ep.063 遭逢
「中佐、いい加減さぼるのやめてくださいよ」
椅子にだらしなく腰掛けていたヨゼフ・マクシミリアンは、顔に載せていた書類を持ち上げる。帝国軍軍部の資料という皮を被ったグラビア雑誌。せっかく隠していたのに、無防備に持ち上げたから丸見えだ。一応この場の最高位にあるはずの人間のぐうたらぶりに職場の全員が頭を抱えて溜息をつくのは日常茶飯事だった。
「いいじゃないかー、俺の仕事なんてハンコ押すだけだし」
気の抜けた声で灰色の髪の男は机に転がしていた印を振る。中佐である責任感とやらはどこの熊に食わせたんだ、馬にでも蹴られて来いや、とこの場の全員がそう思った。上司のやる気のなさ加減に、山積みの書類を抱えてヨゼフの前に立っている文官の額に青筋が浮かぶ。
「……ではこちらは今日中に処理してくださいますようお願い申し上げます七光り様」
引きつった笑顔で男はどんっと書類の山をヨゼフの机に増やしていく。またなー、と手を振ったヨゼフだったが、当然無視された。
情報部に巣食う妖怪、その名もサボり魔の七光り様。
あまりにもあんまりな呼び名がつくほどに、ヨゼフ・マクシミリアン中佐三十二歳は自堕落な人間だ。収まりの悪い灰色の髪に燈赤色の双眸。無精ひげを剃ってキリッとした顔をすれば、それなりにイケるはず……、まあ言動がすべてを台無しにしているのだけれども。
ヨゼフが名前を連ねるマクシミリアン家は古い帝国貴族の家系であり、十五年前にゲルデンシュバイク家が滅んだことによって帝国領デアグレフを治める領主の家門ともなった。さらに、帝国軍大将であるカイン・マクシミリアンの息子、ということで、それはもう父親と家門による光で電飾並みにぴかぴかと照らされているわけだ。
士官学校は主席で卒業し、時めく期待の新人だった、はずなのだが、いつの間にやらやる気をすっかり失くしてしまい、今ではその面影はどこにもない。そうして様々な部署をたらい回しにされ、今では妖怪呼ばわりされている。
ふわあ、とやっぱりやる気のひと欠片も感じられない欠伸をして、ヨゼフは再び書類(偽装)を被って目を閉じた。冬になり、雪が支配するようになってから陽気はこの地から失われて久しい。けれど、窓から差し込む陽光だけは温かかった。だから眠くなるのも仕方がないのだ、しょうがない。
「ヨゼフ・マクシミリアン中佐、ビルガー大佐がお呼びです」
この部署の人間の声ではない。秘蔵の雑誌が露見すると最悪没収されかねない、と瞬時に計算、慎重に顔から書類を引きはがす。
「ビルガー大佐が私にどのようなご用件でしょうか?」
気怠さを隠さず問いかけると、使者は肩をすくめた。
「小官には分かりかねます。ご自分でご確認なさるのがよいかと思われます」
「そうか、しょうがない……じゃなくて、俺はすごく真面目な人間だから今から向かおう」
使者の目が、床の隅に放置されて数週間経つ未洗濯の靴下を見るような目になる。ははは、とヨゼフはとりあえず笑って立ち上がった。
「い、行ってきます」
そそくさとビルガー大佐の執務室に向かった。いつも情報部から出てくることのない、あるいは引きこもっていると言ってもいい、ヨゼフが廊下を歩いているという非常事態に人々は動揺を隠しきれていない。時刻を確認し出す者、慌てて目を逸らす者、きょとんとしている者……は新人か、とにかくだいぶ歓迎されていないようだ。口笛をわざとらしく吹いていれば、ようやっと目的地に辿り着いた。
「ヨゼフ・マクシミリアン中佐であります」
「入れ」
ヨゼフに関する苦情が止まず、とうとう胃潰瘍になってしまったと噂のビルガー大佐。できない部下を持つと大変だなあ、と眉間に深いしわを刻んだ男を見てヨゼフは思う。けれど、本日のビルガーは視界にヨゼフを入れるとなぜだか嬉しそうな顔をした。
「やあやあよく来てくれたな、マクシミリアン君」
「えー、小官に何のご用でしょうか……?」
にっこり。そう形容する他ないほどにビルガーは似合わない満面の笑みを浮かべた。とても嫌な予感がするのは気のせいだろうか。ヨゼフの背中を冷たい汗が流れていく。
「貴官は、我が帝国に歯向かわんと牙を研いでいる連中を知っているな?」
「はあ、《
「ああ、そこでだ──そこ、耳塞がない」
ちっ、ばれたか、とヨゼフは渋々耳から手を離した。
「貴官には反逆軍に潜入し、諜報活動をしてもらいたい」
「あのう、お言葉ですが、そっち系の仕事はガンマのものではないんですか?」
手を上げて質問をする。不敬極まりない発言ばかりだが、ヨゼフを合法的に追放できるとるんるんしている上司は全く気にしない。
「ガンマは総帥アリアの意向によって任務を行うのが常だ。が、陸軍上層部は彼女の動きを信用しきっているわけではない。というのも、ガンマの能力があれば反逆軍を根絶やしにすることくらい容易いはずだ。しかし、実際には反逆軍は拡大しながら抵抗を続けている」
「つまり、ガンマ総帥が手を貸している、とでも?」
「ああ。したがって、陸軍も独自に動くことにした。そして、そう、そして、貴官には潜入して情報を集めて欲しいのだ、潜入して」
よっぽどヨゼフを追い出せることが嬉しいらしい。
「なぜ小官なんです?」
「マクシミリアン大将、貴官のお父君の命だ」
もっとわけが分からない。父親のカイン・マクシミリアンは公私混同をしない人物だ。無口で気難しく、厳格。かっちりと軍服を纏う姿は貫録と威厳を醸し出す。見ているだけで息苦しい、といつからかヨゼフは思うようになった。規律が服を着ている人間がわざわざ息子を指名するほどの事情でもあるのだろうか。はあ、と溜息をついてヨゼフはぐしゃぐしゃと髪をかいた。
「まあ、とりあえず、反逆してこればいいんですね」
「ああ、その通りだ──っではなく、帝国のために潜入任務に励んでくれたまえ」
すっきりとした笑顔で手を振ってくるビルガーを背に、ヨゼフはやる気なく踵を返した。
「おい、新入り、メシだぜ」
「ああ、ども」
作業服姿の大柄な男が差し出す椀に入ったシチューを受け取る。湯気を立てるシチューを持つヨゼフの手は機械油で汚れていた。
ここは帝国南部の都市バーレイグに建つ工場だ。主に武器を製造しており、戦争特需ということで数多くの武器を帝国に売っている。しかし、その武器は帝国のみならず反逆軍にも供給されている。いや、逆だ。この工場は反逆軍の拠点、砦として存在している。反逆軍が自らの武器を製造するために、帝国軍規格の武器を作っているのだ。
──反逆軍の王、《
それが反逆軍として生活して二週間でヨゼフが理解したことだ。任務に対して何のやる気も持ち合わせていなかったはずが、不思議なことにヨゼフは今、興味という衝動によって突き動かされている。錆びつかせていた思考回路をまた動かしてみたくなるくらいには。
まず、活動拠点のひとつに武器工場を選んでいる時点で茨の王の非凡さが表れている。ヨゼフのように仕事がないという構成員には仕事を与える一方で、帝国軍に支給する武器を製造することで彼らが帝国に対して持つ反意を偽装する。武器の需要という帝国の行動を予測するためにも欠かせない情報を簡単に入手することができる。その上、軍から流れる金は活動資金に充てることも可能。多くの人間を集めて共同生活をさせることの説明も容易だ。……そして、帝国に摘発されたとしても、弱い立場の労働者は従うほかなかったのだ、と上の人間を切り捨てるだけで反逆軍の構成員を守ることすらできる。どこまでも効率的だ。
「……俺たちの王さまってどんなやつなんだろ」
今まで食べてきたどんなものよりも素朴な味のするシチューをすする。ここでは下町の人間という身分で通しているけれど、実際にはヨゼフは帝国の名門貴族の嫡子なわけで、この環境に存在するものはどれもみすぼらしく思えた。士官学校での生活で薄っぺらい寝台で眠るのに慣れていたことは幸いと言えるだろう。
「あの方はすごくて、……恐ろしい方だよ」
ヨゼフにシチューを手渡した男がすぐ隣で呟いた。
「あの帝国相手にゼロから反逆軍を組織して、拡大させてきた。ガンマと治安局の目を欺き続けたんだ、あんなの天才としか言えねえ。ただ、容赦はないし、裏切者は絶対に許さない。特にひと月前……あの方の側近が死んでからはさらに厳しくなった気がするな。なんでも、裏切者には自ら毒杯をあおらせて制裁するんだとか」
「なるほど……、そりゃ怖いな。じゃあ、王さまを見たことは?」
「もちろんあるさ。あの方はどんな戦場も俺らと共に立ってくださるからな」
畏怖を以て男は語る。ヨゼフは何気ない風を装いつつ、男の表情から仕草に至るまでをつぶさに観察する。王への恐れの方が畏怖よりも大きいようだった。先ほどから根を生やしたように動かない彼の下半身を見るに、何か不安でもあるのだろうか。
「何か最近あったのか?」
「あ……いや、その、元々王さまは冷徹な方だったけど、側近を失くしてからは戦場へ送る同志の数や作戦にさらに容赦がなくなった、ような気がしてさ。特にガンマの殺戮人形ってやつに手を焼いているんだけど、負けが込んでんだ。それで、犠牲も増え続けてる」
「そうか……」
表立って活動を始めたガンマ相手に組織を瓦解させずにいる、その事実だけでも称賛に値するが、確かに対策を講じられなければ求心力は落ちる。しかし、そのための職だ。下町の人間の働く工場にしては随分と労働環境が整備されている。一度ここでの生活と保護を受ければ、簡単にはこの生活を手放せないだろう。
ぞくり、とヨゼフの背中を震えが駆け抜ける。反逆軍の王は間違いなく化け物だ。計算高く冷徹な王。ガンマの総帥アリアと同じ次元に立つことのできる器かもしれない。
「……とんでもねぇな」
突然笑い交じりに呟いたヨゼフに男が虚を突かれたような顔をする。驚かせちまったな、すまん、とヨゼフは苦笑する。
「いつ王さまに会えるんだろうな、俺は」
ヨゼフの言葉に合わせたようなタイミングでざわりと空気が動いた。人々の静かな興奮と恐れが入り混じったさざめきは波及する。薄暗い夜の工場。もう機械は動いていないこの時間、起きるとすれば揉め事か、あるいは。けれど、ざわめきが凪ぎ、声を上げることが躊躇われるような静謐が落ちて、誰もが
遠くを、フードを被った人影が歩いている。静けさを張り巡らせ、氷を鎧う。見るだけで思わず息を詰めてしまう鋭利さを持つのに、今にも砕け散ってしまいそうな危うさが潜む。そして、これだけの人に囲まれていながら、その人は独りだった。
中央で足を止めた人の頭からするりとフードが落ちる。
燃えるような赤い髪、冴え冴えとした翠の瞳。
ヨゼフは息を呑んだ。知っている、あの色を。父親の書斎でひっそりと飾られている写真立て。収められているのは士官学校の卒業写真で、仏頂面をしている若い父と肩を組んで笑う赤髪に翠の瞳をした青年が写っていた。カイン・マクシミリアンは決して彼のことを語らなかった。けれど、ヨゼフはその青年がガンマに消され、名前を思い出すことすら禁じられた一族の者であるだろうと予想をつけていた。
──リーゼンバーグ。
帝国の
けれど。
ヨゼフを襲った衝撃は、反逆軍の王がリーゼンバーグであったことによるものではない。
中央にただ独りで立っている男の顔は若い。若すぎるのだ。ヨゼフからすれば、まだ少年と呼ぶべき年齢の子どもだ。それでも、支配者の顔をして静かに立つ彼が王でないはずがない。
茨の冠を戴く罪の王。
帝国軍がそう呼んだ反逆軍の王は、まだほんの少年でしかなかった。
「……こんなの馬鹿げてる。ガキがなんてもん背負ってんだよ」
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