陳平、楚の上卿となり、のち漢に降る

 陳涉ちんしょうが起ちて陳に王となり、周市しゅうしをして魏地を略定させ、魏咎ぎきゅうを立てて魏王となしました、秦軍を臨濟りんさいにあい攻めました。


  陳平はかたく已前にその兄の伯に謝して、少年をしたがえて往きて魏王・咎に臨濟につかえました。魏王は陳平を太僕たいぼくとなしました。魏王に說きて聽かれず、人のあるものが陳平を讒言ざんげんしたために、 陳平はげ去りました。



 しばらくあって、項羽こううが地を略して河上にいたり、 陳平はゆきて項羽に帰しました。(関中に)入り秦を破るにしたがい、項羽は平に爵・卿(卿という爵)を賜りました。項羽につかえ、爵を賜われ卿となったのです。なお、注にいうには、禮秩れいちつけいのようであるが、ことは治めなかった、つまり名目上、卿となったのだ、とのことです。


 項羽は東にゆきて彭城に王となりました。漢王は還りて三秦を定め東へいき、殷王・司馬昂しばこうは楚にそむきました。


 項羽はそこで平を信武君となし、魏王・咎の客の楚にあるものをひきいさせ、ゆきて、殷王を擊ちくだして還りました。項王は項悍こうかんをして平を拜して都尉となさせ、金二十溢を賜いました。居ることいくばくもなく、漢王は攻めて殷王を下しました。


 項王は怒り、まさに殷の將吏しょうり誅定ちゅうていしようとしました。平は誅されることをおそれ、そこでその金と印とを封じて、使いをして項王(項羽)に帰させしめました。


 そして平は身をひとつで間行し(密かにゆき)、剣を杖としてにげました。船人はその美丈夫にしてひとりゆくを見て、その亡將であることを疑い、要(腰)中に金玉・宝器が有るはずだと、これを目をつけ、平を殺そうとしました。平は恐れ、そこで衣を解いて(はだか)となって船を刺す(こぐ)のをたすけました。船人はその有ることがないことを知り、そこでやめました。



 河を渡り、平はついに修武しゅうぶにいたって漢にくだり、魏無知ぎむちによって漢王にまみえるを求めました。


 漢王は召して入れました。


 この時、萬石ばんこく君・石奮せきふんが漢王の中涓ちゅうえんとなっていましたが、平の謁を受けて、平を入見させました。平等は七人で共に進み、食を賜りました。


 漢王はおっしゃいました。


「罷めて、舍につくがよい。」


 陳平は申しました。


「臣は事のために來たりました、言うところはもって今日を過ぐべきにございません。」


 ここにおいて漢王はともに語りて陳平をよろこび、問うておっしゃいました。


「子が楚に居たとき何の官であった?」


 陳平は申しました。


「都尉たり。」


 この日、すぐさま陳平を拜して都尉となし、參乘さんじょう(車に同じく乗るもの)とさせ、護軍ごぐんをつかさどらせました。


 陳平をして護軍をつかさどらせて、諸將を監しまもらせたとのことです。


 諸將はことごとくけんして(不服をもうして)申しました。


「大王は一日、楚の亡卒(逃げた卒)をえて、いまだその(位の)高下を知らないのに、しかるにすぐさまともに同じくり、かえって長者を監護かんごさせられる!」


 漢王はこれを聞き、いよいよますます陳平をさいわいされました。

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