鴻門の会(中)

 項羽は剣をあんじて樊噲をひざまづかせていいました。


「客よ、何するものだ?」


 張良が申しました。


 「沛公の參乘さんじょう(戦車に同乗するもの)の樊噲というものにございます。」


 項羽がいいました。


壯士そうしである!これに巵酒ししゅ(杯にいれた酒)をたまえ。」


 そこでほどもの巵酒ししゅをあたえました。樊噲は拜謝し、起ち、立ってこれを飲みました。


 項羽がいいました。


「これにてい(豚の子)の肩を賜え!」


 そこで一つのなまていの肩をあたえました。


 樊噲はその盾を地にくつがえし、ていの肩をその上に加え(置い)て、剣を拔いて切ってその肉をくらいました。


 項羽がいいました。


「壯士よ、また飲むことができるか?(能復飲乎?)」


 樊噲は申しました。


「臣は死すら避けません、卮酒がどうして辞するにたりましょう!


 それ秦王には虎狼の心がありました、人を殺すことは舉げることができないようで、人を刑することはえない(多くない、少ない)のを恐れるようでした。


 天下はみな秦にそむきました。


 懷王かいおうは諸將と約しておっしゃいました。


『先に秦を破り咸陽に入るものはこれ(秦、関中)に王とす』


 今、沛公はさきに秦を破って咸陽に入り、毫毛ごうもう(細い毛のようにわずか)もあえて近づくところがあらず、宮室を封閉し、還って霸上はじょうに軍し、そして將軍のこられるのを待たれたのです。


 もと將をつかわして關を守ったのは、他の盜(反乱軍)の出入と非常とに備えてです。


 勞苦して功の高きことこのようであったのに、いまだ封侯の賞はあらず、かえって細說さいせつを聴き、有功の人をちゅうしようとされる。これは亡き秦の続きであって、ひそかに將軍のためにとらないのです。」


 項羽はいまだそれにはこたえることはあらず、いいました。


「坐れ。」


 樊噲は張良にしたがって坐りました。


 坐ること須臾しゅゆ(わずか)にして、沛公は起ちてかわやにゆきました。そして樊噲を招いて出でました。


 沛公がすでに出でて、項羽は都尉の陳平ちんへいをして沛公を召させました。


 沛公はおっしゃいました。


「今は出でたが、いまだ辞していない。これをどうしよう?(為之柰何?)」


 樊噲が申しました。


「大行はこまかい謹しみをかえりみず、大禮は小さなめを辞さず。さらに今、人(項羽たち)はまさに刀俎(刀とまな板)であります、我は魚・肉であります、どうして辞などをなしましょう。」


 ここにおいてついに去りました。そして張良をして留まってしゃさせました。


 張良は問うて申しました。


「將軍が來れば何をかとらん?(どういたしましょう?)」


 沛公はおっしゃいました。


「我は白璧(白い玉・宝石)を一そう(双、単位)もっている、將軍に献じたかった。玉斗(玉の柄杓ひしゃく)の一そう(双)は、亞父あふ(范増)にあたえたかった、その怒りにあって、あえて献じていない。公よ、我がためにこれを献じてくれ」


 張良は申しました。


「謹しんでうけたまわりました。」




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