第2話 ALICE(IN)


「じゃあね!ばいばーい!」


 ディスプレイの向こう側に存在する一万人にも及ぶ聴衆に、"雲散アリス"はやたらと甘ったるい声で手を振っていた。


[配信終了]をクリックし、デスクトップに初期設定のままの無機質なウォールペーパーが表示されると、"雲散アリス"の空間は、澄木有咲という等身大の女子高生の部屋へと変容した。

 辛うじて”アリス”と”有咲”を繋げるものは、彼女が羽織っていた兎耳付きのパーカーと部屋着としては似つかわしくないゴスロリ調のミニスカートだけだった。


 そうしないと、”有咲”は”アリス”を起動することができなかった。


  彼女の部屋は合理的という言葉が最適であった。インテリアとして置かれた観葉植物は、幾何的に整合性の取れた正解の配置を与えられていて、それがその空間に属する意味が記されていた。

 無駄がなく、かつ無駄を嫌わない。そういった部屋の様相は、彼女の人格を表現しているかのようだった。

 有咲は配信者として活動していた。インターネット最大級の動画サイト"YOURTUVE"で"ANTIROLL"など、あらゆるゲームのプレイ動画を配信していた。

 しかし、"雲散アリス"の素顔は、リアルワールドでは誰も知らなかった。彼女はモーションキャプチャを用いてキャラクターと自らをシンクロさせ、配信活動を行う、所謂Vtuberとして活動していた。キャラクター性が重視される界隈において、アンチからは相対的に没個性的として評価される"アリス"が人気を保てているのは一重に、"有咲"のゲームプレイングの実力に拠るものだ。


 一言で言えば彼女は遊戯の天才だった。

 FPSやネトゲに限らず、ボードゲームやカードゲームでもその才は遺憾無く発揮されていた。有咲はあらゆる遊戯のテーブルの上において、人心を掌握することに天賦の才があった。彼女は無駄を嫌って、無駄を好んでいた。


 それゆえ、対戦相手の些細な感情のノイズも見逃さなかった。

 合理的な選択が求められる場面での恐怖、困惑、保身、それらのノイズが人間の合理的判断をどれほど歪めるかも有咲は本能的に理解していた。そして、自身の能力を過信せず、それすら合理的にジャッジするという最大の武器も、彼女は悠然と携えていた。


 一方、それは彼女の日常生活にとって重すぎる枷となった。人の行動のなかに幽霊のように現れては消える、微小な仕草や表情の変化。それも彼女にとっては容易くキャッチできるシグナルだった。そして、それらは多くの場合、世界は本当の喜びや優しさが如何ほどに欠落していて、悪意や欺瞞で満ち溢れているのかを彼女に再確認させていた。


 だからこそ、有咲は人間に高潔を求めていた。ゆえに、彼女の交友関係は限定されたものとなり、その多くは、しがらみの糸が少ないネットを中心に構築されていった。つまり、有咲は、人間を信じられる場所を求め、それをデジタルデバイスを通して実現させていた。それは、彼女にとって救いとなり、彼女に快活さを齎していた。

  



 彼女は冷凍庫から左手でアイスクリームを取り出し、右手でテレビのリモコンをつかんだ。早朝のニュースだというのに、テレビ局は爽やかさのかけらもない、一週間前のニュースを独占取材スクープと題して取り上げていた。


 「ほかにニュースがないのかねぇ」


 彼女は呆れたような口調で呟くと、ソファに腰かけ、アイスクリームをゆっくりと食べ始めた。

 

 ”メトロ無差別銃撃事件クライシス


 マスメディアはその事件をそう名付けた。まるで映画のタイトルのようだが、そのように名付けたくなるのも分からないこともない。

 それは凡夫が向き合うにはあまりに現実離れした事件であり、架空の出来事だと思いたい気持ちはあまりにも納得できるからである。

 事件の映像が終わり、妙齢のコメンテーターが


「この事件の犯人はきっと現実とフィクションの区別がつかなくなった哀れな若者だろう」


 と自説を垂れている頃、彼女はアイスクリームを食べ終わり、すっかり味のしなくなったアイスの棒をガジガジと齧りながら、想いを馳せていた。

 

 「なぜ、私は、分からなかったんだろう」



 2週間ほど前、”アリス”としてサブカル雑誌の取材を受けた際に、インタビューライターのひとりとして席に座っていた大橋理という男。それがこの事件の犯人だった。

 2週間ほど前に、白地の名刺に明朝体ではっきりと刻まれていた大橋理という名前が、今では、ワイドショーのワイプに、迫りくるような赤黒の字体をもってセンセーショナルに日本中を騒がせているという事実は有咲を驚かせた。

 しかし、有咲は、彼がこの事件を起こしたことには特段ショックを抱いてはいなかった。一期一会の出会いで遭遇した人が罪を犯した事実によって、何かメンタルに影響を及ぼすほどには、有咲の心は有情に満ちてはいなかった。

 寧ろ、有咲は、大橋がそのような大事件を起こしうる人物であると、彼の心を見抜くことができなかったことに有咲は動揺していた。


 「なぜ、私は、分からなかったんだろう」


 人間の心の悪意や憎悪の欠片を痛いほど感じ取ってきた有咲にとって、そのような重大人物の心の闇を見抜くことなど造作もないはずだった。なので、有咲は自身の生得的な読心術が衰えの兆しを見せたのではないかと、若干の期待と心配をこの一件を通して抱いていた。

 


 彼女は謎を謎のままにしておけない節があった。大橋は実は覚醒剤スピードでもキメて犯行に及んだのではないかとか、実はあの時のライターは大橋の影武者なのではないかと、推測から非現実的な発想から、大橋に関する何から何までの空想が彼女の脳を混乱させた。



 「……聞いてみるか」



 大橋のような日本中を騒がせた犯罪者を、自分とは無関係であるのにもかかわらず、あることないことを吹聴して非難し尽くしたい暇人は、インターネット上に掃いて捨てるほど居座っている。

 そして、そんな奴らの感情を金にして悦に浸っている銭ゲバを私は一人知っている。

 そいつなら何か事件に関する情報を知っているのかもしれない。なにせ、金になりそうなことなら何にでもアンテナを張る奴なのだから、そいつがこの事件について拾い上げた玉石混交のなかに”玉”が入り混じっているのを期待してもいいだろう。



 「……気は進まないけど」



 "twbotter"のアイコンをタップし、アカウントを【<公式>雨散アリス@チャンネル登録30万人♪】から、”【澄木】”に変更する。



 「調べてほしいことがあるの。ある無差別殺人事件について」



 彼女は簡潔に要件を打ち込み”YOURTUVE”に転載された事件の動画のURLをコピペした。

 

 送信先は、【MizoSoop000】というユーザーネームだった。


 奴の18つあるアカウントのうちの本垢。

 フォローもフォロワーもそこまで多くはない。


 それは、溝端渚の"人格"に最も近いアカウントだった。




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PLASTIC+ ENTER いずみもり @ichimiriguramu

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