ep.052 アコレード
シドとの戦いは呆気なく幕切れを迎えた。ミラが笑顔で乱入してきたせいなのだが、分が悪いと即座に判断したシドはあっさりと身を引いたのだ。そして、ミラもまたどこかへ消えて、無骨な通路に残されたのは足に傷を負ったライとナタリアだけだった。
「ありがとう、ナタリア」
君には助けられてばかりだな、とライは笑う。ナタリアはどう返事をすればいいのか分からずに沈黙した。笑ってくれたから、いいことをしたのだろう、とだけ理解する。
何度も続けて銃声が響いた。ナタリアはぴくりと眉を動かす。銃声の間隔はゼロに等しい。乱闘か、それとも狙いも定めずに引き金を引いているのか。隣を見ると、服の切れ端で血止めをしていたライが強く頷いた。
「行こう、そう遠くない」
「はい」
ナタリアとライは音を頼りに足を進める。そして、音が絶えてから見つけた。男たちの死骸と血の沼と、頭から血を流すリュエルと、リュエルを抱いたまま背中を壁に預けるルカ。二人とも、動かない。
ナタリアは血溜まりを踏んで、華奢な指を銃に滑らせる。何の感情もない冷徹な顔で、躊躇いなく引き金に人差し指をかけた。
「ナタリア! 駄目だ! 撃つなっ!」
ライの叫び声に照準が狂う。弾丸はルカの左耳を吹き飛ばす。既に意識を手放していたルカが呻くことはなく、薬莢がカンと床を打った。
「ナタリア、なんで」
ライの見開いた目がナタリアに注がれる。いつもライに見つめられることは嫌いではないのに、今は胸の奥が痛い。は、と浅く息を吐いた。
「裏切りは死を以て贖うべき大罪です。なので、掟に従い処分を下そうとしました」
ライの唇が歪むのを見た。ナタリアからふいと逸らされた藍色の瞳に渦巻くこころの色はナタリアにはやはり分からない。
「……なにか、間違っていたのでしょうか?」
俯いて、ライを窺う。自分は棄てられてしまうのだろうか。まちがえたから。でも、何が違うのか分からない。
「……ああ、そうだよ」
びく、とナタリアの肩が跳ねた。
「俺の命令は二人の奪還であって、裏切り者の処分じゃない」
もう一度ナタリアを見た藍色の瞳は嵐の海のように激しい波浪が立っていた。夜空の静けさとは真逆の荒々しさが渦を巻いている。
「君は……、君は俺の何なんだ!」
絞り出すように叫んだライは泣き出しそうだった。ナタリアは唇を引き結ぶ。
「わたしは、壊れた暗殺人形で、あなたの武器です。ですから、そのように使ってください」
望まれた答えを返したはずなのに、どうして。
どうして、ライはこんなにも傷ついた顔をするのだろう。
そんな顔は見たくないのに。
けれど、ナタリアはライを直す言葉を知らなかった。いつもの笑顔を取り戻す方法を知らなかった。手を、振ってみたら、笑うだろうか。前みたいに。右手を持ち上げて、左右に揺らした。しかし、ライの目には映っていないようで。力を失くした手がぱたんと落ちた。
「二人とも、どいて」
エルザがナタリアとライの横を通り過ぎる。真剣な面持ちに思わず道を譲った。長い髪がすっと目の前を流れていく。
「……これは、酷いな。オレたちでどうにかなるものじゃない」
エルシオの呟きにアルバが頷いた。二人の視線は冷静そのものだ。幾度となく死するものを見送ってきたから、今度もそうと受け入れて。
「いいえ、まだよ」
低い声でエルザは言う。長い髪を紐で結った彼女は、ルカとリュエルの傷の具合と出血量、諸々を検分していた。微かに、ほんの微かにまだ温かい。何もかもすべて失われた訳ではない。
「まだ、間に合うわ。間に合わせてみせる」
「何言ってんだ、エルザ! 外に出回ってる医療技術じゃ不可能だ。暗部の技術が無いと、いや、技術があったととしても扱える人間がいないと、ムリだ」
アルバがまくし立てるようにエルザを諭す。不可能だ。無理だ。ありえない。医者でないアルバたちだって、エルザの発言の無謀さを知っている。まして、医者であるエルザならもっと、身に染みて分かっているだろうに。
「アルバ、その前提は間違ってる」
エルザの微笑みは薄く、自嘲に彩られていた。
「ライ。閣下との通信は可能かしら?」
「あ、ああ」
通信機を半ばひったくるように手にし、ソフィアを呼び出した。
早く、早く、早く、出て。
急く心をなだめて、エルザは息を呑んで繋がるのを待つ。心臓が早鐘を打っていた。
『なんじゃ? そなたが妾に直接掛けてくるとは珍しい』
いつも通りの口調で、底意地の悪い笑みを浮かべているのが丸分かりの声が聞こえた。なんだかむかつく、爆破したい。
「リュエルとルカが瀕死の重傷を負っています。暗部の医療技術と設備を使用する許可を」
『ほぉ……。良いのか? そなたは既に死んでいるのだぞ? そなたが生きていることが分かれば、奴らは容赦せぬぞ?』
それでも、良いのか。
ソフィアの問いに頷くことに躊躇いはなかった。鋼色の声で答える。
「構いません。許可を」
通信機の向こうでソフィアが喉を鳴らして笑う気配があった。彼女はきっと初めからエルザの答えを知っていた。それでも尋ねたのは、半分くらいは最終確認のつもりで、もう半分はただの嫌がらせだ、たぶん。
『既に手配は済んでおる。迅速に行動するのだな、エリーゼ・ドラクロワ』
「は、感謝します、《
ぷつんと切られた通信機を握りしめ、エルザは顔を上げる。
「ライ、アルバ、ナタリア。手配は既にできているわ、早く二人を運びましょう」
「え、ちょ、どういうことだよ!?」
アルバは目をかっぴらいた。エルザの言っていることは何から何までおかしい。いや、言葉の意味は入ってくるのだが、頭の理解が追いつかない。
「だって、暗部の技術を扱える人間がそう簡単に見つかるわけないだろ!?」
エルザはナタリアに手伝わせてリュエルを担ぎあげた。ぐったりとした身体は増して重く感じられる。エルザの額を汗が伝った。
「言ったじゃない、あなたの前提は間違ってるって」
一つに結わえた髪が翻る。くすんだ金の髪に所々混ざった茶色。灰色の瞳には迷いも躊躇いも不安もない。あるのは一つの確信だけ。
「──私が、その医者よ」
***
任を終えたエルシオと分かれ、ナタリアたちは急遽共和国へ帰還することとなった。ソフィアは驚くべきことに航空機をグロモントに派遣していた。そして、治安局本部の周囲が荒地であったことが幸いして滑走路を確保。迅速な撤退が行われた。
事後報告によれば、ナタリアたちが帰還した直後、治安局本部の爆破が確認されたとのことだ。それは治安局の生き残りを一掃して禍根を断ち、ガンマの恐怖を知らしめる十分な機会となった。
グロモント抗争と呼ばれるこの内紛で、治安局は消滅し、ガンマは政治上、軍事上において表舞台に立つことになる。そして、ここから、帝国史上最悪と呼ばれる時代が幕を開ける。
***
グロモント抗争終結からひと月。季節はすっかり秋へと移り変わっていた。
紅色に染まる楓の木が窓から覗く。世界が燃えているようだ、と狭い窓から見ていると思う。陽の光を受けて鮮やかな紅は鮮血のいろとは明らかに違うのだが、残虐に真紅に塗りたくられた光景を思い出さずにはいられない。
「起きたかしら? ルカ」
がらがらと遠慮ゼロで部屋の引き戸が開く。ルカは窓から目を離し、ベッドへ歩いてくるエルザに向かってあからさまな溜息をついた。包帯ぐるぐる巻きのルカにはエルザになすがままにされる未来を黙って受け入れるしかない。
「なによ、その顔」
「いーや、何でもないっすよー」
エルザはルカの身体中の包帯をするすると解いていく。あの日、穴だらけで失血死寸前だった、というかほぼ死んでたルカはエルザの治療によってなんとか一命を取り留めたのだった。
「うーん、ほとんど治ってるわね。包帯はもういいし、作戦参加も許可できるわ」
おー、と目を輝かせるルカの左耳を覆う布にエルザは触れる。灰色の目を細め、浮かべたのは哀しみ。共和国きっての医者にも不可能は存在する。この国の暗部の医学研究は細胞の複製やクローンよりも、人体改造や改変に特化しすぎている。失われた部位を再生するのは時間がかかりすぎるのだ。
「でも、あなたの左耳はもう聞こえないでしょうね」
ふーん。ルカの返事は心底どうでもいいというばかりだ。実際、右が聞こえるならそれでいい。
「そうそう、これはみんなからあなたへの快癒祝い」
そう言って手渡された箱をルカはベリベリと開ける。姿を現したのは
……うん、そのつもりだった。両目同時に閉じたのは事故だ、きっと。エルザの脳内を全力で駆け巡る言い訳の数々を聞けば、アルバがお腹を抱えて笑うだろう。当然、ルカには通じてなかった。誤魔化すようにエルザを咳をしてみる。
「……えーっと、そうね。これで左耳の傷を隠しつつ、聞こえすぎる右耳も保護できるってことね。大事にするのよ」
「あ、り、が、と、う……っす」
エルザの方を見ずにルカは口の中でモゴモゴ呟く。改めて礼を口にするのは、なんだか気恥ずかしかった。
「ところで、センパイは?」
エルザの顔が陰った。ルカの顔が強ばる。その時、顔面に何かが飛来した。不意を突いての見事な直撃コース。
「ぶへ!?」
エルザが軍服をルカの顔に放り投げたのだと気づくのに、しばし時間が必要だった。
「着替えなさい。話はその後」
病室から出て行ったエルザを追う形で着替えを済ませ、外に出る。ロックの掛かったドアを二つ潜り抜けてエルザが向かったのは、最奥の病室だった。
エルザによれば、ここはハルバトアという共和国の東にある辺境の都市、そこに存在する軍病院だという。本当の意味での最先端技術が集められていた病院であり、規模は小さなものだ。
本来、出入りは容易ではない……はずなのだが、なんと《
難点は首都のフライハイトから遠いこと。だが、監視のない環境で治療に専念できるのはエルザにとってはありがたいことだった。
「ここよ」
エルザが扉を開ける。薄ぼんやりとした明かりの中、ベッドが一台。惹かれるようにルカは足を動かした。一歩踏み出したら止まらない。最後はもう早足で、そして足が見えない壁にぶつかったように止まった。そのままルカは床に膝を着く。床から伝わる冷たさには意識も行かない。
「センパイ……」
茶髪の少女がこんこんと眠っている。まつ毛はぴくりとも動かない。眼鏡をいつもしていたから、こんなに彼女のまつ毛が長いことに気がつかなかった。酸素マスク、とやらの音が聞こえる。機械の小さな電子音はこの静かな部屋にはうるさいくらいだ。ヘッドホンを外して首にかける。耳をすませば、かすかに、とくん、とくん、とリュエルのゆっくりとした鼓動が聞こえた。
「……センパイ」
「リュエルの傷は頭にあったわ。幸い貫通したのは生命維持には関わらない部位だったの。けれど、後遺症は残るでしょうね……。それに、いつ目覚めるか分からない。……そもそも、もう二度と目を覚まさない可能性すらあるわ」
手は尽くしたけれど、とエルザは唇を噛んで下を向く。ルカはそろそろと手を伸ばした。しばらく躊躇ってから、リュエルの手にそっと触れた。泣きそうなくらい温かかった。生きている温度だ。まだ、リュエルはここで息をしている。
「大丈夫っす。……ボクは待つっすよ、いくらでも」
眠り姫が目を開けるまで。
もしも、もしも目覚めないとしたらその時は、そこで自分も死んでやろう。
ネズミでないルカ・エンデを作ったのは、紛れもなくリュエル・ミレットだから。
なら、この命は彼女のためだけに。
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