タイムマシンが裏庭に

そうざ

Time Machine in the Backyard

 妻と娘達がバス旅行に出掛けた。前々から計画していたらしいが、その旨を知らされたのは早朝の出掛けの時で、その為だけに俺は叩き起こされた。

 一度起きると、もう中々寝付けない性質たちだ。居間のソファーに涅槃仏ねはんぶつを気取り、退屈なテレビをぼんやりと眺めるしかなかった。

 ずずんっ――鈍い地鳴りがしたと思ったら、何処からか焦げた臭いが漂って来た。

 猫の額に毛の生えた程度の裏庭に出ると、卵型の大きな物体が金色に輝いていた。数カ所から微かに煙が漏れている。

 愕然とする俺を更に呆然とさせたのは、そいつが妻の花壇に鎮座していたからだ。

 緑に囲まれたこの土地に移り住むや否や、妻は裏庭全体を占有した。物件の内覧に来た時から密かにゴルフの練習用スペースにしようと計画していたのだが、妻は妻で既に花壇にすると決めていたらしい。

 民主的に話し合いたかったが、妻は専制君主型の人間だ。曰く、自分の方が先に花壇にしようと考えていたのだから自分に権利がある。極め付きは、よく飼い馴らされた娘達の登場だ。妻は娘達に、ゴルフと花のどちらが良いかと意見を求めた。俺は民主的に完敗せざるを得なかった。

 金色の物体は相変わらず光を放っている。

 どうしたものかとまごついていると、物体の一部に割れ目が生じ、中から男が現れた。引き締まった体躯、伸ばし放題の頭髪と髭、腰に毛皮を巻いただけという風体だった。日本人とも外国人とも判断が付かない。未開人と言えば一番しっくり来るだろう。

 男は、卵の彼方此方あちこちを黙々といじっている。

「あの……どなたですか?」

 返事がない。

「何をしてるんですか?」

 返事がない。

「言葉が解んないのか……?」

「解るわ、馬鹿にすんな」

 男が仏頂面で振り返った。

「ここはうちの敷地なんですけど」

「それがどうした」

「勝手に入って貰っちゃ困りますよ」

「俺の方が困ってるわ」

「何がどうしたんですか?」

「お前に関係ない」

「関係ありますよ、ここはうちの――」

「ここは俺等おれらの土地だ」

「は?」

「俺はなぁ、五万一千八百五十四年も早くここに住んでんだよ」

「……何を言ってるんですか?」

「あぁ、もうっ、お前なんかに構ってる暇はねぇっ」

 そう言うと、男はまた黙々と何らかの作業を始めた。

「五万……って。あんた、何者ですかっ?」

「原始人に決まってんだろ」

「原始人がここで何をしてるんですかっ?」

「見りゃ解んだろ。タイムマシンを修理してんだよ」

「タイムマシンって……」

「何だぁ? 原始人がタイムマシンを持ってちゃいけねえってのかっ?」

 男が屹度きっとなった。原始人と名乗るだけあってプリミティブな迫力がある。

「どうして原始人が日本語を喋ってるんですかっ?」

 男は、鼻と鼻とが当たるくらいに顔面を近付け、冷たい微笑で凄んだ。

「俺はタイムマシンを作れんだぞ。脳内自動翻訳くらい朝飯前に決まってんだろうがっ」

 返す言葉が見付からなかった。完全に頭がいかれている癖に、妙に理路整然と言い返して来るから厄介だ。取り敢えず、警察に通報するしかないだろう。

「お前、幾つだよ」

 男がぶっきら棒に言った。

「ん?」

「何歳だって訊いてんだよ」

「三十八ですが」

 男がぴたりと作業の手を止めた。

「……本当か?」

「サバなんか読みませんよ」

「若く見えんな」

 どうやら、男は自分の方が年上だと思っていたらしい。俺も今の今まで男の方が一回り以上は年上だと思っていたが、原始人だから老けて見えるのかも知れない。

 男に微かな狼狽の色が見える。男が俺の年齢をかんがみて高飛車な態度だったのだとしたら、形勢逆転のチャンスだ。

「おいっ、警察沙汰になる前に大人しく出て行った方が身の為だぞ」

「それが先輩に向かって言う言葉か?」

「先輩だぁ? 俺の方が年上だろうが」

「俺の方が五万年以上、早生まれだ」

 また返す言葉が見付からなくなった。

「言わば、俺は大先輩だ。大先輩に敬意を払えねぇのは文化レベルが低い証拠だな」

 俺は自分の事を文明国に生まれた文明人だと思っていたが、本当にそうだろうか。タイムマシンを作れる原始人と、タイムマシンを作れない現代人と、どちらが文明人なのか。

 ここは話題をらして急場をしのぐ作戦が良い。

「あなたは何をしにこの時代にやって来たんですか?」

 俺の苦し紛れの発言に、男の動作が止まった。そして、重たい口が開かれた。

「……人類を正しく導こうと思ってな」

「んん?」

「未来人はおごり高ぶっている。人類が亡びるのは時間の問題だ」

「何だと……?」

「温暖化! 大気汚染! 酸性雨! 砂漠化! 森林伐採! 生態系破壊! 核廃棄物! 人種差別! 宗教対立! 格差社会! 男尊女卑! テロリズム! 戦争!」

 やっぱり返す言葉が見付からない。人類が直面している数々の問題を知っていながら、自分が何をすべきなのか、何が出来るのかが判らない、いや、見て見ぬ振りをしているのだ。遥か未来を憂える原始人と、のんべんだらりの現代人、どちらが人として尊いのか。

 次の瞬間、視界がまばゆく瞬いた。

 目を開けると、卵型の大きな物体が二つに増えていた。その新たに現れた物体の割れ目から女が現れた。すっぴんで髪を振り乱し、しなびた乳房を片方だけだらしなく放り出している。

「アンタ、何やってんのよっ!」

 男の顔が無様に強張こわばった。

「狩りもしないで、また家出なんかして、全くっ!」

 女は、何も言い返せない男の首根っ子を押さえて卵に放り込むと、野蛮人を見下すような目で俺をにらみ付けるが早いか、自らもそそくさと卵に乗り込んだ。

 女の面貌と妻のそれとが重なった。

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