第19話 恋をしたのはあなただから
「アイリーン!」
時計の針が五時を超えたから、姉さんたちに先に上がらせてもらうことを告げ、必要最低限のものだけをカバンに詰め、急ぎ足で街に出る。
歩いているところを呼び止められて振り返るとヨハンという青年が立っていた。
よくテオと一緒にトレーニングを行っている人で、ふたりでは話したことがなかったけど、顔見知りではある。
「こ、こんにちは」
一体何の用だろうか。
テオ以外の男性とゆっくり話したことがなく、ドギマギしてしまう。
なんならようやく意を決して今から舞姫の練習に初参加するのだから、余計な心労を増やさないでほしい。
こんなとき、愛理なら何も動じることなく応じているのだろうけど、わたしには難しい。
「えっと、な、なにか……」
「ま、舞姫に選ばれたんだってな。おめでとう」
なかなか言い出さないため困惑していたところ、口を開いたかと思えば予想外の話題が飛び出てきたため、びっくりする。
彼も他の男の子たち同様、わたしのことを恐れているのかテオといるときに比べて落ち着きがなく、一生懸命話そう話そうと努力をしてくれている印象だ。
そんな姿を見ていると、身構えていた自分からすっと力が抜けるのが感じられた。
「ありがとう」
それでもテオの手前か、話しかけてくれるだけでも感謝をするべきなのだろう。
「ちょうど今から練習に参加する予定なの。みんなの足を引っ張らないように頑張るね」
努めて口角を上げると、次に見せた彼の表情は後ろで大きな存在感を見せている夕日の色のように染まっていた。
「あ、アイリーン!」
「ん?」
「よかったら、練習場まで送るよ」
「えっ、でも……」
さすがにそこまでしてもらう義理もない。
「俺さ、本当は収穫祭にアイリーンを誘えたらって思っていたんだ。今年も参加しないって言うと思って、言えてなかったんだけど、舞姫になるから時間は限られていると思うけど、よ、良かったら俺と……」
えっ……と思ったけど、考えるよりも先に頭を下げていた。
「ごめんなさい。お気遣いはとても嬉しいんだけど、せ、先約があるの」
おっしゃるとおり、舞姫にさえ選ばれていなければひとりでこっそり過ごす予定だったのだけど、今年はそうもいかなくなり、きっとわたしを引きずり出した責任もあり、テオが空いている時間は一緒に過ごしてくれることになっていた。
「相手は、テオルド?」
「そう」
「そっか。良い日になるといいな」
「ありがとう」
ここにもまた、心優しく気にかけてくれた人がいて、思わず頬が緩んだ。
「悪いな、ヨハン」
「えっ!」
いつの間にか後ろに立っていたテオがなんとも言えない気まずそうな表情を浮かべ、わたしたちが視線を向けるなり肩をすくめた。
「最初から聞いてたくせに」
あはっとヨハンが笑うと、首元に手をやり、テオも苦笑する。
「悪いけど、この役だけは譲れない」
「だろうな」
はいはい、と降参と言わんばかりに両手を上げるヨハン。
「アイリーン、応援してるから」
「あ、ありがとう」
去り際に告げられた言葉にどうしたらいいのかと向けられた背中とそれを見守るテオの様子を見比べ、左手をぐっと握る。
一体どうなっているのか。
さっぱりわからなかった。
「はぁ……」
先に沈黙を破ったのはテオの方で、びくっとなるくらい大きなため息を付いた。
「送るよ」
行こう、とテオ。
「テオ?」
わけがわからず、促す彼に続く。
「いいの? 今はトレーニングの時間なんじゃ……」
「そろそろ練習場に向かうんじゃないかと思って、アイリーンのところに行くって抜けてきた」
「そんな、悪いわよ」
「いいんだ。俺がそうしたかったから」
歩幅を合わせてくれるそのとなりに並び、いっぱいいっぱいになっている脳内をゆっくり整理する。
「わたし、もしかして誘われた?」
「もしかしなくてもそうだね」
ポツリと漏らすと、ムッとした表情のテオと目が合った。
「油断も隙もない」
「えっ?」
「好意を向けてくれた人にあんなふわふわした可愛い笑顔を見せるのはダメだ」
「こ、好意? か、かわいい!?」
わかってるの?とテオに言われて、思わず頬が熱くなった。
「わ、わたし、もしかして初めて誘われた?」
「いや、俺が先に誘ってるから!」
「テオは責任を感じて、でしょ」
勝手に舞姫に選んだんだから。
「ったく、アイリーンは……」
もう、と口をへの字にしたテオは視線を空に向ける。
淡い新緑の瞳に夕日の赤色が混ざっていつも以上に煌めいて見える。
(油断も隙もないのはあなただわ)
いつの間にこんなに格好良くなっちゃったのかしら。
背伸びをしても届かないくらい身長差は開いて、逞しい体つきは別の人間のように思える。
きっと、一緒に過ごしたいと願う女の子はたくさんいたはずだ。
それなのに、彼はわたしを誘っただなんて。
透き通った瞳に映った自分の姿があまりにも情けなくて、思わず瞳を伏せる。
わかってる。
わかっているのに、優しくされると期待をしてしまうのだ。
タイムリミットはあと一年とどんどんと現実は迫って来ているというのに諦めたいと思っても、離れることができない。
ねぇ、テオ……
「俺はアイリーンと過ごしたいから誘ったんだ。責任を感じたわけじゃない!!」
ぐっと手を掴まれて、そのままテオに引かれる形でレンガで敷き詰められた道を無言で歩き続けることになる。
「アイリーンと過ごしたいって言ったんだよ!」
「て、テオ……」
深くは聞き返さなかった。
いや、聞き返せなかった。
言いたいことは山ほどあったけど、開いた口が塞がらないのに加え、じわじわとまた熱が顔中をめぐり、何も言えなくなってしまったわたしもきっと夕日のような色に変わっていただろう。
胸がドクドクと音を立てる。
は、反則なのよ。
忘れたいのに、忘れられないじゃない。
「ずるいわ……」
顔を上げる。
もう振り返ってくれそうにない後ろ姿をじっと見つめ、唇だけで苦言を呈したら涙がこぼれ落ちそうになり、ぐっとこらえるしかなかった。
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