陳勝、かつての友を斬る…、そして御者に城父に殺さる

 廣陵の人、秦嘉しんか符離ふりの人、朱雞石しゅけいせき等が兵を起こし、東海とうかいしゅたんに囲みました。


 陳王はこのことを聞いて、武平ぶへい君のはん(人名か)を將軍とさせ、郯にいる軍の監とさせました。


 秦嘉は命を受けず、みずから立ちて大司馬だいしばとなり、武君ぶくん武平君ぶへいくん)に属することをにくみました。軍吏に告げて申しました。


「武平君は年がわかく、兵の事を知らない、いうことをかないようにせよ!」


 そして王命をめて武平君・畔を殺しました。


 陳勝の命令が届かなくなりつつあることがここに見えます。


 二世皇帝は増派して長史ちょうし司馬欣しばきん董翳とうえいを派遣し、章邯をたすけてとう(反乱軍)を撃ちました。


 章邯はすでに伍逢を破っていましたが、陳の柱國ちゅうこく房君ぼうくんが兵を率いていたので、それを殺しました。また進んで陳の西の張賀ちょうがの軍を撃ちました。


 陳王は出でて戦いを監督しました。しかし張賀ちょうがは死にました。


 臘月になった、とあります。建丑の月とありますが、閏月など諸説があり、九月の説や、十二月の説があるようです。


 陳王は汝陰じょいんにゆき、還って、城父じょうほにいたりました。その御者・莊賈そうかが陳王を殺しそして秦に降りました。



 さてかつて、死の前にですが、陳勝はすでに王となり、陳に王としておりました。


 その故人でかつてともに庸耕した者がこれを聞いて、陳にゆき、宮門をたたいて申しました。


「吾れは涉にあいたいとおもう。」


 宮門令はこれを縛ろうとしました。みずから弁じること數回でした。そこで置いておくことにしました。ただあえて通(上申)をなさなかったのです。


 陳王が出でて、このものが道をさえぎって陳涉を呼びました。


 陳王はこれを聞き、そして召してまみえました。車に載せてともに帰りました。宮に入ると、殿屋や帷帳を見て、客は申しました。


「夥頤!(凄いものだな、の意。楚の地方では「夥」は多い、「頤」は助字であるという、「おびただしいなぁ」)涉の王たることは、沈沈しんしんとしていることだよ!」


 楚の人は多いをいって「夥」とするので、そこで天下にこのことが伝わりました。おおいなるかな涉の王たる、という故事は陳涉から始まったのでした。


 客の出入はいよいよまして發舒はつじょ(発言)するようになり、陳王とのもとの情をいうようになりました。あるものが陳王に說いて申しました。


「客は愚かで無知で、妄言して、威を輕んじております。」


 そこで陳王は客を斬りました。


 たくさんの陳王の故人はみなみずから引いて去りました。これによりて陳王に親しむ者がなくなったのです。


『史記』の注が引く『孔叢子』も陳勝の妻の父が陳勝のもとを去ったことを記しています。陳勝の周りから人がいなくなっていきます。



 陳王は朱房しゅぼうを中正とし、胡武こぶを司過とし、主に羣臣のことをつかさどらせました。


 諸將が地を攻略して、かえってきて陳王のところにいたるに、令の不是なるものがあれば、繫いで罪をといました。苛察を忠として、その善くないものについては、吏に下さず、そのたびにみずからがその罪を治めました。


 陳王は彼らを信用しました。しかし諸將はそのために親附しなくなったのです。これは陳勝が敗れた理由であったのでした。


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