張耳と陳餘の反目、彭越、沛公に合流する

 鉅鹿きょろくの戦いは項羽こうう軍の勝利に終わりました。


 ここに趙王・けつ張耳ちょうじはようやく鉅鹿城を出ることができ、諸侯に感謝しました。


 張耳は陳餘とたがいにまみえ、陳餘があえて趙を救わなかったことについて責讓せきじょう(責めなじる)しました。張黶ちょうえん陳澤ちんたくのあるところを問うにおよび、(張黶、陳澤が戦死したその事情を聞いたものの)陳餘が彼らを殺したと疑い、しばしばそのことを陳餘に問いました。


 陳餘は怒って申しました。


「おもわなかった、君(張耳)の臣(陳餘)を怨望おんぼうすることがこれほど深いとは!


 どうして臣(陳餘)についてこの出来事のために將の印を去らないのか?」


 そして印綬いんじゅ脱解だつかいして、して張耳に与えました。


 張耳もまたおどろきて受けませんでした。陳餘はたちてかわやにゆきました。


 客に張耳に説くものがあり申しました。


「臣は聞いております。


『天が与えて取らなければ、かえってそのとがを受ける』と(『國語こくご』に出典があるという)。


 今、陳・將軍は君に印をあたえられました。君が受けなければ、かえって天が不祥ふしょうをなします。いそぎ印を取られよ!」


 張耳はそこでその印をび、その麾下きかの兵をおさめました。そこへ陳餘が還ってきました。陳餘もこれをみて張耳を怨望おんぼうしました。しかし張耳をせめず、ついにはしりていでました。


 麾下のくするところのもの数百人とのみのほとりにゆき、たく中に漁猟ぎょりょうする生活を送ることにしました。


 趙王・歇は信都しんとかえりました。



 さて沛公に目を移します。


 春、二月、沛公はいこうは北に昌邑しょうゆうを撃ち、彭越ほうえつという人物にあいました。


 彭越はその兵ごと沛公にしたがいました。


 彭越は、昌邑の人で、つねに鉅野きょやたく中で漁をし、群盜ともなっていました。


 陳勝、項梁が起ったとき、少年のあるものが彭越にいって申しました。


「たくさんの豪傑がそれぞれ立って秦にそむいている。仲(彭越のあざな)もだから來たほうがいい、またこのことをいたそう」 


 彭越は申しました。


「両龍がまさに闘っている。しばらくこのことは待て」


 陳勝ちんしょう項梁こうりょうが蜂起してから、たくのあいだの少年がそれぞれあつまって百餘人となり、ゆきて彭越にしたがって申しました。


「請う、仲(彭越)よ、長となれ」


 越は拝謝して申しました。


「臣は諸君とともにすることを願わない」


 少年たちはしいて請いました、そこでやむをえず許しました。


 少年たちと旦日たんじつ(明日)の日(太陽)がいでるを(約束の期限)として会することを決めました。期におくれるものは斬ることにしました。


 旦日の日がいでて、十餘人がおくれました。おくれたものは日がちゅうする頃(正午になる頃)になっていたりました。ここに彭越はまた拝謝して申しました。


「臣は老なり(年上である)、諸君が、しいてもって長とした。今、期して多くがおくれるも、ことごとくはちゅうすべきではない。最もおくれたもの一人を誅しよう」


 そして校長こうちょう(部隊の長)にそのものを斬ることを命令しました。


 みな、笑って申しました。


「どうしてそこまでしないといけない!、請う、おくれることあえてせず(もう遅れません)」


 ここに彭越は一人を引いてそのものを斬りました。壇をもうけて祭り、徒屬とぞくに命令しました。


 みな大いに驚き、あえて仰視ぎょうしするものはおりませんでした。


 そこで地を略し、諸侯の散卒さんそつをおさめ、千余人をえて、ついに沛公を助けて昌邑を攻めました。

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