諸軍、鉅鹿城(趙)の救援に至る、張耳と陳餘

 十二月、沛公はいこうは兵を引きてりつに至り、剛武ごうぶ侯にあいました。


 楚の懐王かいおうの武將だったとも、魏の將ともいい、名も陳武ちんぶのことであるとか、柴武さいぶだとか、名前はわからないなど、注はさまざまなことを述べています。


 ともかく沛公はその軍、四千餘人を奪い、その軍をあわせました。魏の將・皇欣こうきん武滿ぶまんの軍と力を合せて秦軍を攻め、秦軍をやぶりました。


 もとの齊王・けんの孫・あん濟北さいほくをくだしました。項羽こううにしたがい趙を救いました。


 章邯しょうかんの軍は甬道ようどうを築いて河に続け、王離おうりの軍に食料を補給しました。


 甬道とは両側に垣を築いて敵の攻撃を防いだもののようです。


 王離の兵は食が多くなり、急ぎ鉅鹿きょろくを攻めました。


 鉅鹿城の中は、食はつき、兵は少く、張耳ちょうじはしばしば人をして召して陳餘ちんよにすすむよううながさせました。陳餘は兵が少く、秦に敵しないことをはかり、あえてすすみませんでした。


 数カ月がたちました。張耳はおおいに怒り、陳餘をうらみ、張黶ちょうえん陳澤ちんたくをゆかせて陳餘をせめて申しました。


「はじめ吾れ(張耳)は公(陳餘)と刎頸ふんけいの交りをなした。


 今、王と耳(張耳)とは旦暮たんぼにもまさに死のうとしている。そうであるのに公(陳餘)は兵、数萬をようし、互いに救うことをがえんぜない。どこに互いに死を誓った約束はある!


 仮にも必ず信頼があるのなら、どうして秦軍におもむいてともに死なないのだ。まさに十に一回か二回はお互いが身を全うできる可能性があるだろう」


 張耳は陳餘を激しくなじったわけです。


 陳餘は申しました。


「吾はすすめばついに趙を救うことができず、あだに軍をくし亡ぼすということをはかっているのだ。


 かつ餘(陳餘)のともに死なない理由は、趙王、張君のために秦に報復しようとしているのだ。今、必ずともに死ねば、肉を餓虎がこ(飢えた虎)にゆだねるようなもので、何の益があろう!」


 しかし使者の張黶ちょうえん陳澤ちんたくはともに死すことを強要しました。


 張黶、陳澤は申しました。


「事はすでに急であります。ともに死んで信を立てるべきです。どうして後のおもんばかりを知りましょう!」


 陳餘は申しました。


「吾は死を考えるに無益だとおもう。必ず公らは言ったとおりにしてはどうか。」


 陳餘はそして黶、澤に五千人をひきいてまず秦軍を試させました。秦軍にいたれば、みな没しました。


 この時にあたり、齊の師(軍)、燕の師(軍)とも、みなきたりて趙を救いました。


 張敖ちょうごうもまた北にだいの兵をおさめ、萬餘人を得て、来りました。(張敖は、耳の子です。)


 ですがみな、陳餘のかたわらにへき(砦)を作り、まだあえて秦を撃ちませんでした。


 しかし、鉅鹿城に、決戦が迫ります。


 項羽がやってきたのです。

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