李斯、死して、趙高、丞相となる

 賢明な范雎はんすいは自ら身を引き、引退しました。李斯りしは権力に溺れ、民の声に耳をふさぎ、そして自滅したのかもしれません。


 民を圧迫し、酷使する政権、それが秦の本質だったのでしょうか?しかしその終わりの声は、その強力な法による支配と、栄華がはなやかだったがゆえに、哀愁をさそい、我々の胸に響いてきます。


 秦には秦という国の役割がきっとあったはずです。歴史はそれを刻んでいる。しかしそれが正しかったのか、別の道がなかったのか、よく考えてみる必要があります。


 ともかく、李斯には終わりがおとずれます。


 趙高はそのかく、十餘輩よはい(十人程度)をいつわりて御史ぎょし謁者えっしゃ侍中じちゅうとし、あらためて往復して李斯を尋問させました。


 李斯は人があらたまった(交代した)ので、そこでその本当とおもうことをこたえました。その度ごとに人に命じてまた李斯を棒で滅多うちさせました。


 のち二世皇帝は人に李斯をけん(尋問)させました。李斯は前と同じだと思い、ついにあえてあらためて言うことはなかったといいます。


 趙高の悪知恵と、李斯の絶望が伝わります。なんということをするのでしょう。



 李斯は趙高らのふくして、そうは「(罪に)当たる」となり、奏が皇帝にのぼることとなりました。


 二世皇帝は喜んで申されました。


「趙君がいなければ、まず丞相の売るところとなるところだった!」


 二世皇帝のもとに三川さんせんしゅ・李由を案ぜしめたものがいたり、楚の兵がすでに李由を擊って殺していたことを報告しました。


 使者が来たり、丞相の下吏と会しましたが、趙高がみな、でっちあげの反辞はんじ(「反く」といういつわりのことば)をつくりました。そしてそれぞれに罪を附会ふかい(こじつけ)しました。


 ついにそこで李斯の五刑ごけい(どのような刑罰をするか)を論じ、咸陽の市に腰斬ようざんと決まりました。李斯は出獄し、その中子ちゅうし(真ん中の子)とともに手をとりあいました。


 かえりみてその中子にいって申しました。


「吾れはなんじとまた黃犬をひいてともに上蔡じょうさい(李斯の故郷である)の東門より出でて狡兔(すばしっこい兎)をいたものだ。だがどうしてできるだろうか!」


 ついに父子それぞれ哭して三族が殺されました。


 二世皇帝はそこで趙高を丞相とし、ことは大小となくみな、趙高に決することになりました。


 秦の左・右の丞相、将軍はいなくなり、あと、趙高を掣肘せいちゅうするものはいなくなりました。


 趙高の権力欲に秦は翻弄されます。秦の行方が趙高の手にゆだねられたということで、こののちの秦の進路は想像できるようにも思います。

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