李斯の上書、そして趙高

 さて、結末が迫ります。


 趙高ちょうこう李斯りしと子の李由りゆうの謀反をはかったじょう(書簡)のことについて責め、みな、宗族そうぞく(親族などの一族)、賓客ひんかくを収捕しました。


 関係のあったものは根こそぎにとらえて、弱いところから切り崩そうとしたのでしょうか。


 趙高は李斯を尋問し、ほうし(むちで打つ)りゃくする(棒で殴る)こと千余回でした。


 悲鳴が聞こえてきそうな箇所です、拷問にかけたわけです。


 李斯は痛みにたえず、自らを誣告ぶこくして(嘘の罪を申告して)罪に服しました。


 李斯の死ななかった理由は、自らその弁舌を頼んだのと、功積があり、実際には謀反の心が無かったからで、上書してみずから陳述をして、幸いに二世皇帝がさとって李斯をゆるしてくださることを望んでいました。


 そこで獄中から上書して申しました。


「臣は丞相となって民を治め、三十餘年になりました。秦の地は陜隘きょうあいでありました。先王の時に秦の地は千里をすぎず、兵は数十萬でした。


 臣は薄材をつくし、謹しんで法令を奉じました。ひそかに謀臣を行かせ、それに金玉をもとでにさせ、諸侯に游說させました。ひそかに甲兵を脩(修)め、政教を飾り、闘士を官につけ、功臣を尊び、その爵祿を盛んにさせました。


 そのためについには韓をおびやかし、魏を弱め、燕、趙を破り、齊、楚をたいらげました。


 ついに六國を兼併し、その王をとりことし、秦を立てて天子としました。罪の一でございます。


 地が広くないのにもかかわらず、また北に胡、はくい、南に百越を定めました。そうして秦の彊(強)さをあらわしたのです。罪の二でございます。


 大臣を尊び、その爵位を盛んにし、そしてその親しみを固くしました。罪の三でございます。


 社稷を立て、宗廟を脩め、主の賢を明かにしました。罪の四でございます。


 剋畫こくかく(目盛りのこと)をあらため、斗・斛・度・量・文章を平かにして、それを天下にき、秦の名をてました(度・量・衡の目盛を統一し、文章を作ったこと)。罪の五でございます。


 馳道ちどうを治め、游觀ゆうかんに興じ、主の得意をあらわしました。罪の六でございます。


 刑罰をゆるくし、賦斂を薄くし、主に衆の心をえさせ、萬民が主をいただき、死して忘れないようにしました。罪の七でございます。


 このような臣たるものは、罪はもって死するに足りたことはもとより久しかったのです。


 上(皇帝)は幸いにその能力をつくさせられ、今に至ることができました。願わくば、陛下、このことをお察しください!」



 書が上書されましたが、趙高は吏に命じて棄去ききょして(捨てさせ)奏させませんでした。そして申しました。


「囚人がどうして上書できようか!」

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