章邯、周文(周章)の軍を破る
博士の
陳涉の王となると、魯の諸儒は孔氏の礼器を持ってゆきて陳王に帰した、と『史記』儒林列伝にあります。ここに孔甲(孔鮒)が陳涉の博士となっていたのです。
なお孔鮒は、魏の
「臣が聞きますに、兵法に、『敵の我を攻めざるを
陳王は申しました。
「
まあ、孔鮒の諫言を聞かなかった、無視した、ということです。
周文は行って兵を収めつつ関(秦のどの関所かわからない)にいたり、車は千
訓練されていないとはいえ、数十万、
二世皇帝はそこで大いに驚き、群臣と謀って申されました。
「いかんせん(どうしよう)?」
注の引く文によると(『漢書』
のちに
全国の地理を知っていた、全国津々浦々の情報を知っていたわけです。おそらく陳勝の軍にはそのような情報はないでしょうから、この時点で、章邯は有利に立っています。伏兵を置いたり、どこから攻めれば有効かを、すでに知っているわけですから。
さて、その章邯が申し上げました。
「
二世皇帝はそこで天下に大赦し、章邯に
陳の
周文(周章)は走り(敗走し)ました。
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