項羽、関中に入る、范増、劉邦の気を望む

 さて、あるものが沛公はいこうに説いて申しました。


「秦の富は天下に十倍し、地形は強うございます。聞きますに、項羽こうう章邯しょうかんを号してよう王とし、関中に王としようとか。


 今、項羽が来たれば、沛公は恐らくはこれ(関中)をたもつことができないでしょう。


 急ぎ兵で函谷關かんこくかんを守らせ、諸侯の軍をいれないようにするべきです。ゆっくり関中の兵を徵発してみずからをし、諸侯の軍をふせぎましょう。」


 沛公はその計をしかりとし、それにしたがいました。



 しばらくして項羽が關(関所)に至りましたが、關の門は閉ざされていました。項羽は沛公がすでに関中を定めたと聞き、大いに怒って、黥布げいふ等に關を攻破させました。



 さて十二月、項羽は進んでにいたりました。


 沛公の左司馬さしば曹無傷そうむしょうが人を使いさせて項羽にいって申しました。


「沛公は関中に王でありたいと思っています。子嬰しえいをしてしょうとならせ、珍宝はことごとくそれらを保有しています。」


 そしてその密告でほう(封爵)を求めようとしました。


 この密告を聴いた項羽は大いに怒り、士卒をきょうし、旦日たんじつ(明日)には沛公の軍をつことを(約束)しました。



 この時にあたり、項羽の兵は四十萬で、百萬と号し、のちの新豐しんほう鴻門こうもんという場所にいました。


 ほうというのは沛公・劉邦の出身地で、のちに天下を統一してから、新しくその故郷の民を呼び寄せたことから新豐と呼ぶ、と注にあります。また注は鴻門についても触れていますが、ここは深入りを避けます。


 沛公の兵は十萬で、号して二十萬とし、霸上はじょうに在りました。



 范增はんぞうが項羽に説いて申しました。


「沛公が山東に居たとき、財貨に貪欲で、美姬を好んだ。今、關に入るに、財物を取るところがない。婦女は幸いするところがない。これはその志が小にないのだ。吾が人をしてその氣を望ませたところ、みな龍虎とし、五采を成すとした。これは天子の氣である。急ぎ擊って失うことがないように」



 楚の左尹さいん項伯こうはくという者は、項羽の季父きふ(おじ)でありましたが、もとから張良ちょうりょうかったので,そこで夜に馳せて沛公の軍にゆき、ひそかに(個人的に?)張良にまみえ、つぶさに告げるに項羽のことについてして、張良を呼んでともに去ろうとして、申しました。


「ともに死ぬな!」


 張良は申しました。


「臣は韓王のために沛公を送っている。沛公に今、急があるのに、亡去ぼうきょしたら、義ではない、語らないといけない。」


 張良はすぐさま入って、つぶさに沛公に告げました。沛公は大いに驚きました。


 張良は申しました。


「公の士卒をはかるにそれらで項羽にあたるに足りますか?」


 沛公は默然もくぜんとしておっしゃいました。


「もとよりしかざるなり(相手にならない)。まさにこの事態をどうするべきだろう?」

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