王媼、武負、歳末には劉邦の券を折る
ここに漢の高祖・
劉邦、
注によると、「
人を愛し、施しをなすことを喜び、
壯となるにおよび、吏に試用され、、
秦の法では、道に十里に一亭を置きました。亭長は、亭をつかさどる吏でした。亭とは、おもうに、
胡三省の注は、『史記正義』という『史記』の注釈書を引いていますが、そこには、『國語』という本に
「泗上」については、『史記』は「泗水」としているようです。
亭長が、旅館というか、往来する人々の宿るところの主であったのか、小さな行政区画の主であったのか、だいぶ違うと思うのですが、ここでは両説を念のため残しておきます。
自分としては、人に会う仕事をしていたからあのような大活躍をしていたのではないかとも思うのですが、一生を一地方官で終わりつつ立派な思想を残した人物などもいることから、一概には言えないかもしれません。
ただ廷中の吏(郡の府の吏という)で劉季を
劉季は酒と色を好み、常に
時に飲んで醉って臥せましたが、武負、王媼がその上をみるに常に怪が有りました。『史記』には龍が見えたといいます。高祖はいつも酒を留って飲んだので、老女たちの酒のうったものは人の数倍もの値段になりました。しかし怪異を見てからというもの、歲が終わって「かけ」を取り立てるにも、この両家は常に券(借用書の木簡)を折ってしまい劉季の責を棄てることにしていました。
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