張良と太公兵法

 老人は申しました。


孺子じゅし(小僧)、下りて履(履物)を取れ!」


 良は鄂然がくぜんとして、老人を、殴ってやろうか、と思いました。その老いているため、強いて忍び、橋を下りて履を取りました。


 父(老人)は申しました。


「我に履かせよ!」


 良はもともと履を取りにおりたのだから、そこでひざまづいて老人に履かせました。父(老人)は足でそれを受けて、笑って去りました。


 良はたいへんに驚きましたが、そこで老人をみていると。父は里を去ろうとして、また還ってきて、申しました。


孺子じゅし(小僧)、教えることができるな。あと五日してからの平明へいめい(夜明け)に、我とここにおう。」


 良はそこでこのことを怪しみましたが、跪いて申しました。


だく(承知いたしました)。」


 五日しての平明に、良はゆきました。


 父(老人)はすでに先におりました。怒って申すには


「老人と期をきめて、おくれる?、何ぞや(どういうことだ)?」


 去りて、申しました。


「あと五日してつとに會おう。」


 五日して雞が鳴くころ、良はゆきました。父(老人)はまた先におりました。また怒って申すには、「おくれる?、どういうことだ(何也)?」


 去って、申しました。


「あと五日してまた早くに來い。」


 五日して、良は夜がまだ半ばであるのにゆきました。しばらくあって、父(老人)もまた來ました。喜んでもうしました。「こうでなくちゃいかん(當如是)。」一編の書を出し、申しました。


「これを読めば王者の師となるだろう。あと十年ほどで興る。十三年して孺子は我を濟北さいほくにみるだろう。穀城こくじょう山の下の黃石が我であるぞ。」


 ついに去り、他にいうことはなく、またあらわれませんでした。


 旦日(日中)、その書を視るに、これは太公の兵法でした(太公とは太公望のこと、周の文王の軍師、齊の國の始祖に当たる)。


 良はそこでこれを大切にし、常に習誦してこれを読みました。


 沛公はこの太公の兵法を勧める張良をくし、常にその策を用いました。


 良はこれまで他人のためにいっても、みなかえりみられたことがありませんでした。


 張良は申しました。


「沛公はほとんど天授てんじゅか!(天からの授かりものか)」


 そこでついにとどまりて去りませんでした。


 沛公という人は、どこを見ていたのか、人の才能を見抜く天才だったのでしょうか。


 人の言うことを聞く、というのは才能です。試してみる、そしてその能否を的確に判断する。沛公は、常にとは申せませんが、最終的にはいい選択肢を選びつづけます。張良の申すように、それは天性の才能だったのでしょうか。ともかく、ここに沛公は天才軍師・張良と遭遇することに成功しました。

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