第3話
翌日、僕は朝から荷解きの続きをやっていた。
「あはははは! ちょ~ウケる! お腹痛い!」
奈々子さんは昨日見たVの配信が余程面白かったらしく、僕のパソコンを占領して夜通しVの動画を見まくっていた。
それは別にいい。自分の荷物だし、手伝って貰おうなんて思っていない。
そもそも幽霊の奈々子さんに手伝えることはないし。
昨日は深く考えなかったけど、地縛霊という事は色々つらい過去があるのだろう。
記憶喪失だとしても、同情に値する。
今まで一人ぼっちで囚人以下の生活をしていたのだ。パソコンを貸すくらいはなんでもない。
荷解きが一段落するといい時間になったので、お昼にする事にした。
昨日の内に買っておいたコンビニ弁当をチンする。
パソコン机は奈々子さんが使っているので、部屋の真ん中に置いてあるちゃぶ台を使う事にした。
「いただきます」
「めしあがれ~」
両手を合わせると、奈々子さんが椅子の上で身体だけ半回転させてこちらを向いた。
そのまま肘置きに頬杖をついてぼんやりと僕を見つめている。
正直食べづらいけど、文句は言わなかった。
奈々子さんは幽霊だから、食べる事が出来ないのだ。
物にだって触れない。
僕以外の誰にも見えない。
それどころか、眠る事すらないという。
だから一晩中Vの配信を眺めて暇を潰していたのだ。
じゃあ、僕と出会うまでは?
考えるだけで眩暈がする。
想像するだけで恐ろしい。
そんなのまるで生き地獄だ。
生きてないけど、でも、意識があるなら生きてるのと同じ物だと思う。
そんな奈々子さんが、どんな気持ちで僕の食事を眺めているのか。
あまりにも重すぎて、想像する気にもなれない。
「美味しい?」
凪いだ湖面に石ころを放るみたいに、ぽつりと奈々子さんが呟いた。
「……まぁ、それなりに」
正直今ひとつな味だった。
お母さんの手料理に比べれば、一晩経ったコンビニの弁当はいかにも味気なくて、食事と言うより餌という感じがしてしまう。
でも、奈々子さんの前でそれを言うのは贅沢な気がした。
だって彼女は水の一滴を飲む事も、塩を一粒舐める事だって出来ないのだ。
空腹を感じない代わりに満腹になる事もない。不味いも美味しいもない。記憶喪失だから、美味しかった思い出すらないのかもしれない。
そう思うと、無性に奈々子さんが不憫に思えて、僕の箸は止まってしまった。
鼻の奥がツンとして、泣きたくないのにぐすぐすと鳴ってしまう。
「……あはは。ごめんね。あたしに見られてたら、食べづらいよね」
「そんな事、ないですよ」
目元を擦って誤魔化すけど、小学生だって騙せない演技だった。
「気にしないで。食べれないのは仕方ないし。ていうか、食べた事ないし? ほらあたし記憶喪失だから。羨むような記憶がそもそもないから。あははは」
大根役者なのは奈々子さんも一緒だった。
必死に取り繕うとしているけど、声は上擦っていた。頬は強張り、目も笑っていない。
本当は羨ましくて仕方ないのだ。
羨ましくない筈がない。
僕が逆の立場なら、憎しみすら感じてしまうかもしれない。
それでふと、僕は不安になってしまった。
はたして、こんな調子でこの先奈々子さんと一緒にやっていけるのだろうかと。
食事は毎日起きる事だ。その度に、こんな空気になってしまうのだろうか。
他にも、僕に出来て奈々子さんに出来ない事は山ほどあるだろう。
その度に、居た堪れない空気になってしまうのだろうか。
それは彼女のせいじゃないし、僕のせいでもないけれど。
でも、だからこそ辛い。
僕も、奈々子さんも。
そんな風に思いたくなくても、思わずにはいられなかった。
「や、やだ、あっ君。そんな顔しないでよ! あ、あたしはなんとも思ってないから! 本当、全然平気だから! じゃ、邪魔だったら、自分の部屋にいってるから、だからお願い……あたしの事、嫌いにならないで……」
昨晩話し合って、持て余している空き部屋は奈々子さんの部屋という事になっていた。
とはいえ、幽霊の奈々子さんに私物があるわけもなく、本当にただの空き部屋だ。
そんな所にいても楽しくないから、奈々子さんは基本的にはパソコンのあるリビングに居座っている。
奈々子さんは、地面に落した後に何度も踏みつけたハンバーガーみたいな顔になっていた。ぐしゃぐしゃで、無残で、今にも泣き出しそうだ。
彼女にとって、僕は牢獄のような生活に現れたたった一つの希望なのだ。
僕がここから引っ越したら、また何もない生活に戻ってしまう。
そんなのは、絶望以外のなにものでもないだろう。
「落ち着いて下さい。本当に、なんでもないですから。奈々子さんが居てくれた方が賑やかでいいですし」
「……ありがと。ごめんね」
無理に笑顔を浮かべると、奈々子さんは背中を向けてパソコンに向き直った。
でも、先程までのように笑う事はない。
しょんぼりと丸まった背中が哀愁を誘った。
淀んだ空気を変えたくて、早くお弁当を食べてしまいたいけど、全然喉を通らなかった。
奈々子さんの為になにか出来る事はないだろうか。
そんな想いで胸がいっぱいだ。
それで悶々としている内に、僕は頭がどうかしてしまった。
煮詰まり過ぎて、妙な事を考えてしまったのだ。
奈々子さんが幽霊なら、お供えをしたら食べられるのでは?
そんな荒唐無稽な事を考えてしまった。
僕自身、上手く行くなんて思ってなかった。
ただ、無駄でもいいからなにかして、やるだけの事はやったという気分になりたかっただけなのだろう。
とんだ偽善者だ。
虫唾が走る。
そう思いながら、僕は食べかけのお弁当に箸を突き刺し、両手を合わせて奈々子さんの為に祈った。
どうか神様。それとも仏様?
悪魔でも閻魔様でもこの際なんでもいいです。
奈々子さんに食べる喜びを与えてください……。
心の底から祈り、馬鹿げた気分になるまで祈った。
目を開けると、奈々子さんが凄い顔をして僕を見つめていた。
ふざけていると思われたのかもしれない。
「あ、いや、その、これは、違うくて……」
慌てて言い訳をすると、奈々子さんが勢いよく立ち上がってこちらに来た。
「ひぃっ!?」
あまりの剣幕に、殴られるのかと思った。
触れないと分かっていても怖くなるくらいの、凄い顔をしていたのだ。
でも、そんな事にはならなかった。
奈々子さんはちゃぶ台の前に座り込んで、犬みたいにくんくん匂いを嗅いでいた。
鼻からご飯を吸い込みそうな程の、猛烈な勢いだった。
「な、奈々子さん? なに、してるんですか?」
「匂いがするの!」
泣き出しそうな顔で奈々子さんが叫んだ。
「そりゃ、お弁当だし、匂いくらいはすると思いますけど……」
「あたしはしないの! 幽霊だから! 今まで匂いなんか感じた事ない!」
その言葉の意味に気付いて、僕もハッとした。
「あっ君、なにしたの!?」
「……お供えしたんです。もしかしたら、奈々子さんも食べた気になれるかと思って……」
二人でしばらく見つめ合うと、奈々子さんの視線がお弁当に向いた。
物欲しそうに、喉がゴクリと鳴る。
そして僕の目を見て、不安そうに聞いてきた。
「た、試してみても、いいかな?」
「勿論! やってみましょう!」
今まで感じなかった匂いを感じているのだ。
なら、食べる事だって出来るはずだ。
お供えが上手く行った。
僕の祈りが通じたんだ!
そう確信して、僕は一番大きな唐揚げを箸で掴んで奈々子さんの口に運んだ。
「はい、あ~ん」
無意識に出た僕の言葉に、奈々子さんが真っ赤になって口を大きく開く。
僕が箸を開くと、どうしようもなく残酷な現実が、ぼとりと無慈悲な音を立てて床を転がった。
僕は泣きそうだった。
「……ごめんなさい……。期待させるような事して……。上手く行くかと思ったんですけど……」
奈々子さんがボロボロ泣きながら勢いよく首を横に振る。
「違う、違うの! 食べれた! ちゃんと食べれたの! 死んでから始めて、ご飯食べれたの!」
感極まって僕に抱きつくと、奈々子さんは泣きながら「美味しい、美味しい」と繰り返した。
幽霊に抱きつかれても、僕の身体は何も感じなかった。
だけど心は嬉しくて、僕は奈々子さんと一緒になって号泣してしまった。
片思いの子と離れたくなくて一人暮らしを始めたら美少女幽霊と同棲する事になりました(仮) 斜偲泳(ななしの えい) @74NOA
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