韓信、項羽の人となりを説く

 韓信かんしんは謝し、そして漢王に問うて申しました。


「今、東にむかい權を天下に爭うのは、まさに項王こうおう項羽こうう)(が相手)でございませんでしょうか?」


 漢王はおっしゃいました。


しかり。」


 韓信は申し上げました。


「大王がみずからはかられますに、勇悍ゆうかん仁強じんきょうなること項王といずれがまさっておられますか?」


 漢王は默然たることやや久しくして、おっしゃいました。


かざるなり(及ばない)。」


 韓信は再拜して賀して申しあげました。


「これ信もまた大王はしかずとなすのです。そうではありますが臣はかつて項王につかえました、請いますに、項王の人となりをいわせていただきます。


 項王が喑噁いんお叱咤しったして(怒声を発せば)、千人がみなふせ(伏せ)ます、そうではありますが賢將に任屬にんしょくすることができません、これはただの匹夫の勇なのです。


 項王の人をみることは恭敬にして慈愛、言語は嘔嘔くくとして(和好して)、人に疾病があれば、涕泣して食・飲を分ちます。


 人をして功があって封爵にあてしむにいたっては、印が刓敝がんぺい(潰れ壊れる)しても、忍びてあたえることができません、これはいわゆる婦人の仁にございます。


 項王は天下に霸となり諸侯を臣とすといえども、関中におらずして彭城ほうじょうに都しました。義帝ぎていの約にそむき、そして親愛する王をもってすることがあったので、諸侯は平らかではありませんでした。


 諸侯は項王が義帝を遷逐せんちくし江南に置いたこと、またみなその故主を帰逐きちくしてみずから善地に王となったことをみました。


 項王の過ぎるところは殘滅ざんめつしないというものがなく、天下は多く怨み、百姓ひゃくせい(國民)は親附せず、ただ威・強におびやかされているだけなのです。名は霸となすといえども、まことは天下の心を失っています。そのために『その強は弱めやすし』、と申しました。


 今、大王がまことによくその道にかえり、天下の武・勇を任ずれば、どこに誅せないでしょうか!天下の城邑をもって功臣を封じれば、どこが服さないでしょうか!義兵をもって東帰を思うの士をしたがえれば、どこに散しない敵がありましょう!


 かつ三秦の王は秦將となり、秦の子弟をひきいること数歲というのに、(その子弟を)殺亡するところはかぞえるにたえることができません。またその衆をあざむきて諸侯にくだり、新安しんあんにいたりて、項王はいつわりて秦の降卒・二十餘萬をこうし(穴埋めにし)、ただひとり章邯しょうかん司馬欣しばきん董翳とうえいのみが脫することができたのです、秦の父兄のこの三人を怨むことは、痛みが骨髓に入るようです。


 今、楚は強く威をもってこの三人を王とするも、秦民に(王を)愛するものはないのです。


 大王が武關ぶかんより入るに、秋毫しゅうごう(わずか)もそこなうところがなく、秦の苛法かほう(厳しい法)をのぞき、秦民と約し、法は三章だけでした。秦民の大王の秦に王たるをえんとほっしないものはないのです。


 諸侯の約において、大王はまさに関中王たるべきでした、関中の民はみなこれを知っております。大王は職を失いて漢中に入られ、秦民に恨まないものはないのです。今、大王が舉兵して東すれば、三秦は檄を伝えて定めることができるのです。」


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