら、恐らくその必要もないからだ。自分よりもウンと長く深く彼女に触れて来た”先輩”の、アドバイスのような安心感を勝手に感じてしまう。
「軍曹、洗い場はあるかな。ちょっとアサミの顔を・・・」
ついさっきまで自分たちから3,4歩分離れた所で胸を持ち上げるように腕を組んで仁王立ちしていた軍曹がいつの間にか目の前まで迫っている。
「え、ちょっと」
既に半歩ほどの距離まで近付いてきていた軍曹はさらに距離を詰めてくる。後ずさりしたい気持ちと身体は、後ろでつっかえ棒みたいに押し戻してくるヤツのせいで全く思い通りにいかない。普段の彼女を思い返せばこの後の展開なんて読めている。きっといつも部隊訓練中に脇の廊下を通り過ぎる時に見せつけられるような鬼の”叱咤激励”が始まるんだ。自分もとうとうアレの餌食になるのか・・・。正直それとなく関わらないようにしていたけれど、まぁ今回は遅刻気味なこともあって仕方ないだろう。寧ろ普段の部隊の厳格な時間感覚からすれば十分すぎるくらい待たせているに違いない。ここはバシッと受けるべき注意を受けるべきだ。少しの我慢だ。
「えーと!今回は私の管理不足で遅刻して大変申しわけ・・・」
当初目と鼻ほどの距離で襟首でも掴んでくるものかと思っていた軍曹は、チラリとこちらの顔を見上げたかと思うと、すぐに速度を落として、まるで井戸の底でも覗き込むみたいに先程アサミが回り込んだ私の左肩越しに背中のアサミを覗き込んだ。
思えばアサミと軍曹は一体どれくらい面識があるのだろうか。軍曹は私より先に回廊に迷い込んだ人間で、私の知らない時の交流はあったかもしれない。でもあんまり気が合うようには・・・。私も軍曹とはブリーフィングや作戦中の通信なんかで話す機会はそこそこあるけれど、今くらい近い距離感は初めてだ。
「お、おい。」
軍曹は左肩に顎が乗るんじゃないかという距離まで来ると、アサミに声を降りかけた。
本当に軍曹をこんなに近くで見たのは初めてだ。金髪を後ろで1つにまとめた髪型は、アサミに勝るとも劣らない色白の耳を露わにしている。足元は分からないがつま先立ちをしているのだろうか、彼女の胸の鼓動が伝わってきそうな、伝わっている?普段なら見る事のできないくらい解像度の高い人の像を感じて緊張する自分の心臓の音かもしれない。横目気味に見ていると、彼女の耳たぶにピアス穴が開いている。ピアスをする軍曹。休日は付けるのだろうか。勿論軍装ではないだろうが、中々考えた事が無いから想像が難しい。きっと似合うんだろうけど、わからない。ぼぅっと見ていた耳の頂天が次第に赤味を帯びてくる。
「おい。よ・・・よく眠れたか?」
「んう゛ー!!」
しくじった。今の言葉はアサミの中で巻き起こっていた罪悪感と内省の葛藤に相まって、恐らく単に熟睡の具合を尋ねた素直な質問には聞こえなかった。既に彼女は彼女の中で充分自分を責めていたのかもしれない。そんな時に降りかかったこの言葉は鼓膜の中で反響するうちにすっかり「私たちが一生懸命作戦準備をしている間、お前はのんびり眠りこくっていたんだな。」と翻訳されてしまったに違いない。
俺はどうするべきか。背後の彼女を首に引っかけて引きづって来た人間として、今まさにこの渦中、2人に挟まれている状況の1人としてどうするのが円満になるか。
俺が1つ言える事があるとすれば、俺はアサミが遅れた事情を誰よりも知っている。普段から集団生活に慣れ、迅速に身体を動かす事を沁み込ませた人間には分かり辛い、アサミのような孤独の重みを翻訳できる数少ない人間は私の筈だから。窓のないドームでいつもは昼に起きるような生活習慣の彼女が自発的に朝起きてきたのだから、俺はその功績を称えてやりたくもある。
それに軍曹も悪くない。俺にはちゃんとアサミを気遣っているのは分かった。むしろ今日の軍曹はいつもの彼女からは違和感を感じさせるくらい優しくしてくれている。ここは、この2人の間のギャップを理解できている私が一先ず縮こまるアサミを洗面台まで引っ張って行こう。
アサミにはすっかり見えていないだろうが、今の軍曹の表情は正にアサミに見せてやりたいくらいすっかりトギマギした少女の赤面そのものだ。
「お、おい。しゃ、シャッキリしないか!」
「軍曹、こいつは俺がこのまま引きづっていくよ。顔はどこで洗える?」
「え、あぁ。このまま廊下を20m進んだところに野営用の設営がしてある。そこまで行ってくれ。ブリーフィングはメガホンで招集するから聞き逃さないようにしてくれ。一応予め伝えておくと、今回潜る回廊の入口はさらに20m進んだ所の左手だ。時間が有れば確認してみてもいいかもしれない。」
「わかった。・・・気になっていたんだが、この長さの回廊を1日で潜るのか?」
「それもブリーフィングで話すつもりだが、準備がある。」
「わかった。今日は遅れてすまなかった。これは言い訳だけど、こいつも結構頑張って起きたんだ。作戦で挽回させてもらうよ。」
「ふん・・・。さっさと顔洗ってこい。」
「あぁ。ほらアサミも。」
「・・・ん。」
「ほら、自分で立て。」
「ん。」
『ほらアサミ!行くわよ!シャキっとしなさい!』
「え!?うん。」
また突然声が飛んだ。声の主はアサミの腰の辺りからに間違いなかった。
『ほらほら!いちにーいちにー!いつまで彼の首にしがみ付いてるの!私がクマならあなたはまるでコアラか何かよ!鳥籠から動物園にお引越しする!?』
「え、うわーん。ごめんね。ごめんね。」
『別に怒ってないわよ。』
「・・・えへへ。」
相変わらず手厳しい先輩だ。アサミの取扱いならこの”人”に頼ってしまってもいいだろう。ただ、少女の腰に括り付けられているだけのぬいぐるみが出していい覇気じゃない。アサミを嗜める口調は最早友人を通り越してお母さんかなにかだ。
軍曹はこのクマとも面識はあるのだろうか・・・。
「わ、ワァ・・・!」
やたら重い背後霊から視線を戻すと、そこには見たこと無いくらい期待と驚きに目を輝かせる少女然とした人物がいた。
(初めて見る顔してるー!)
今まで勝手な先入観で距離を置いていたけれど、彼女とは存外に上手くやっていけそうな気がしてきた、凄く。
「わぁ・・・。・・・ハッ!・・・は?どうしたさっさと行け。」
「あ、はい了解であります。」
ぬいぐるみに然るべきお叱りを受け、すっかり自立2足歩行ができるようになったボサボサ髪の少女の手を引きながら、野営エリアに向かう。ここまで何もなかった木枠のガラス窓が並ぶ洋式の廊下の白い壁紙は、”作戦エリア”に入った途端、オリーブグリーンの厚布が被せられた資材や道具箱、弾薬箱で影に隠れていく。物の密度が増すにつれ空気も緊張感を増し、これから行う作戦、これから対峙する”相手”の底知れなさに対する人々の感情が直接身体に圧し掛かるような気分だ。
「アサミ、集中して行こう。嫌な話だが、俺たちにかかってる。」
「・・・うん。」
「これが終わったら、アップルパイ食べような。」
「チキンステーキもね。」
「約束しよう。」
一日が始まる。
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