鴻門の会(下)

 この時にあたり、項羽こううの軍は鴻門こうもんのもとにあり、沛公はいこうの軍は霸上はじょうにあって、あい去ること四十里でした。


 沛公はそこで車・騎を置いて、身を脱しましたがひとりでありました。樊噲はんかい夏侯嬰かこうえい靳強きんきょう紀信きしん等の四人だけが、剣、盾をもって步走ほそう(騎馬ではなく走ったのでしょう)し、驪山りざんのもとより、芷陽しように道をとり、間行かんこう(密かに進んで)して、霸上におもむきました。


 沛公は張良にいっておっしゃいました。


「この道によってが軍にいたるには、二十里をすぎないだけである。我れが軍中にいたるをはかって、公はそこで入れ。」


 沛公はすでに去り、ひそかに(沛公が覇上の)軍中にいたると、張良は入って謝し、項羽に申しました。


「沛公は桮杓はいしゃくにたえず(これ以上飲むことができず)、辞することができませんでした。謹んで臣・良をして白璧はくへき(玉、宝石)一そう(双)を奉じ、再拜して將軍の足下に献じます。


 玉斗(玉の柄杓)一そう(双)をして、再拜して亞父あふ(范増)の足下に奉じます。」


 項羽はいいました。


「沛公はいずくにある?」


 張良は申しあげました。


「將軍が沛公を督過とくか(過ちを督す)されるに意がある、と聞き、身を脱してひとり去りました、すでに軍にいたったのではないでしょうか。」


 項羽はそこでへきを受けとり、それを坐上ざじょうに置きました。


 亞父は玉斗を受けると地に置き、剣を拔いてきてそれをこわし、申しました。


「ああ、豎子じゅしはともにはかるに足らず!將軍の天下を奪うものは、必ず沛公である。吾が屬、今にこれがとりことなるか!」


 沛公は軍にいたると、たちどころに曹無傷そうむしょう誅殺ちゅうさつしました。


 居ること数日にして、項羽は兵を引いて西へゆき、咸陽をほふり、秦の降王こうおう(降った王)・子嬰しえいを殺し、秦の宮室を燒きました。火は三月、えませんでした。その貨宝、婦女をおさめて東へいきました。


 秦の民は大いに望みを失いました。


 韓生かんせいが項羽に説いて申しました。


「關中(関中、秦の地)は山に阻まれ河をおび、四塞しそくの地にございます、地は肥饒ひぎょうです、都にしてそして霸となるべきです。」


 項羽は秦の宮室がみなすでに燒いたために殘破ざんはしているのをみて、また心に東に帰ることを思い、申しました。


「富貴となって故鄉に帰らないのは、衣繡いしゅうして(着飾って)夜行する(夜ゆく)ようなものだ、誰がこのことを知るものがいるというのだ!」


 韓生は退しりぞいて申しました。


「人は言うに、楚の人は沐猴もくこう(猿の一種)であって冠しているだけだ、と、はたしてそうであった!」


 項羽はこれを聞いて、韓生をました(烹て殺しました)。

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