李斯、諫言す、二世皇帝、趙高を庇う

 李斯りしの上書に、二世皇帝はおっしゃいました。


「どうしてだ?


 そもそも趙高ちょうこうは、もとは宦人(宦官)である。そうではあるが皇帝としたしい(安)として志をほしいままにせず、危いことで心をかえず、行いを潔くして善を修め、みずからをここにいたらせた。忠で進むことができ、信で位を守ったのだ。


 朕はまことに趙高を賢としている。そうであるのに君(李斯)は趙高を疑う、どうしてか?


 かつ朕はわかくして先人(父・始皇帝)を失い、識知するところがない、民を治めることも習ったことがない。そうではあるのに君(李斯)もまた老いていく、天下を絕ってしまうことを恐れる。


 朕は趙君にまかせるのでなければ、誰に任せればいいというのだ?


 それに趙君は人となりが精廉で彊力(強力)であり、下は人情を知り、上はよく朕の意にかなっている。


 君(李斯)よ、趙高を疑わないでくれ。」


 胡三省の注はこの『資治通鑑』のこの箇所(今回は『史記』から原文に当たりましたが)に、いわゆる乱にのぞむ君、つまり乱を起こす君は、おのおのその臣を賢とするものだ、と注しています。



 当時の人物でも、李斯の見た趙高と、若い二世皇帝の見た趙高とにはこれだけの落差があったわけですから、人物眼というものについて考えさせられます。


 李斯はこの返事に申しました。


「そうではございません。そもそも趙高は、もといやしい人間でございます。理をることがなく、貪欲で厭くことがございません。利を求めてやまず、勢いにつらなることは主(皇帝)に次ぎます。欲を求めることは窮りなく、臣はそのために「あやうい」と申し上げるのです。」


 二世皇帝はすでにさきに趙高を信じており、李斯が趙高を殺すことを恐れました。そこでわたくしに趙高に告げました。


 趙高は申しました。


「丞相が患えるところの者はひとり高のみでございます。高がすでに死ねば、丞相は即座に田常のしたこと(簒奪さんだつのこと)をしようとするでしょう。」


 ここに二世皇帝はおっしゃいました。


「それ李斯をもって郎中令(趙高)にしょくす(委ねる)!」


 この箇所を読むと、時に李斯のような人物でも、行動を誤ることがあることを示しています。


 未来は読めない。人物のなすことも、自分の発した言葉がどのように影響を広げていくかもわからない、わかっているのは運命だけなのかもしれません。


 李斯には、危険が迫ります。


 この時、盜賊(反乱軍)はますます多く、そのため關中(旧・秦の本拠地、秦の関所の内側の地域)の卒を発して東にとうを撃たないといけないものはやむことはありませんでした。


 陳勝ちんしょうの挙兵から1年程度が経過しています。



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