始皇帝と不老不死

 またはじめ、時間はさかのぼりますが、えんの人の宋毋忌そうむき羨門せんもん仙門せんもん)の子商ししょう仙道せんどう形解けいかい銷化しょうかの術があることをしょうし、えんせい迂怪うかいがみな争ってこれを伝習でんしゅうしました。


 『史記』の封禪ほうぜん書をここも参考にしているので、始皇帝しこうてい本紀ほんぎとあわせてみてみます。


 せい威王いおう宣王せんおうえん昭王しょうおうよりみなそのものたちの言うことを信じ、人をして海に入りて蓬萊ほうらい方丈ほうじょう瀛洲えいしゅうらの島を求めさせました。


 言うには、「この三神山さんしんざん勃海ぼっかいうちり、人をること遠かりません。うれうるには、まさにいたらんとすれば、風がいて船をらせてしまうのです。かつていたるものがあれば、諸仙人せんにん不死ふしの薬がみなあったのです。」ということでした。


 始皇帝しこうてい海辺うみべにいたるにおよび、諸方士しょほうしせいの人の徐市じょふつあらそって上書じょうしょしてこのことを言い、斎戒さいかいをして童男どうなん童女どうじょとこれらを求めたいといました。ここに徐市じょふつをして童男どうなん童女どうじょ数千人をはっして海にりてこれらの島を求めさせました。


 船は海中かいちゅうまじわり(うまく航海できなかったのでしょう)、みなかぜかい(解答?、いいわけ?、解脱か?)とし、(戻って)申しました。「いまだ至ることができませんでしたが、これらを望見ぼうけんしました。」と。


 すうすうえんという人は陰陽いんようしょ『主運(しゅうん、か?)』で諸侯のあいだでがあらわれましたが、えんせい海上かいじょう方士ほうしたちのその術につうずることができないとつたえています。そうではありますが、怪迂かいう阿諛あゆ苟合こうごうの徒(いい加減なことをいう人たちですね)がこれよりおこり、数えることができないほどでした。


 その三神山さんしんざんの物・禽獸きんじゅうはことごとく白く、黃金おうごん・銀で宮闕きゅうけつ(宮殿)がつくられています。まだいたらなければ、これをのぞむこと雲のようであります。到ってみれば、三神山さんしんざんはかえって水のしたにあるのです。これにのぞんでも、風がそのたびにいてり、ついによく至ることがなかったといます。


 世主せしゅ(諸侯のことでしょうか)でここに甘心かんしん(心をかれる)することのないものはありませんでした。


 しん始皇帝しこうていの天下をあわせるにいたり、海上かいじょうにいたって、方士ほうしたちのこれらを言うことは数えられないほどとなりました。始皇帝しこうていはみずからが考えられるに、海上にいたっても(山々が逃げて)及ばないことを恐れられ、人をして童男どうなん童女どうじょを集め海に入ってこの山を求めさせようとされました。


 このことは『通鑑つがん』の文で、先にべたところです


 船は海中かいちゅうたけれど、みな風で解脱げだつさせられ、「まだ至ることができず、これを望み見ただけです」というだけでした。


 そのような夢のような場所はなかったわけで、おそらく失敗に終わったと考えられます。


 ただ、始皇帝しこうてい不老ふろう不死ふしへの強い欲求は感じとれます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る