Scarlet Sworder

詩人

Section:00 聖変詩歌

Ep.01 深夜

 神様、どうか我々に寵愛ちょうあいを──。

 両の指を絡ませてそれを額に付ける。手の甲にはあおい血管が浮かび、祈りの強さが窺える。人々は祝詞のりとを吐きながら、灰色に揺れる空を睨んでいた。

 神様などいない。

 かごの中の我々よ、同志よ。

 解かれた拳を振り払え──。



「〈ブリガディア〉、状況を」

『はい。省略せずにお伝えします。現在8月3日、午前3時ちょうど。〈グレイブ〉さんの現在位置でB域6区のマーケットビル屋上。雲量は20%です。まだ目標ターゲットの姿はこちらから確認は出来ませんが、人数は二十人ほどと推察されます。警安けいあん局にも万が一の応援要請はしてありますが──』

「必要ない」

『ですよねー……。でもまあ、ホント念の為ですから。それでは本日もご武運を』

「こちらこそいつもありがとう、〈ブリガディア〉。君も私の補佐をよろしくね。──これより作戦7-甲を遂行すいこうする」


 そう言って私は右の耳に付けたイヤーカフに一回、優しく触れた。


 そうか。今この区画の周囲には警安局が待機しているのか。もし仮に私が時間をかけるようなことがあれば容赦なく突入してくる。

 この土地を私たちに完全に任せようとしたのは誰だよ、こんな重要事案の時だけ手柄を横取りしようとしてくる精神に吐き気がする、と言ってやりたい。

 ……ただ、あまり話をややこしくしたくないから、おとなしく作戦を遂行しよう。


 今私がいる場所は、五階建てマーケットビルの屋上。標的の居場所は〈ブリガディア〉が随時無線で送ってくれているが、そんなことをしなくても把握している。

 深夜に襲撃するなどこの街では普通のことだから、きっとアジトの警備は厳しい。正攻法で一人ずつ無力化していく方針は却下だ。


 しかし有り難いことに『局員戒律かいりつ』には、「総司令官の命令によって実行される『作戦』を行う際は、いかなる臣民しんみんの命も脅かすことのない状況が想定される場合のみに於いて、敵対勢力への無差別攻撃が許可される」と記されている。

 なので、今日は近隣住民の迷惑にはなるかもしれないけれど、花火を上げさせてもらおう。


 目標の廃工場を視界に収め、私は詠唱もせずに左手に蒼い炎を出した。

 この炎の所有者である私にはその熱は感じられないが、煌々こうこうと燃えるこの蒼炎そうえんは瞬時に人に火傷を負わせることが出来る。

 その熱さは具体的に言えば、私が蒼炎を出してからこの周囲の気温が約20℃上がった。そんな蒼炎で、今からあの廃工場を「調理」する。


 左手を廃工場の方向へかざし、自らの息をふっと吹きかけた。

 すると炎は瞬く間に廃工場へと伸びていき――そして包んだ。真夜中が突如としてあおに照らされ、辺りが騒然とする。

 廃工場は、かつての姿を思い出せないほどに崩れ去った。


 ブリガディアの事前報告では約二十人と言われていたから、恐らく今の炎のおかげで半分は死んだだろう。

 しかし死んでいった雑魚共に用はない。本当に私たちが狙っているのはその二十のうちの一人、「上級幹部」クラスの野郎だ。


 上級幹部クラスの人間はその生死が組織全体の明暗を分けると言っても過言ではないので、誰よりも丁重に扱われる。

 それに合わせて今回の標的も「火炎耐性」等を所持している能力者だ。先程の攻撃に耐え、この地点から退避しているに違いない。


「〈ブリガディア〉、標的の現在座標を」

『はい。標的は「下級戦闘員」二名と共に時速十キロメートルの速さで南下中。現在はB域9区』


 いくら能力者とはいえ、その活動限界はたかが知れている。そんな程度の移動速度で私から逃げられると思われるのはあまりにしゃくだ。

 乱立する建物の屋上をジャンプして乗り移り、上級幹部を視認しながら追尾する。火だるまと化した廃工場──だったもの──では今頃、正義ボケどもが必死に消火活動を行っているに違いない。何も考えずに火を放ったのではなく、上級幹部を詰めるのには警安局の連中から距離を置く必要があったからだ。


 南下を続けてくれているため、街の郊外に追い詰めることが出来そうだ。そうなればより有利に、滞りなく「尋問」を進められそうだ。これから行う尋問は、少しばかり倫理観に欠けているものであり、一般の市民や正義ボケたちに目撃されるのはできるだけ避けたい。

 この街と他の州都を隔てる「壁」にまで追い詰めたところで、逃げ惑う奴らの目の前へジャンプした。約五メートル上からのジャンプにも耐えられるのは、私が人間ではない証拠だ。


「手ぇ上げな」


 私は背中に携えていた「グレイブ」を三人に向けながら、少し低めの声でそう言った。決して恐怖感をなくして言ったのではないが、奴らには効かない。それもそのはず、あれほど「自分たちの最大の敵だ」と散々教育されてきた敵が、女の私だったからだ。奴らに私たちの具体的な情報は充分に行き渡っていない。


「まさかボスが言ってた〈黒犬〉ってのはこの嬢ちゃんか? ふっ、ふはははっ! 笑わせてくれよるわ。おい、覚えとけよ。俺たちみてぇなクズでもな、逮捕には令状がいるってもんだぜ? それと──」


 気付いた時には、既に私は数多の敵に様々な種類の銃を向けられていた。


「B域は俺のシマだ。二度と手ぇ出すんじゃねぇぞ」


 銃弾の雨が、私の体に降り注ぐ。


 やはりこの感覚は嫌いだ。体中が痛くて、熱い。

 骨を、皮膚を、内臓を鋼鉄の弾丸が貫く。

 脳みそが激しくシェイクされ、考えもロクにまとまらない。

 雨が止んだ頃には、私の体はいくつかの肉片と化し、そこら中に散らばっていた。


 ────しかし、私の〈グレイブ〉は遥か上空にて


「話は終わりか、おっさん」


 何事もなかったかのように私は実体を取り戻し、上級幹部の背後に立っていた。奴の首筋には私のグレイブ。私と魂を契った、命の槍。

 やはり私は先程のように敵に銃を向けられるハメになったが、今度は人質を取っている。ここにいる誰よりも丁重に扱われるべき命が、私というイレギュラーで無価値な存在に手玉に取られている。


「おいおっさん、”Shit down?(ひれ伏せ)”」


 上級幹部を私と対面させ、グレイブを持っている手と反対の手で地面を指差した。明らかに不服そうな顔をしたので、刃先を首筋まで当ててもう一度忙しく指を動かした。上級幹部は顔を地面に着け、手首を腰の辺で組む。


「じっとしてろよ」


 そう言い放つと、勢いよく息を吸い込んだ。息を止め、グレイブを持つ手に力を込めたまま、その場で一回転。百を優に超える人間の頭部がその場に転がった。辺り一帯に血の海が広がる。これにはさすがの上級幹部も私の足元で目を見開いた。

 これでさっきの元は取れたかな。


「グラハム=ホーキンス、〈緋熊レッドグリズリー〉構成員『上級幹部』クラス。B域を牛耳る通称『麻薬王』。違法薬物の密輸が数えきれないほど。殺人五件、強姦十二件、あとはー……あれだ、銃器取締法違反も数えきれないほど。お前を『M《メイデン》』へぶち込むことは容易いが私も仕事なんでな、話をいくつか聞かせてくれ」

「さっきも言った通り、令状がないと俺みてぇなクズでも逮捕は出来ねぇぜ。いくらお前が政府の回しモンだとしても、憲法やら法律やらには逆らえないだろうが」

「少しは自分の立場を知った方がいい。早くしないと正義ボケが来ちまうだろ」


 グラハムに早く情報を吐かせるため、屍が落とした拳銃で一発ずつ、彼の両脚に弾を撃ち込んだ。悶絶の末、私を睨みながら彼は黙った。


「話が早くて良い。私が聞きたいのは一つだけだ。お前が扱っていた薬物は、どこから輸入してきたもんなんだ? この街で輸出入が出来るのは政府が認可した私たちだけなんだよ。なのにどうして、お前たちがそんなことを可能にしてんだよ?」


 私とグラハムを囲うようにして、首なし死体と頭部が輪環状に広がっている。タイムリミットはもってあと一分といったところか。遠くから陳腐なサイレンが聞こえてくる。


「言えよ、まだ潰されたいのか? あ?」


 グラハムの脚に一発、また一発と弾丸を撃ち込んでゆく。既に左脚は原形を留めていない。ここまで黙秘を続けることぐらい、なんとなく分かっていた。彼は〈緋熊〉という一大マフィアの中でも、五本の指に入る権力の持ち主だ。それなりに「汚れ仕事の鉄則」は遵守しているらしい。

 体力的に削っても意味がなさそうだ。あまり好みではないけれど、精神的に削るしかない。警安局が到着するまでに絶対に吐かせないと。私も私で、任務を達成しないと上司がうるさい。


「吐かなかったら、お前の奥さんも娘さんも蜂の巣だ。それかあらゆる手段を使って健康なまま『M』にぶち込んでやる。女に飢えた汚い男たちで溢れているあの『M』に! どうなっても知らないぞ」


 グラハムの顔が歪む。私だってこんな卑怯な手は使いたくない。だけど色々と覚悟を持ってやらなければこの仕事は務まらない。それはグラハムもきっと分かっているはずだ。


「わ、分かった! 分かったから妻と娘だけは助けてくれ……! 『リスエテ』のブラックマーケットを牛耳ってる奴から仕入れてたんだ!」

「トランスポーターは誰なんだ。誰が密輸ルートを? ……おい、おいっ! クソっ、血が足りなくなったか……」


 できることならばそのトランスポーターとやらの情報まで仕入れたかったが、輸出元が分かっただけでもこの「作戦」は意味を成す。

 私はグレイブを背中に戻し、その場で勢いよくジャンプした。どこかの建物の屋上に着地し、凄惨な現場に到着した警安局を上から見下ろす。

 局員たちはあまりの血生臭さと視覚的情報の凄惨さに嘔吐している者が殆どだった。


『また間一髪でしたね。こんなところ見られては総司令の面子が丸潰れですよ』


 イヤーカフから耳の骨を伝って脳に直接〈ブリガディア〉の声が響く。令状を出さなかったのは、私にそもそも逮捕をしようという考えがなく、全員殺すつもりだったからなんて死んでも言えない。『局員戒律』の文言も過大解釈をしたし、どこかの法律のどこかの条文に違反している可能性は大いにある。

 しかし、私たちはそんな汚れた仕事をしなければならない。

 世界の平和のために、市民の笑顔のために。

 命を賭してでも、守らなければならない。

 私たちは、魔衛警安省・魔衛局神異しんい課。

 通称・D──Dober。

 熊をも喰らう、黒犬ドーベルだ。

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Scarlet Sworder 詩人 @oro37

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