ep.054 夢への距離

 南に位置する共和国と北の帝国。両国の間には東西に伸びる戦線が構築されている。夏のリンツェルン奪還作戦の失敗により、共和国は帝国軍の駐在する街と軍港ごと攻撃し、海辺の美しい街は焦土と化した。


 ここ、レーヌエルベを中心とする戦線でも帝国軍との攻防が日ごと繰り返されている。レーヌエルベで作戦にあたる第七七中隊、その隊長としてカイル・ウェッジウッドは戦っていた。


 埃で曇ったレンズを野戦服の袖で拭い、カイルは双眼鏡で土煙の向こう側へ目をこらす。黒い軍服がアリみたいに見えるなー、と場違いにもそう思っていたら、鳥が鳴くような甲高い音を立てて耳のすぐ隣りを銃弾が駆け抜けて行った。


「うおっと……、こわっ」


 モスグリーンのヘルメットを被り直し、息を整える。その間にカイルの横で紺青バレヌブルーの髪をした青年が敵の位置を探し出し、塹壕から銃弾を浴びせた。風が強く、弾が流れる。青年は銃身の位置を変えてもう一度。バラバラという機銃の掃射音が十秒ほど続いた後、帝国兵が動かなくなっている姿が確認された。


「ありがとう、ヤナセ」


「……ん」


 砂だらけの顔をした青年、ヤナセ・トトロキ少尉は機銃の引き金から指を離さずに頷く。カイルは頷き返すと、通信に向かって指示を出した。


「よし、各員に通達! 敵は十時の方向から近づいている。先程余分に掘った塹壕に特製ワラ人形を爆薬縛り付けて立てる作業を終えること! 完了の合図の後、グレネードをありったけ投げたら、塹壕の中を走って逃げるぞー!」


 おー!、と元気な野太い返事があちらこちらから聞こえる。一体何のための通信機だ。声がデカすぎて丸聞こえだ。戦闘音が幸いして、場所が露呈するほどではないけれど。準備ができたとばらばらに報告が上がってくる。敵の位置を確認、そしてカイルは通信機に向かって叫んだ。


「今だ、ぶん投げて逃げろーっ!」


 砂と同じ色の麻布が跳ねる。麻布で偵察兵の目を誤魔化していたのだ。敵が来るのは十時の方向、とカイルがカンで掘らせた余分な塹壕はU字型になっており、誘い込まれた帝国軍は好き勝手放り投げられるグレネードの嵐に遭う。


 対抗するように帝国兵は機銃を初めとする銃を撃つが、それを受け止めるのは特製ワラ人形──こと人型に加工された防弾シールドの案山子かかしだ(一体一体実は顔が違う)。吹き荒れる砂埃の中、撃っても撃っても倒れない人影は彼らに恐怖を与えるには十分。さらに特製ワラ人形はなんと言っても爆薬付きだ。特製の所以はそこにある。ある程度まで損耗した特製ワラ人形からは盛大な花火が上がった。そして、たとえさらに近づいても有刺鉄線に服を切り裂かれることになるだろう。その隙にカイル率いる第七七中隊は一目散に逃げていく。


 レーヌエルベ要塞へと泥と血と汗まみれで転がるように帰還するカイルたち、しかし負傷者はいても死者はなかった。本日も。


 休むにせよ、最初に汚れを落とさなければならないわけで、中隊の面々は傾いた日差しの中で満足げに、しかしボロ雑巾のように転がっていた。


「たいちょー! やったったりましたよ! 今日は中隊をぶっ潰しましたですよ!」


 グレネードを思い切り投げすぎて顔を打ち、鼻血が止まらないにも関わらず叫び散らかしているのは、リンダ・コルシカ曹長だ。短い髪の下で丸い蜂蜜色の瞳が輝いている。とりあえず、彼女には鼻を拭いてもらいたいところだ。


「……さすが、棚ぼた部隊」


 泥だらけで真っ黒な顔をしたヤナセはカイルを見上げて親指を立てた。


「棚ぼたって、なんか、あんまカッコよくないんだよな……」


 カイルがボヤいていると黒ずんだタオルで顔を神経質そうに拭きながら、褐色の肌と黒い髪を持つ男がやって来る。


「ラッキーセブン中隊とかにすればどうです? 棚ぼたの神がいるんですし。なんなら軍やめて、カジノでも行ったらひと財産築けるんじゃないですか。この調子なら一生遊んで暮らせますよ。……で、俺の髪がガビガビなんですけど」


 イシュア・ザルツバルク中尉はブツブツ文句を言いつつ、カイルの隣りのコンクリートに腰を下ろした。彼は共和国に亡命した帝国貴族の末裔だという。


「まあ、今回もなんとか生きて帰れたし、戦果も上げられたし、よかったのかな」


「……うん。よかった。隊長の作戦のおかげ」


 ヤナセは言いながらこくこくと頷く。顔に感情が出にくいが、この部隊に配属されてから数ヶ月、カイルにも彼の表情と仕草の持つ意味がなんとなく分かるようになってきた。


「たまたまですよ、たまたま。次はこんなこと起きないんですから、いい加減カンだけで作戦立てるのやめてくれません?」


 イシュアは相変わらず、かなり精度よく正論を突くのでカイルとしては耳が痛かったり。


「ははは……、君とロレンス中尉がいるからいいかなぁって」


「だから、俺とじーさんになんとかさせようとするのやめてもらえます? 労働時間増えるんですけど」


 にゅっとカイルとイシュアの上に大きな影が落ちた。煙草臭い影にカイルとイシュアは飛び上がる。イシュアは驚いたことを隠すためにわざとらしい咳払いをした。


「ろ、ロレンス中尉……」


「噂をすればなんとやらってやつですか。じーさん中尉、俺の髪の側で煙草吸うのやめてくれませんか。臭いが移るんですが」


 煙をウザったそうに手で払っているイシュアの頭に、ロレンス・ガーデナー中尉は煙を吹きつける。声なき叫びを上げてイシュアが飛び跳ねた。


「ふん。……ウェッジウッド大尉、この部隊の規律はどうなっている?」


 屈強に磨かれた体躯を持つ男が眉間にしわを寄せている姿にカイルは息を呑んだ。


 彼はこの部隊でも最年長の四十五歳、叩き上げのベテラン中尉だ。棚ぼた昇進でナゾの武勲を上げ、二十七の若さで大尉になってしまったカイルの経験不足を補っている。また、イシュアはカイルと同じ士官学校出身で、カンで動くカイルの理性だったりする。


「その、えっと、がんばります!」


 カイルが拳を握ってみせると、ふんと鼻を鳴らしロレンスは踵を返した。


「相変わらずマイペースな人だなー」


「……隊長、怒られてたの分かってます?」


 え?、とカイルはイシュアの方を見る。イシュアが深緑の瞳を見開いた。


「え?」




 ***




 りー、りー、りー。虫が涼やかに鳴いている。戦場でも夜は静かだ。怒号と爆音と銃声が奏でる騒々しい狂想曲は聞こえない。その代わり、枯れかけの草木を通り抜けていく風のさざめき声が聞こえた。


 要塞の砲台から空を見る。今日曇りで、星明かりは灰色の隙間からほんの少しだけ。カイルは砲台の窓枠に肘を載せた。


「遠いなあ……」


 まだこの場所からでは戦争は止められない。


 この部隊の面々は抜けていて、人がいいヤツらばかりだ。カイルの夢を夢物語だと笑い飛ばすでなく、真面目な顔で聞いてくれた。それは皮肉屋のイシュアも気難しいロレンスも同じ。


 けれど、まだ足りない。何もかも。


 第七七中隊に配属される前、カイルは一度何かの間違いで大統領の護衛任務に着かされた。演説の裏で力のない人々が殺された。カイルは引き金も引かないまま、殴られて銃を奪われただけだったが。


 今まで見てきた共和国の姿が溶けて、消えた。この国はこんなにも醜かっただろうか、と自分に幾度となく問いかけた。何度見ても何度見ても何度見ても、やっぱり綺麗ではなかった。戦争を止められないのではない、彼らは戦争をしたいのだ、と理解したあの日に、カイルは己の生き方を決めたのだ。


 この国を、この世界を、変えてやる、と。


「……っていっても、俺にできることないしな。昇進するしかないか……」


「お前の夢の話か」


 唐突に降ってきた低い声に飛び上がる。振り返って見上げると、ロレンスが立っていた。


「あ、はい。遠いです……、俺の夢は」


「当たり前だ。そう簡単に叶うものではない。……そもそもお前は一個中隊すら御せていない」


 煙草に火をつけ、ロレンスは煙混じりの息を吐く。


「そのご指摘はなかなか効きますね……」


 ははは、と笑って頭をかいた。ロレンスの眼光が鋭く尖る。鋭利さにカイルの背筋が伸びた。


「ふん。……だが、立ち止まる気もないのだろう?」


「当たり前です。俺はそのためにここに来ました」


 雲の間から星が見える。カイルとロレンスの顔を照らすには弱すぎる光。けれど、黒い空の中で確と輝いている。分厚い雲の先に手を伸ばすために、ちっぽけなカイルはこうして立っているのだ。


 ふん、とロレンスは鼻を鳴らす。


「本部からお前にだ」


 封書だ。カイルはロレンスの差し出した紙を開け、丁寧に折り目を伸ばした。


『明日、カイル・ウェッジウッド大尉は本部へ一時帰投されたし』


 簡潔な一文。だが、それでもカイルの身体は震えた。この一文、この先で待つものがきっとカイルの運命を変える。そう、カンが告げていた。


「ロレンス中尉」


 カイルの手の中で紙がくしゃりと音を立てる。


「俺は一度本部に戻ります。俺がいない間、この部隊を任せてもいいですか?」


 ぴしりと整った完璧な敬礼が返ってくる。カイルは笑って敬礼をした。……が、くしゃみが漏れてなんだかあまり締まりがなかった。

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