二世皇帝、哀願す、趙高の死

 二世皇帝は閻樂えんらくに申されました。


「丞相(趙高ちょうこう)にまみえることはできないだろうか?」


 閻樂は申しました。


「不可である」


 二世皇帝は申されました。


「吾れは一郡をえて王となることを願いたい。」


 しかし許されませんでした。


 また申されました。


「願わくば萬戸侯となりたい。」


 これも許されませんでした。


 二世皇帝は申されました。


「願わくば妻子と黔首けんしゅ(一般民)となり、諸公子の身分に戻りたい。」


 閻樂は申しました。


「臣は命を丞相より受けており、天下のために足下をちゅうす。足下が多く言うといえども、臣はあえて報ぜず」


 閻樂はその兵をさしまねいて進みました。


 二世皇帝は自殺しました。



 閻樂は帰って趙高に報じました。


 趙高はそこでことごとく諸大臣、公子を召し、二世皇帝を誅したさまを告げました。そして申しました。


「秦はもと王國であった。始皇帝が天下に君となられ、そのために帝を称した。今、六國はまた自立し、秦の地はますます小さくなっている。そこで空名で帝としている、不可である。よろしく王としてもとのようにする、それがいいだろう」


 そこで二世の兄の子である公子・えい(子嬰)を立てて秦王としました。


 黔首けんしゅ(一般民)として二世皇帝を杜南となん宜春ぎしゅん苑の中にほうむりました。


 九月になりました。


 趙高は子嬰しえい齋戒さいかいさせ、廟見びょうけんに当たらせ、玉璽ぎょくじを受けさせようとしました。ものいみすること五日となりました。


 子嬰はその子・二人とはかって申しました。


「丞相・趙高は二世を望夷宮ぼういきゅうに殺した。群臣が自分を誅するのを恐れている。そこでいつわって義で我を立てたのだ。


 我は趙高が楚と約して、秦の宗室を滅して關中(関中)に王たらんとしていると聞く。


 今、我をさい(ものいみ)して廟に見えさせ、ここに廟中に我を殺そうとしている。我は病と称して行かない。丞相は必ずみずからきたるだろう。きたれば趙高を殺そう。」


 趙高は人をして子嬰にしばしばれんする(輦に乗る)ことを請いましたが、子嬰は行きませんでした。趙高ははたしてみずからゆき、申しました。


宗廟そうびょう重事じゅうじにございます、王はどうして行かれないのですか?」


 子嬰はついに趙高を齋宮さいきゅうに刺殺し、趙高の三族を族滅して平らげました。



 秦は將兵しょうへいを派遣して武關を防がせていました。


 沛公はいこうのもとには、趙高がすでに二世を殺してから、使人(使い)がきて、関中を分けて王となる約をしようとしました。沛公はいつわりであるとしました。


 張良ちょうりょうの計を用い、酈生れきせい陸賈りくかを使いさせ、ゆきて秦將に說かせ、くらわすに利をもってしました。そして武關を襲い、攻めて、武關をやぶりました。


 また秦軍と藍田らんでんの南に戰いました。ますます擬兵ぎへい旗幟きしを張りました。もろもろのすぎる所にはりゃく(略奪品)をえないようにしました。秦の人はよろこび、秦軍はおこたりました。そこで秦軍を大いにやぶりました。


 またその北に戰い、大いに秦軍をやぶりました。


 勝ちに乘じ、ついに秦軍をやぶりました。



 冬、十月になりました。


 沛公は霸上はじょうにいたりました。秦王・子嬰は素車そしゃ、白馬により、くびからひも)をかけ、皇帝の、節を封じ、軹道しどうの亭のかたわらに降伏しました。



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