PLASTIC+ ENTER

いずみもり

第1話 DAWN

 コピー、ペースト、コピー、ペースト……

  Ctrl+C、Ctrl+V、Ctrl+C、Ctrl+V……

 カチカチと響くキーボードの音と、無駄に煌びやかに光るPC、部屋の中は芳香剤をかき消すほどのコーヒーとカンナビジオールの香り、そんな乱雑かつ殺風景な六畳の主の名前は溝端渚。

「疲れたし、ゲームでもするか」

よいしょ、と彼は独り言を呟き、エナジードリンクの缶をぐいっと飲み干した。インターネットブラウザを閉じ、FPSゲーム"ANTIROLL"のアイコンをクリックする。

 このとき時刻はAM3時50分、曜日は火曜日だった。彼は高校生であるが、ほとんど学校には行っていない。そのことに関しては、彼の母親ももう諦めている。彼が言うには、「一銭にもならない勉強とやらをして、特に学問を究めるでもなしに大学に行き、無駄に年月を浪費し、思考停止で社会の歯車になるやつは全員バカ」らしい。

 「それなら僕は新時代を歩くね。インターネットでさ」

 それが彼の口癖だった。いつもそれを、スティーブジョブズのような口調で、半ば吐き捨てるようにつぶやくのは渚自身が学校に馴染めないということに対する負い目と少なくない金をインターネットで得ているということで自分は周りより優れているだろうことを自分で確認し、プライドを守る目的もあった。

 そしてだんだんと、渚は現実よりも液晶画面と向き合うほうが多くなり、今に至るということである。

 「マジかよ!ふざけんじゃねえぞ!」

渚はディスプレイに叫んだ。リスキルを取られたことに対する怒りだ。

すると、横の部屋からドンドンと壁を叩く音がする。お前がふざけるなという姉からの苦情だろうか。

 そういえば、初音は明日から教育実習と目をキラキラさせて言っていたな。姉を怒らせると面倒だ。渚は"ANTIROLL"のプレイを終了し、スマホを片手にベッドに横たわった。

 渚と初音は姉弟であるが、価値観が180度異なっていた。

 渚に言わせると初音は”典型的なアホリア充”だった。溝端初音は、小学校、中学校から男女問わず友達が多く、彼氏の途切れることもなかった。

高校に入ると、進学校ながら良好な成績をキープしつつ、女子テニス部のキャプテンと生徒会長を兼任し、その理想的高校生像から、遂には学校のパンフレットに代表生徒として掲載されるに至った。

そして、初音はその成績の良さから大学入試の推薦枠に入り、有名私大の教育学部に入学した。大学に入ってからは、持ち前のコミュニケーション能力でサークルの活動と勉学を両立させ、さらには特待生を得ていた。サークルの飲み会で酔っ払い、彼氏に介抱されながら帰ってきたにもかかわらず、次の日の朝の一限目に間に合うように通学する姿を見て渚は、アイツは鉄人だ、とただただ驚いていた。

 それゆえ、インターネット全般に対する向き合い方も二人は大きく異なっていた。例えば、初音のSNSの投稿は毎日のように友人との写真で埋まっていた。一方、渚にとっては、SNSはあくまで、情報収集、金稼ぎ、そのプログラム構造の分析の対象だったので、初音のSNSの使い方を「企業に踊らされる情弱リア充(笑)消費者」と揶揄し大喧嘩になったのは渚の記憶に新しい出来事だ。


「楽しかったら、それでいいじゃん」


初音は小さい頃からよく、諭すように渚に言っていた。

初音には渚が常になにか数学の難問でも考えている顔をしているように見えて仕方なかった。弟は自分で作った渾沌とした思考の渦の中に自分から飲み込まれていっているように見えた。


せっかく生きてるんだから、カリカリせず、もっと楽しく毎日を過ごせばいいのに。


だから、初音はそんな彼を放ってはいけなかった。



いつの間にか時計の針はAM5時27分を指していたが、渚の瞼は下がる気配もなく、ブルーライトが彼の瞳と殺風景な部屋に向かって散乱していた。

その青い光は、まるで窓を隔てた向こう側に確かに存在する夜明け前の世界から、この6畳を独立させるために輝いているようだった。

渚の右手のスマートフォンがぶるぶるぶる、と3回振動した。

3回の振動は、SNS"twbotter"のDMの受信サインだった。

こんな夜遅くに誰からだろう、アプリを開いて確認する。

送り主は、女子高生プロゲーマー"アリス"だった。

一本の動画のURLと一通の送られてきたメッセージ、


この動画の事件を調べて欲しいの―


渚はそのときは思いもしなかった。

それが全ての契機となるだろうことを。


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