項伯、夜、張良を訪ねる

 沛公はいこう默然もくぜんとしておっしゃいました。


「もとよりしかざるなり(相手にならない)。まさにこの事態をどうするべきだろう?」


 張良ちょうりょうは申しました。


「請いますに、往きて項伯こうはくにいって、沛公のあえてそむかないことを言わせるのです。」


 沛公はおっしゃいました。


「君はどうして項伯と(つて)があるのだ?」


 張良は申しました。


「秦の時、臣と游びましたが、かつて彼が人を殺したことがあります、臣がこれをかし(逃したか?)ました。今、事はきゅうであり、だから幸いに來りて良に告げてくれたのです。」


 沛公はおっしゃいました。


「君とどちらがわかいか、ちょうじているか?」


 張良は申しました。


「臣より年長でございます。」


 沛公はおっしゃいました。


「君よ、我がために呼び入れよ、吾れ、これ(項伯)に兄事けいじすることをえん。」


 張良は出でて、固く項伯をようしました。


 張良は不思議な人物です、敵の軍に、夜間忍び込んでまで救おうとする友がいたわけです、しかもそれによって、沛公を救おうとしています。そしてこの人の手の中に、沛公の運命はあったのです。


 項伯はそこで沛公に入見しました。沛公は卮酒ししゅ(杯によそった酒)を奉じてことほぎ、婚姻をなすことを約し、おっしゃいました。


「吾れが關に入るや、秋毫しゅうごう(秋の獣の毛、細いことからわずかなことにたとえる)もあえて近づくところがありませんでした。吏民をせきし、府庫ふこふうじて將軍(項羽)を待ちました。將をつかわし關を守りし理由は、他の盜の出入と非常にそなえたのです。


 日夜、將軍のいたるを望みました、どうしてあえてそむきましょうや!願わくははく(名ではなく、年上の人、という意か?)がつぶさに臣のあえて德にそむかないことを言ってください。」


 項伯は許諾し、沛公にいって申しました。


旦日たんじつ(明日)つとにみずから來りて謝するべきにございます。」


 沛公はおっしゃいました。


だく(わかった)。」


 ここに項伯はまた夜を去り、軍中にいたり、つぶさに沛公のことを言って項羽にしらせました。


 沛公の言によって申しました。


「沛公が先に関中を破らなければ、公はどうしてあえて入れたでしょうか!今、人に大功が有ってこれをつは、不義にございます。その功によって沛公を善遇ぜんぐうするがよろしゅうございましょう」


 項羽は許諾しました。


 沛公は旦日(次の日)、百餘騎をしたがえて項羽に鴻門に來見し、謝しておっしゃいました。


「臣は將軍と力をあわせて秦を攻め、將軍は河北かほくに戰い、臣は河南かなんに戰いました。みずからおもわず、よく先に關に入りて秦を破り、また將軍にここにまみえんとは。今、小人の言があって、將軍をして臣とげきがあらしめようとしました。」


 項羽はいいました。


「それは沛公の左司馬さしば曹無傷そうむしょうがそれをいったのだ。そうでなければ、せき(項羽)は何をもってこのようなことにいたろうや!」


 項羽はそこで沛公を留めてともに飲みました。


 有名な「鴻門の会」がはじまります。


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