陳勝、かつての友を斬る…、そして御者に城父に殺さる
廣陵の人、
陳王はこのことを聞いて、
秦嘉は命を受けず、みずから立ちて
「武平君は年がわかく、兵の事を知らない、いうことを
そして王命を
陳勝の命令が届かなくなりつつあることがここに見えます。
二世皇帝は増派して
章邯はすでに伍逢を破っていましたが、陳の
陳王は出でて戦いを監督しました。しかし
臘月になった、とあります。建丑の月とありますが、閏月など諸説があり、九月の説や、十二月の説があるようです。
陳王は
さてかつて、死の前にですが、陳勝はすでに王となり、陳に王としておりました。
その故人でかつてともに庸耕した者がこれを聞いて、陳にゆき、宮門を
「吾れは涉にあいたいとおもう。」
宮門令はこれを縛ろうとしました。みずから弁じること數回でした。そこで置いておくことにしました。ただあえて通(上申)をなさなかったのです。
陳王が出でて、このものが道を
陳王はこれを聞き、そして召してまみえました。車に載せてともに帰りました。宮に入ると、殿屋や帷帳を見て、客は申しました。
「夥頤!(凄いものだな、の意。楚の地方では「夥」は多い、「頤」は助字であるという、「
楚の人は多いをいって「夥」とするので、そこで天下にこのことが伝わりました。
客の出入はいよいよまして
「客は愚かで無知で、妄言して、威を輕んじております。」
そこで陳王は客を斬りました。
たくさんの陳王の故人はみなみずから引いて去りました。これによりて陳王に親しむ者がなくなったのです。
『史記』の注が引く『孔叢子』も陳勝の妻の父が陳勝のもとを去ったことを記しています。陳勝の周りから人がいなくなっていきます。
陳王は
諸將が地を攻略して、かえってきて陳王のところにいたるに、令の不是なるものがあれば、繫いで罪をといました。苛察を忠として、その善くないものについては、吏に下さず、そのたびにみずからがその罪を治めました。
陳王は彼らを信用しました。しかし諸將はそのために親附しなくなったのです。これは陳勝が敗れた理由であったのでした。
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