周章、敗れ、呉廣、田臧に殺される
さて、『資治通鑑』巻八に入っていきましょう。
二世皇帝の二年(B.C.二〇八年)
冬、十月、
十一月、沛公は兵を引いて
ここに沛公は進撃を開始しています。
一方、
周章が敗走した頃、
秦は三川郡を立て、初めは洛陽をおさめ、後に滎陽に守備拠点を
呉叔(呉廣)はこの李由の守る滎陽をくだせませんでした。
この頃、秦の法令・誅罰は日に日にますます刻深(深刻)になり、群臣の人々はみずからを危ぶみ、そむこうとするものもおおくおりました。
また二世皇帝は阿房の宮の造営をつづけ、直道、馳道の繕治をしており、賦・斂はいよいよ重く、戍(辺境の守り)・傜(徭役)は
楚の
あちこちで秦の勢力は攻め落とされ、各地に兵は分断されていたのです。
李由は
李由は三川の守となり、群盜、つまり吳廣等が西に地を略し、過ぎ去ってとおりぬけることを禁ずることができませんでした。ここを通過した楚の軍、周章の軍が関を通って、秦の本拠地に迫っていたのです。
しかし李由は孤立しつつも援軍を待ち、滎陽城を守っていました。
楚の将軍・
「周章の軍はすでに
我れらが囲む滎陽城をくだすことができていない。秦兵がいたれば、必ず大敗するだろう、少しだけ兵を残して滎陽を守り、精兵をつくして秦軍を迎える(迎撃する)に勝るものはない。
今、
そこでそれぞれ陳王の令を
かつての同志の首を見た陳王は何を思ったのでしょう?今となってはわかりません。
陳王は使いを遣わして田臧に楚の
周章が敗れた今、次の防衛線は田臧のいる三川の地域になります。陳王には余裕はなかったのかもしれません。
周章が敗れた今、次の防衛戦が迫っていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます