ep.046 ゼロ・アワー

「治安局の様子はどうだ? なんか動きあったか?」


 廃屋を改築して造られたバーにて、エルシオはルカに声をかける。ガンマと治安局、相容れない二つの組織に属する二人が接触するには、それなりに手間がかかる。軍属であることを隠すため二人とも黒スーツなわけなのだが、私服なんか持ってないっす、というルカにエルシオがびみょーな顔をしてスーツを貸しているのが真相だ。ぼんやりとした光の中では人々は黒い影のように見える。誰もが誰でもない影として動き、密約を交わし、情報交換をしていくのがこの場所だ。軍の関係者もよく利用することから、軍のお目こぼしによって成り立っているのだった。


「……あれはあんたたちのとこに殴り込む気満々な気がするっす。なんか妙に自信があるんすよ。そんなに記録係の持つ情報は威力あるんすかね」


 高いテーブルにルカは頬杖をついてそう言った。橙赤色の明かりにてらてらとテーブル端は光っている。エルシオが適当に頼んだ酒は光を溶かしこんだ万華鏡のようだ。一番安い酒のハズなのに高い、と一言文句を言ってからエルシオはグラスに口をつけた。


「もしも、アリア様に関する詳しい情報、または弱点、そういったもんが出てきたら、戦力でうちに劣る治安局がつけ上がるきっかけになる」


 酒を飲んだことのなかったルカは恐る恐る舌を出してすすってみる。まばたきをして、今度は多めに飲み込んで目を輝かせた。


「意外とイけるっすね。──で、記録係は《夜の女王》の何かを握っているってことっすか。確かに、あのヤバい人がいなきゃあんたたちは成り立たないっすもんね」


「ああ。その上、オマエの所の狐野郎が何も準備してねえわけがない。オマエに記録係の奪取を命じてたってんだから、かなり念入りだな。そして、揃うはずのなかったピースが揃っちまった。元はと言えば、オマエが記録係なんか連れて帰ってくるのが悪ぃーんだよ」


 ルカは無言で懐からナイフを出した。エルシオの顔から血の気が引ける。


「え、ちょ、待って待ってくれ! オレ弱いんだってば! 悪かったって、ごめんってば!」


「……あっそ。まあ、いいっすけど。ボクだって、何がしたくて帰ってきたのか分からなかったんすから。アンタに言われて気づく羽目になったのは、ものすごーく気に入らないっすけど」


 エルシオはしばらく笑った後、表情を引き締めた。


「そろそろ、オレたちも動き出す頃合いだ。アリア様から特殊諜報部隊の状況は聞いてる。共和国に協力者がいるらしい。それで、オレはアイツらをこのゲームに引き込む役割を与えられた」


「なるほどっす」


 相槌は打ったが、ルカの心の内はかなり複雑だ。一度は裏切った手前、どんな顔をして彼らに会えばいいのか分からない。こんなことを考えても埒が明かない。別のことを考えよう、とルカは思考を他の所へ向ける。


「……全然関係ないんすけど、この国の皇族って何してるんすか? かなり治安局とガンマの関係は終わってるっす。本当なら、内紛とか止めに来る案件なんじゃないっすか?」


「オレも知りたいさ。アイゼナッハとかいう神聖不可侵の尊い一族様が何してるのか。ずっと前から公務もほとんどしてない」


「それって皇族ワンチャンいな──ふごっ!?」


 危険思想を口走りそうになったルカの口にエルシオは氷を突っ込んだ。耳を引っ張って忠告する。


「その思想は持つだけで危険だ。忘れた方がいい」


「そうっすか……。ところであんた、ほんとに帝国に忠義とか誓ってたりするんすか? さっきから否定的なことばっか言ってるし」


 からん、と溶けかけた氷がバランスを崩して音を立てる。エルシオの翠の瞳は細められた。


「なんでそんな人の地雷ばっか踏んでくるわけ?」


「ダメっすか?」


 ふん、と鼻を鳴らしてエルシオは酒をあおった。


「これは戯言として流せ。オレの親父は帝国軍の中将だった。帝国建国時から帝国の剣として代々軍人として忠義を尽くしてきたわけなんだが、何らかの理由で一族郎党ガンマに抹殺された。たまたま遠くに行ってたオレはそれを免れたが、色々あってガンマに入った。そこでオレは一族を殺した暗殺者を殺そうとした」


 銀色の髪の暗殺者。彼は当時中将であったコルネリウス・リーゼンバーグを殺し、屋敷内すべての人間を殺し尽くし、そして屋敷に火を放った。あらゆる記録からリーゼンバーグの名は消え去り、帝国の剣は貶められて折れ砕けた。その名を知るものもガンマを敵に回すことを恐れて、思い出すことをやめた。エルシオはまだ克明にあの夜を思い出せる。燃え上がる家、火の粉が星を詐称して瞬きを見せた瞬間。エルシオは涙を嚥下して、硬い地面を殴りつけた。一つ下の弟、エヴァンは茫然として無力感に崩れ落ちた。そして、誓った。すべてを奪ったあの暗殺者に報いを受けさせると。


「——けど、あれは自我すら持たない人形だった。目一杯苦しめて、泣き叫んで許しを請わせたかった。なのに、暗殺人形は凶器と何も変わらない。凶器に善も悪もない。だから、オレたちは復讐する、あの凶器を握ったヤツに」


 ルカは視線をグラスに落とす。グラスと中身が変わったのはこれで四度目だ。


「つまり、あんたの敵は《夜の女王》その人ってことっすか」


 推測などという大仰な手順すら要らない。暗殺人形という凶器を好きにできるのはアリアだけ。危ない綱渡りをしているのはこの狙撃手も同じというわけだ。間違えれば、サメどころではないゲテモノに骨も残らないくらいガジガジされる身だ。


「それ、ボクが《夜の女王》にチクったらどうするんすか?」


 意地悪く聞いてみる。エルシオは軽く笑う。


「アリア様は知ってるさ。そしてオレもオレの手ではあの人に敵わないことを知ってる」


「だったら、治安局がガンマを潰す方を応援したらいいじゃないっすか。なんでガンマに付く?」


「治安局は邪魔だ。それでいいだろ。この話はここで終わりだ。帰るぞ」


「えー、もう帰るんすか? もっと酒飲みたいっすー!」


 あからさまに迷惑そうな顔をしたエルシオは勘定のメモをルカの鼻先に叩きつけた。


「分かる? オマエ、この短い間で五杯飲んでんだぞ? どんだけ強いんだよ! しかも、高いやつばっか狙いやがって……。そんで、誰がこれ払うわけ!?」


 きょとんとしてルカはまばたきをし、人差し指でエルシオの顔を指す。


「え? 誰って、もちろんあんただけど?」


「オマエが頼んだ分はオマエが払え、このクソガキ!」


「え? だってボク、お金持ってないっすよ?」


 怒りに打ち震えつつもエルシオはマスターに金を渡す。今月の給料の三分の二だ。……三分の二だ。ガンマで多くの暗殺任務をこなす帝国軍きっての狙撃手であっても、そこまで多くの給料がもらえるわけではない。ほとんどの金は政府高官と軍のお偉いさんの懐に一直線だ。その上このバー自体ぼったくりな価格設定になっている。金持ちが密談するわけだから、相場の数倍は当たり前。


「今度会ったらオマエの脳髄吹き飛ばしてやる」


「脳髄吹っ飛ばしても金とか出てこないっす。銀行襲った方がいいと思うっす!」


 しかし、軽口の応酬は店を出た瞬間終わった。止められた黒塗りの車から出てきたのは治安局の制服を纏った捜査官たちだ。彼らの注意がルカとエルシオに向けられていることは火を見るよりも明らかだった。車で路地は外界から切り離された空間としてルカとエルシオに牙を剥く。チッと舌打ちがエルシオからもれる。


「なるほど、そーゆうことね」


 ガンマを制すには最終的にはアリアの首が必要であるにせよ、彼女の手足となるエルシオたちが障害となる。つまりは各個撃破が原則になるということだ。基本的に己の技術を秘匿している暗殺者が多いが、例外としてエルシオは狙撃という専門が既に割れている。なら、狙撃の才能が生かせない状況を作れば、捕えやすい、と。


「ネズミ。隣のやつを差し出せ。そうすれば貴様の処罰は軽くなるだろう」


 男はさも妥当な提案だとばかりにルカを指差し、それからエルシオを指差した。ルカは八重歯を剝きだして笑う。この状況でどちらに付く方が楽しいか、そんなことは分かりきっている。


「嫌っすね」


 ナイフがルカの手に現れる。刃がギザギザの凶悪なナイフ。殺人鬼にはお似合いだ。


「あんたは逃げろっす。呼んで来るんすよね? 暗殺人形」


 服の中から銃を取り出し、エルシオはルカの黒瞳を見た。多勢に無勢、埃臭い路地裏で退路を断たれた状況。そしてこの距離感。弾を当てることだけに特化したエルシオでは、ルカの足手まといだ。


「ああ。オマエがミンチになってたら燃やすくらいはしてやるよ」


「……ざっけんなっす、この下戸」


 ルカとエルシオは同時に地面を蹴った。エルシオは上へ、ルカは地面スレスレを。車のボンネットを踏みつけ、エルシオは跳ぶ。不安定な体勢にも関わらず、彼の放った弾丸は洗濯物を干している紐に面白いように吸い込まれ、そのまま花瓶を撃ち抜く。続けて引き金を何度か引くと、窓際から花瓶が消えた。降り注ぐ陶器の破片と土、そして風にあおられて落ちてくるボロ雑巾みたいなタオルや下着。注意がそちらに移った瞬間が、捜査官たちの命取りになる。深紅の花が咲いた。残忍に嗤った少年の黒髪が躍る。くるくると鮮血の雨と舞う。下に落ちた洗濯物はすべて深紅のカーペットに早変わりだ。叫び声を上げる彼らを狩って、狩って、狩って、狩って。男の首に突き刺した最後のナイフがとうとう折れた。高い銃声にルカの腕が意図しない方向に跳ね上がる。続いて足から力が抜けた。


「くそっ……、ここまでっすか」


 ぼうと霞んだ視界に酩酊感を覚える。視界はさらに黒ずんで、やがて何も見えなくなって、そして意識が途切れた。


 ***


 ──共和国領首都フライハイト。


 銃撃騒ぎがあった広場は封鎖され、人気はない。噴水が優雅に水を降らせ、重なり合った波紋が生み出すのは一級品の芸術だ。どこぞの科学者が気まぐれにデザインしたものらしいが、緻密に計算し尽くされた造形は恐ろしいまでに完璧だ。その完璧さに傷をつけているのが噴水の縁に付けられた弾痕だった。


「ナタリア、もう一つの弾痕は見つけた?」


 じっと地面を見つめて立っている赤茶の髪を持つ少女は美しい彫像のようだ。けれど、彫像でない証拠に少女はぱちりとまばたきをした。最小限の動きでライの方を向いたナタリアはゆっくりと首を振る。


「もし、残っているのでしたら、この辺りに刻まれているはずです。傷ついたタイルを貼り直すのはこの短期間では無理でしょう」


 噴水まわりのタイルは複雑な形をしている上、年季が入って変色している。新しいものに変えることができたとしても、色の違いですぐに分かるだろう。


「考えられるのは、そうだなー、弾丸がぱあーんって砕け散ったとか?」


 大袈裟にアルバは両手を広げてみせた。


「それは一理あるな。冴えてるなアルバ」


 ライが何気なく褒めると、アルバはライの肩に腕をかけてワシワシと銀髪を撫で回す。


「なんだよ、うれしーな。こっちは俺からのご褒美なー」


「いいって、髪がぐしゃぐしゃになるから」


 引き剥がそうとするも思いの外アルバの力は強く、がっちり肩を固定されている。ライは撫でくり回されるままにして、諦めの溜息をついた。


「最強の美人その一を好きにできるの俺の特権」


「なんであなたが得意げなのよ……。ライが困ってるじゃない」


 ドヤっとしてみせるアルバの頭をエルザの拳が襲う。ぽかん、とマヌケな音がしてアルバの頭にたんこぶが生まれた。


「いたたたたたたたたた……」


 薄膜一枚隔てた絵を見るようにして、やり取りを眺めていたナタリアだったが、不意に異質な気配を感じて銃に手を伸ばした。軽快な音を立てて赤髪の青年がナタリアの前に降り立つ。……なぜか、両手を上げて。ナタリアは拳銃を構えたまま無機質に問うた。


「何の用ですか、エルシオ大尉」

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