扶蘇、死す、驪山に始皇帝は葬られる

 扶蘇ふそしょ手紙てがみ)をひらきてき、内舍だいしゃはいり、自殺じさつしようとしました。


 蒙恬もうてんもうげました。


陛下へいかそとにおられ、いま太子たいしを(皇太子こうたいしに)てておられません、しんをして三十まんしゅうをひきいて辺境へんきょうまもらせ、公子こうしかん目付めつやく)とせられました、これは天下てんか重任じゅうにんにございます。いま一人ひとり使者ししゃがきたり、太子たいしがそこで自殺じさつせられれば、どのようにそれが詐術さじゅつでないことをのちにれましょうや!何回かわれてのちなれても、まだおそうはございません。」


 使者ししゃはたびたび扶蘇ふそをうながしました。


 扶蘇ふそ蒙恬もうてんにおっしゃいました。


ちちたまう、なおどのようにしてふたたうことができるであろう!」


 そして自殺じさつされました。蒙恬もうてんをがえんぜず、使者ししゃ蒙恬もうてんたくしました、そして陽周ようしゅう係累けいるいしました。さら李斯りし舍人しゃじんいて護軍ごぐん(これも目付めつやく官職かんしょく)とし、かえって報告ほうこくしました。趙高ちょうこうらはおおいによろこんだといいます。


 ここは扶蘇ふそ葛藤かっとう蒙恬もうてん忠言ちゅうげん苦悩くのう胡亥こがい趙高ちょうこう李斯りしが、かたずをのんできを見守みまもっている様子を想像していただければと思います。


 そして扶蘇ふそ自殺じさつによって、趙高ちょうこう策謀さくぼうは、ほぼったのです。


 胡亥こがいはすでに扶蘇ふそんだことをしり、すぐさま蒙恬もうてん釈放しゃくほうしようとしました。蒙毅もうき始皇帝しこうていのためにいでて山川さんせんいのり、かえりていたるにいました。


 趙高ちょうこう胡亥こがいにいってもうげました。


先帝せんていけん胡亥こがいか)をげて太子たいしてようとされたことひさしうございます、それなのにいさめて不可ふかとしました、蒙毅もうきちゅうするべきです!」


 そして蒙毅もうきだい土地とち係累けいるいしました。


 一行いっこうつい井陘せいけいより九原きゅうげんにつきました。あつさにい、轀車おんしゃにおいましたので、そこで從官じゅうかんみことのりしてくるまに一こく鮑魚ほうぎょせて腐乱ふらんさせました。ちゅうさかなの種類などについて詳論しょうろんしていますが、においをごまかすためとして考えればいいでしょう。直道ちょくどうをもちいて咸陽かんよういたり、はっしました。


 そして太子たいし胡亥こがいくらいおそいました。


 九月、始皇帝しこうてい驪山りざんほうむり、した三泉さんせんつくってふさぎました。


 始皇帝しこうてい最初さいしょ即位そくいしたとき、驪山りざん穿治せんち(うがち、おさめる)しました。天下てんかをあわせるにおよび、天下てんかおくりいたらせること七十まんにんでした。


 奇器きき珍怪ちんかいなどを、うつしてぞうはかみたしました。たくみ機弩きど(「いしゆみ」か)を作らせ、穿うがったり近づくものがいればさせ、また水銀すいぎん百川ひゃくせん江河こうが大海たいかいを作り、機械きかい仕掛じかけ)でそれぞれをそそうごかしました。


 うえ天文てんもんをそなえ、した地理ちりをそなえ、後宮こうきゅうがないものは、みなにしたがわせました。


 そうがすでにやみてのち、るものがいうには、工匠こうしょうぞうをつくり、みなこれらのことをっており、ぞうするものが貴重きちょうであることがれるのではないか、ともうしました。


 大事だいじ葬事そうじ)がおわると、これらの工匠こうしょうはかなかめました。


 残酷ざんこくなことをするものですが、どこまでの規模きぼ本当ほんとうだったのかはわかりません。



 つぎは、激動げきどう二世にせい皇帝こうていの時代になりますが、『通鑑つがん』はもう少し、権力けんりょくあらそいのことをえがいているようです。

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