陳勝、吳廣、卒と共に漁陽へ向かう

 あき、七がつ陽城ようじょうひと陳勝ちんしょう陽夏ようかひと吳廣ごこうへいこしました。


 反乱はんらんが、ここにあがったわけです。


 ちゅうには陽城ようじょう河南かなん潁川えいせん郡)、陽夏ようか淮陽わいようこくとありますがいまいち場所わかっていません。それよりも、のちに本拠地とする「ちんきゅう首都しゅと)」とまた大きなまちであるのことが、「ちんしょうちんつ)、「こうひろくなる)、と名前についているのがになりますが、まあ、いておきましょう。


史記しき陳涉ちんしょう世家せいかには陳勝ちんしょうわかときやとわれ耕夫こうふだったとあります。


 陳涉ちんしょう陳勝ちんしょう)はわかいとき、かつてひと傭耕ようこうやとわれ耕夫こうふ)をしていました。ひとのために力役りきえきをして、おかねをもらっていたということです。ろうじょううねでしょうか)をたがやすのをやめて、悵恨ちょうごんする(嘆き恨む)ことこれひさしく、もうしました。


「もし富貴ふうきになっても、おたがいにわすれないようにしような。」


 やとう(雇う)ものわらっておうじてもうしました。


なんじ庸耕ようこうをしているじゃないか、どうして富貴ふうきになることがあろう?」


 陳涉ちんしょう陳勝ちんしょう)は太息たいそく(大きなため息)してもうしました。


嗟乎ああえんじゃくつばめすずめのような小さな鳥)がどうしてこうこく(いずれもおおきなとり)のこころざしっているだろうか!」


 その気概きがいおおきさと、おのれ期待きたいする器量きりょうがわかります


 さてこの時、閭左りょさ徴発ちょうはつして漁陽ぎょようまもっていました。


 鼌錯ちょうそというひとちゅうもうすには、しんたくつみびと)を鎮戍ちんじゅ守備しゅびへい)に徴発ちょうはつし、まずはっしてたく贅婿ぜいしょ賈人かじん(この二つ、おそらく商人しょうにんか)を徴発ちょうはつし、のちにはかっていちせきがあったものを、またのちにはだい父母ふぼ祖父母そふぼか)がかってせきがあったものを、のちにはりょ行政ぎょうせい単位たんい)にはいってそのひだり地区ちくたみった、ということです。


 はじめは罪人ざいにんつぎ商人しょうにんたち、つぎにかつてみずからが商人しょうにんだったもの、つぎには家族かぞく商人しょうにんだったもの、最後さいごにはりょひだり地区ちくはいった、とあるのだと思います(刑罰けいばつおこなわれた場所ばしょ罪人ざいにん関係かんけいするものの間違まちがいである可能性はあります)。


 またちゅうくには、りょの左(閭左りょさ)とは、りょ(いずれも行政ぎょうせい単位たんいまちのこと)の左側におるものをいった、といいます。しんとき複除ふくじょ賦役ふえき免除めんじょされること)されたものはりょひだりにおったということです(貧しかったため)。それがいま力役りきえきにすべてりょひだりにあるものをことごとく徴発ちょうはつしたということです。


 なお、んでおるものがみぎんでおり、まずしいものがひだりんでいて、んでいるものを動員どういんくしたのでひだりまずしいものも動員どういんすることになったともちゅうにあります。この時期じきしん収奪しゅうだつはげしさがわかるかもしれません。


 ともかく陳勝ちんしょう吳廣ごこうは、これらのまずしいたみひきいて漁陽ぎょよう(北の匈奴きょうど防衛ぼうえい前線ぜんせん)を目指めざしていたということです。


 九百にん大澤だいたくきょうというところにとんとしてあつまり、陳勝ちんしょう吳廣ごこうはそれぞれのとんちょうとなっていました。てん大雨おおあめをふらすのにあい、みちつうじず、すでにうしなうことがわかりました。期限きげんわなければ、ほうでは全員ぜんいんられることになります。陳勝ちんしょう吳廣ごこう天下てんかの(たみの)愁怨しゅうおん(恨み)によることにしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る