二世皇帝の三年間

 さあ、始皇帝しこうていの時代が終わり、もうすぐ時代はかんの時代をむかえます。


 物語ものがたりは、しん始皇帝しこうていくなり、趙高ちょうこう策謀さくぼうによって二世皇帝にせいこうてい即位そくいしたあたりにさしかかっています。


 二世皇帝にせいこうていしん重臣じゅうしんである蒙恬もうてん兄弟をちゅうしようとしました。二世にせいの兄の子嬰しえいいさめて申し上げました。


ちょう王・せん李牧りぼくを殺して顏聚がんしゅもちい、せい王・けんはそのもとからの忠臣ちゅうしんを殺して后勝こうしょうをもちい、ついにみなくにほろぼしました。


 蒙氏もうしは、しん大臣だいじんで、謀士ぼうし知謀ちぼう)であります。そうであるのに陛下へいか一旦いったん(短い時間)に彼らをろうとなされる。忠臣ちゅうしん誅殺ちゅうさつして節行せっこうのないようなひとてる、これはうち群臣ぐんしんをしてたがいにしんぜずしてそと闘士とうしはなさせるものであります」


 子嬰しえいはこうもうげましたが、二世にせい皇帝こうていかれず、つい蒙毅もうき内史だいし蒙恬もうてんを殺しました。


 蒙恬もうてんもうしております。


先人せんじんより子孫におよびいたるまで、こうしんしんむこと三世さんせいとなった。


蒙恬もうてんの祖父・蒙驁もうごう、父・蒙武もうぶそして蒙恬もうてん三世さんせい三代さんだい)みなしんにつかえてこう信任しんにんがあったことをします。)


 いましん(私)はへいひきいること三十まんとら係累けいるいせられるといえども、そのいきおいはもって倍畔ばいはん叛乱はんらんすること)するにたる。そうではあるがみずからかならすべきをってまもるものは、あえて先人せんじんおしえをわすれないし先帝せんていわすれないのだ!」


 そうもうしました。


 そしてくすりんで自殺じさつしたのです。


 蒙恬もうてんは三十万へい指揮しきし、ちょうの地域にじん匈奴きょうど対峙たいじしていました。これらのへい二世にせい皇帝こうてい指示しじにより、王離おうりというしょうあずけられたことがしるされています。


 蒙恬もうてん反乱はんらんしなかった、しん精鋭せいえい、三十万のへいは、名将めいしょう蒙恬もうてんはなれ、王離おうりゆだねられることになったのです。


 始皇帝しこうてい蒙恬もうてんがかさなりました。このなかから、英雄えいゆうたちの勃興ぼっこうがはじまります。



 ちなみに、蒙恬もうてんについて、それぞれがつぎのようにべています。


揚子ようし法言ほうげん』にっています。


 あるものがいました。


蒙恬もうてんちゅうであったのにちゅうされました、ちゅうであるのにどうしてなにかをすことができなかったのでしょうか?」


 揚子ようしはおっしゃいました。


やまうがち、たにうづめること、臨洮りんとうこり、遼水りょうすいった、(こうすに)ちかららずしてしかばねはあまりあった、ちゅうはみるにりないのだ。」と。


 また『通鑑つがん』は申しております


 しんわたくし)・司馬光しばこうもうげます。


始皇帝しこうていがまさに天下てんかどくして蒙恬もうてんはその使つかいとなりました、てん不仁ふじんることができます。そうではあるものの蒙恬もうてん人臣じんしんたるのあきらめ、無罪むざいといえどもちゅうされ、よくまも貳心じしんをいだきませんでした、これもまたしょうするにたるのではないでしょうか。」と。


 評価ひょうかれるようですが、ひとつの人物じんぶつとして、蒙恬もうてんは、むねきざむべきなのかもしれません。

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