劉邦(劉季)、白帝の子を斬る

 一行と別れた後でしょう、劉季りゅうきは酒を飲みました。


 夜、たく中をすすむと、大蛇のみちに当たるのに出会いました。は剣を抜き蛇を斬りました。


 老嫗ろうおう(老婆)のいて申すものがありました。


「吾が子は、白帝はくていの子であった。化して蛇となり、道におった。今、赤帝せきていの子がこれを殺してしもうた!」


 そしてたちまちに見えなくなりました。


 注によると、秦の襄公じょうこうはみずからが西方に居た(勢力を張った)ために、少昊しょうこうの神を主として、西畤せいじというものを作り、白帝をまつったと言います。獻公けんこうの時にいたっては、櫟陽れきように金があめふり、また畦畤けいじというものを作り、白帝をまつったと言います。


 少昊しょうこう(帝の名で、神とされたものでしょう)は、金の德でありました。赤帝は、ぎょうという古代の帝のあとのことで、ここでは漢のことを言ったものと考えられています。


 ここにはいわゆる五行ごぎょう説と言われるものが隠れていると思われますが、私には詳述しょうじゅつできません。ただ赤帝の子が白帝の子を殺した、ということは、秦を劉季(劉邦りゅうほう・漢)が倒す、もしくは代わる、ということを指している、そうとらえることができるようです。


 のちから出来た伝説か、本当にあった話かわかりませんが、当時の人の五行に関する考え方、また選ばれたのが劉季であったことなど、当時の人の考えがうかがえて面白いと思います。


 なお秦の始皇帝は常におっしゃっていたといいます。


「東・南に天子の氣がある」


 このために東游によってこの氣を鎮めようとしました。劉邦はみずからの気のことと、この気のことを疑っていました。



 劉季はぼう碭山とうざんたくの間に逃亡しかくれました。その間にもしばしば奇怪なことが起こりました。はい中の子弟はこれを聞き、行動を共にしようとする者が多くいました。


 さて呂后りょこうが人とともに劉季を求めることがありました。常にその居場所をえることができました。劉季は怪しみて呂后に問いました。なぜ自分の居場所がわかるのか、聞いたわけです。


 呂后が申しました。


「季の居るところの上には常に雲氣があります。そのためにその雲氣にしたがってゆくと常に季、あなたにであえるのです。」


 劉季(劉邦)は心に喜びました。


 沛中の子弟のあるものがこれを聞き、附そうとするものが多くおりました。


 先述したように、劉季にはすでに数十人の配下がいたわけです。彼らが何かの行動を起こしていたのかもしれません。


 陳涉ちんしょう(陳勝)が決起するにおよんで、諸・郡県はみな多くその長吏を殺してそして陳涉に応じました。


 沛の県令は沛ごとその反乱に応じようとしました。じょうと、主吏しゅりである蕭何しょうか曹參そうしんが申し上げました。

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