蒯通(蒯徹)、武信君に説く、趙の数十城降る

 ここに範陽の人・蒯徹かいてつ蒯通かいとうのこと、皇帝のいみなを避けて呼び名を変えているとされる)が登場します。


 蒯通は范陽(範陽)令に説いて申しました。


「ひそかに公のまさに死なんとするを聞いて、そのためにとむらう。


 そうではありますが、公が蒯通をえて生きんことを賀します。」


 范陽令は申しました。


「どうしてこの事態を弔うのだ」


 蒯通はこたえて申しました。


「秦の法は重いものでした。足下が范陽令となって十年になります。人の父を殺し、人の子を孤児にし、人の足をち、人の首にげい(罪の刺青)をする、数えきれないほどでした。そうではありますが慈父・孝子にはあえて刃がくわわることはありませんでした。公の腹中にあったのは、秦の法を畏れることだけでした。


 今、天下は大いにみだれ、秦法は施されていません。そうでありますので、慈父・孝子はまさに刃を公の腹中にくわえて、そしてその名を成そうとしています。これが臣の公を弔った理由です。


 今、諸侯は秦にそむき、武信君の兵はまさにいたろうとしております。そうであるのに君は堅く范陽を守っており、少年(若者)はみな君を殺し、武信君に下ろうと爭っております。


 君よ、急ぎ臣を武信君にまみえさせなさい、わざわいてんじて福とすべきときは、今にあるのです。」


 そして蒯徹は武信君に説いて申し上げました。


「足下(武信君)は必ずまさに戦って勝って後に地を攻略しようとされるであろう、攻めてしかる後に城が下る、臣はひそかにこれはあやまっているとおもいます。誠に臣の計を聞かれれば、攻めないで城をくだすことができるでしょう。戰わないで地を攻略する。げきを伝えて千里が定まる。ならんや(良いではございませんか)?」


 注によると、げきとは、木簡もくかんで書をつくるもので、長さが尺二寸ほどのもの、徵召ちょうしょう(お召し)に用いるとのことです。急であれば、鳥のはねを加えてこれをはさみ込み、急疾きゅうしつ(急ぎ)であることを示したといいます。


 武信君は申しました。


「何のことであるか?」


 徹(蒯通)は申しました。


「範陽令の徐公じょこうは、死をおそれて貪欲で、天下に先んじてくだろうとしています。君がもし彼を秦が置いている吏とみなして、さきの十城(の城主)のように誅殺ちゅうさつされれば、すぐさま辺境の地の城はみな金城きんじょう湯池とうちとなり、抜くことはできないでしょう。君がもし臣になれと侯の印を範陽令に授け、朱の輪、華やかなこしき(軸か)の乗り物に乗せ、燕、趙の郊外を駆馳くち(走り回る)させれば、すぐさま燕、趙の城は戦うことなくくだすことができるでしょう。」


 武信君は申しました。


し!」


 そこで車・百じょう、騎・二百、侯印で徐公を迎えました。


 燕、趙の人はこれを聞き、戦わないで城ごと下る者が三十餘城ありました。


 燕の人も、趙の人も、秦には痛い目に遭わされ、反感もあったでしょう。それを上手に用いて、城を攻略したわけです。


 ここに、秦の支配力の及ばない地域が急速に増加していきます。それは反乱側に勢いをつけることになったでしょう。

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